終わりは始まりの地
春野わか
おわり
「エリック──」
肩を叩かれ僕は瞼を擦った。
まだ眠い。
まだ夜だ。
お日様はまだ昇っていないよ。
「起きて。今日は初めての……」
お母さんの優しい声が、毛布に顔を埋めて一旦開いて閉じた僕の瞼を開かせた。
「そうだ……起きなきゃ」
身体を無理やり床から剥がすと大きな欠伸につられて涙が滲んだ。
辺りは薄暗い。
ぼんやりしたまま目が横に動く。
隣に敷かれた毛布はこんもり膨らみを残しながら空っぽだった。
「ジョセフ!ジョセフは? 」
お兄ちゃんの名前を叫び毛布から這い出る。
「ジョセフはもう服に着替えてあっちにいるわ」
僕は慌てて立ち上がり、昨晩用意しておいた服に腕と足を通す。
古いのに新しく感じる肌触り。
お母さんが用意してくれた服だ。
着替えてご飯を食べる部屋に急ぐと、お祖父ちゃん、お祖母ちゃん、お父さん、お母さん、お兄ちゃんがご飯が盛られたお皿を前にして座っていた。
「ごめんなさい。遅くなって」
「良く眠れたかい? 」
お祖母ちゃんが目を細めて僕の頭を撫でてくれる。
「うん、興奮して寝れないと思ってたら、いつの間にか朝だった」
僕がそう言うと、皆の顔に笑顔が浮かぶ。
何て幸せな朝だろう。
何時も何時も温かい。
皆でお祈りを捧げてからご飯を口に運ぶ。
まだ暗いのに、僕の為に僕よりも早く起きてお母さんが作ってくれたご飯は本当に美味しい。
「エリック、お前は戦士だ。儂らに出来なかった事、儂らが手に入れられなかったものを掴むんだからな」
お祖父ちゃんの言葉に僕の姿勢がぴんと伸びて胸を反らす。
「そうよ。ジョセフとエリック、お前逹は未来を背負ってる。家族の希望の光なのよ」
お祖母ちゃんの皺くちゃの肌に更に線が増えて、泣いてるか笑ってるか分かりにくい顔付きだけど、瞳には優しい光が宿っている。
「危険過ぎる。怖いわ。神様がどうか子供逹に加護を授けて下さいますように」
お母さんが胸の前で両手を組んで顔を伏せる。
組んだ両手が膝の上に力無く降りて、その上に涙の粒が落ちる。
僕の胸がきゅっと痛んで、何も言えずにお母さんの手の上に僕の手を重ねた。
「心配しないで。僕は何度も危険を乗り越えたんだ。エリック、僕から離れるなよ! 」
お兄ちゃんは僕より4歳年上の11歳。
萎れた僕の身体がまたぴんと伸びて、力強く頷いた。
「俺達には祈る事しか出来ない。ジョセフには何度も危険を避ける方法は言ってるが、お前逹の進む道には様々な危険が潜んでる。怖がらせたくは無いが、神に祈っても助けは来ない。危険を感じたら身を潜め、無理をしないで待つか全力で逃げるんだ」
お父さんが真剣な目で僕を見詰める。
「ジョセフ、お前は家族の中で初めて勇気を持って知恵を授かった。エリックにとっては何もかも初めてだから、無事に辿り着けるよう導いてくれよ」
お父さんは今度はお兄ちゃんの方を向いてゆっくりと唇を動かしながら肩を叩いた。
僕は家族の中では一番小さくて力も弱い。
昨日は頑張って土を掘って水を沢山汲んできたけど、まだ全然役立たずだ。
でも、今日は違う。
僕は戦士になるんだ。
家族の暮らしを豊かにする為に、命懸けの旅に出る。
今、僕に出来る事はそれしかない。
どんなに困難でも絶対に負けない。
僕には夢があるんだ。
お兄ちゃんと僕は必要な物を詰めたバッグを肩から掛けた。
そして靴に足を押し込む。
「行ってきます! 」
僕は出来る限り大きな声で挨拶すると、手を振って外に飛び出した。
お祖父ちゃんもお祖母ちゃんもお父さんも、そしてお母さんも外に出て僕逹を見送ってくれる。
何度も笑顔で手を振って、前を見て歩き出す。
振り返るとお母さんは泣きそうな顔をして、また手を組んでお祈りをしていた。
大丈夫だよ、お母さん。
必ず無事に辿り着いて、必ず無事に戻ってくる。
でも僕の声はお母さんの耳には届かない。
僕よりも長い足でお兄ちゃんがどんどん進んで行く。
僕も頑張って付いて行く。
ひたすら茶色い道を行く。
お日様が高く昇る前に辿り着かないと。
水筒の中で水がチャプチャプ音を立てる。
たっぷり入れてきたから重いけど、気温が高くなったら水を飲まないと暑さで倒れてしまう。
また後ろを振り返る。
僕逹の家は随分と小さくなった。
でも豆粒みたいに小さくなっても、遮るものが無い限り、ずっと其処にある。
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