はじまり
僕達の目の前には茶色い草原が広がっている。
僕を百人並べて、両腕を広げても足りないくらいの草原がずっと続いている。
土は勿論、草も茶色い。
お兄ちゃんは今まで一人でずっとこの道を歩いてきたんだ。
僕は歌を歌う。
まだまだ先は遠く、危険だと分かっていても歌わずにはいられない。
宝探しをするよりも、もっとワクワクするものが僕を待っているんだ。
お兄ちゃんの顔付きが突然厳しくなる。
眉を寄せて怖い顔をしたお兄ちゃんの足が殆んど走るように早まる。
僕は置いてかれないように殆んど走って付いて行く。
お兄ちゃんは僕の方を振り返らない。
僕はお兄ちゃんの背中を追ってひたすら歩く。
「疲れた……」
「頑張って歩くしかない」
短い言葉を交わす。
疲れた。
心の中に言葉を溜めて、息だけを吐きながら黙って歩く。
ゴツゴツした岩の多い丘を登る。
坂だから益々息が苦しくなる。
道を覚えなきゃ。
この道はずっと続く。
明日も明後日も来年も。
僕が求める限り、ずっと続く。
丘の上に漸く辿り着いた。
サバンナの草原が一望出来る。
お兄ちゃんが指で差す。
アカシアの木の陰に象の姿が数頭見えた。
「あそこに象がいる。だから今日はこっちを通って行こう」
そう言って反対側に指の先を動かす。
進路を間違えたら大変だ。
沢山の怖いものが僕達の進む先に待ち構えている。
人を襲う動物逹。
怖いのは肉食獣だけじゃない。
時期によって物凄く狂暴化して、構わず襲いかかってくるから気を付けろとお父さんに何度も言われた。
象の雄は特に狂暴だ。
僕のような小さな身体では一溜りも無い。
象は大きな身体で車さえ破壊してしまう。
このサバンナでは僕は人では無く、ただの力の弱い一匹の動物でしかない。
象に襲われて命を落とした子供逹の話しをお父さんから何度も聞かされた。
僕は歌うのを止めて、肉食獣を恐れる草食獣みたいにじっと息を潜めて草原を見渡す。
僕達は象のいるのと反対側に丘を駆け降りて草原を再び進む。
油断は出来ない。
象は耳がいい。
耳が大きいからじゃなく、足の裏で遠くの音を感じ取って聞き分ける。
僕達の足音も息遣いも伝わっているのかもしれない。
それにサバンナには他にも沢山の動物がいる。
人間も怖い。
子供を浚う悪い人逹もいるらしい。
背の高いキリンの群れが遠くに見えた。
僕の心臓が跳ね上がる。
一頭のキリンが群れを守るように横に走った。
お兄ちゃんの足が少しだけ止まる。
他のキリンも此方を窺っているようだ。
少し顔を下に向けて刺激しないように足を早めて急ぐ。
キリンが群れていた場所を抜けてから随分歩いたのに、ずっと同じような景色が続いている。
今、どの辺なんだろう。
まだまだ着かないんだろうか。
「もっとゆっくり歩いて」
僕は本当に聞きたい事は我慢してお兄ちゃんにお願いした。
それでもお兄ちゃんは足を止めない。
象を避け、キリンの群れを通り過ぎても、危険はこの先もずっとある。
お日様が昇ってきて熱い。
草と木と動物と僕達以外何もない道をひたすら歩く。
歩く──
いつの間にか僕逹は並んで歩いていた。
歌を歌いながら。
ずっと厳しい顔をしていたお兄ちゃんが笑っている。
動物の姿は見えない。
ただ、ただ広く先も見えない。
丈の高いイネばかりの広い草原を進む。
「しっ──象だ」
お兄ちゃんは戦士の顔で唇に左の指を当て、僕の身体を右手で止めた。
数メートル先のバオバブの木と草の影に象が数頭。
「走れ! 」
お兄ちゃんが低く鋭く囁いた。
足が勝手に動き出す。
心臓がバクバク踊って、頭に血が集まって耳の下が痛い。
象の興奮した叫びが、僕達の足と恐怖を加速させる。
姿を隠してくれるアカシアやバオバブの影を──イネの茂みを掻き分け走る。
喉が痛くなる程走って走って──
お兄ちゃんの足がゆっくりになる。
木々を抜けた先には、また茶色い草原が続いている。
ガクガク足が震えてハアハア息を吐く。
心臓の音が内側から身体をドンドン叩く。
「逃げきれた。少しだけ休もう」
お兄ちゃんに言われて大きな岩に背中を付けて水を飲んだ。
お兄ちゃんの顔がクシャっと潰れて、声を出して笑う。
「まだ着かないの? 」
象から逃げられてホッとして、ずっと頭の中にあったのに忘れてた事が声になる。
「もうすぐ。半分以上は進んでる。川も渡らなきゃ。頑張るんだ」
僕は頷く。
象は怖かったけど、進んだ道の分だけ僕はきっと少しだけ大人になれた。
また歌い始める。
明るい歌を。
神様が僕逹を守ってくれる。
お母さんの顔が頭に浮かぶ。
茶色く濁った川を、ズボンを捲って膝上まで濡らしながら慎重に渡る。
「後、もう少しだ」
「もう少しって? 」
「此処を上れば見える」
川を渡り終えた先に丘があった。
また岩だらけの道をお兄ちゃんの背中を追ってどんどん登っていく。
生まれてから一番遠くまで歩いた。
足が痛い。
痛いけど辛くない。
丘の上に着く頃にはお日様が高く昇っていた。
お兄ちゃんが指差す。
その先に横に長い建物が見えた。
「エリック、あれがお前が今日から通う学校だ」
始めての学校。
僕の家の近くに学校は無い。
だから二時間くらい歩いて此処まで通わなければならない。
自分の足で此処まで辿り着いた。
何時間も掛けて、漸く辿り着いた。
今日から僕はあそこで色々な事を学ぶ。
今まで知らなかった事を沢山、沢山。
丘を駆け降りて学校に向かう。
沢山の子供逹に囲まれる。
お兄ちゃんは友達に手を引かれ笑ってる。
教室に入ると先生が抱き締めてくれた。
「ジョセフの弟のエリックだね。おめでとう。今日から君は此処の生徒だ。君逹が無事に学校に辿り着けた事を神に感謝しよう。今日が始まりの日だ。でも、学ぶ事に終わりは無い」
僕は歩く。
明日も明後日も。
そしてずっと学び続ける。
終わりは始まりの地 春野わか @kumaneko1111
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