第52話 呼び出し
「なぜここに呼ばれたかわかりますか?」
それからしばらくして、先生たちがぞろぞろと会議室に入ってきた。それぞれのクラス担任に学年主任、それから教頭先生まで来ている。
そんな大事になっているとは思ってもみなかったので、私は今更ながら緊張に喉を鳴らした。
「そういう言い方はずるいと思いますが」
学年主任の問いかけに、愛生は毅然とした様子で言葉を返す。
少しも怯んでいないところは尊敬に値するが、喧嘩を売りに来たわけではないのだ。もう少し言い方というものがあるだろう。
「……まあ、その通りですね」
すると先生があっさりそう言って下さったので、私はほっと胸をなでおろした。
頼もしく思っているのは事実だが、愛生に任せきりにはしない方がいいのかもしれない。
「今回皆さんをお呼びしたのは他でもありません。皆さんの卒業論文のことです」
予想が的中し、私達は黙ってうなずく。
「本校としては、卒業論文のテーマは生徒の皆さんの自由意志を尊重したいと思っています」
「はい」
「ただ、そのためにはきちんとした指導ができる先生が必要です。特に皆さんの興味関心のある分野は、誤解を受けやすい分野であることは否めません」
「はい」
確かにクィア研究はセンシティブな一面を持つ。思えばミライさんにも釘を差されていたし、栗山先生の発言もあった。
今回悪質な噂を流されたことでも、改めて思い知ったことでもある。
しかし、私達にはミライさんがいる。基本的に私達の意見を尊重してくれるが、軌道修正が必要なときは必ず声をかけてくれていた。それはこれからだって変わらないだろう。
そういえば、どうしてこの場にミライさんは呼ばれていないのだろうか。
「しかし、残念ながら我が校にはこの分野の指導ができる先生はいらっしゃいません」
「え?」
その発言に思わず声を出してしまって、私は慌てて口をつぐんだ。すると、愛生が軽く咳払いをして事情を説明する。
「あの、僕達は既に、きちんと指導教員の指導の元、活動を行っています。学術的見解に基づいた、極めて真面目な研究です」
愛生の言葉に私達は力強くうなずく。
「……その指導教員というのは、森川未来先生のことで間違いありませんね?」
「はい」
愛生の力強い肯定に、一瞬先生たちに微妙な空気が流れたのを感じた。
「……まずはじめに言っておきますが、これはあなた達に責任はないことだと思っています」
「はい」
いよいよ本題の噂の話に入るのだろうか。愛生は先程より控えめに返事をした。
すると先生は少し呼吸を整えるような間をあけると、ゆっくり語りだす。
「森川先生ですが、もうあなた達の指導教員をすることはありません」
「……は?」
間の抜けた返事をする愛生だったが、それも仕方のないことだと思う。
私達は一瞬お互いの視線を交差させ、それぞれの戸惑いを確認した後、先生の次の言葉を待つ。
「本来、森川先生には指導教員の資格がなかったのです。それは森川先生自身も知っていたことです。にも関わらず、あなた達の指導教員を学校側に無断で引き受けていたことが判明しました」
「え、ちょ、ちょっと待って下さい。どういうことですか?」
先程まで冷静に話を進めていた愛生が、混乱をあらわにした。
しかし、先生はお構いなしに話を続ける。
「言葉通りの意味です。あなた達の研究ですが――」
「だからちょっと待って下さいよ!」
先生の言葉を遮るように愛生が叫んだ。
「そ、そんな、そんなこといきなり言われても」
愛生が内心の葛藤をそのままに、なんとか言葉を捻り出す。
そもそも今日は噂のことで呼び出しを受けていたのではないのだろうか。なぜこんなことになったのだろう。
動揺を隠しきれない中、先生は落ち着いた様子で語りかける。
「みなさんが一生懸命研究活動に取り組んできたことは、森川先生からも伺いました。繰り返しになりますが、皆さんに責任はないと思っています」
「……」
愛生は頭の中を必死に整理しているのか、うつむいたままだ。
「だから、皆さんがどうしてもこのまま続けたいと言うのであれば、特例として、教頭先生が皆さんの指導教員を引き受けてくださることになりました」
その瞬間、事の成り行きを黙って見ていた教頭が、軽く会釈をした。
「もちろん専門的な指導は難しいかもしれませんが、論文としての完成度を高めるためのアドバイスや評価などは他の卒業論文と同様に行ってくださいます」
「……あの、特例ってことなら、森川先生に指導を続けていただくわけにはいかないのでしょうか?」
愛生の質問に、先生は一瞬ためらうような仕草を見せる。嫌な予感を覚える中、先生は努めて冷静に事実を告げる。
「……森川先生は、三月末で本校を去ることが決まりました」
その瞬間、莉緒の方から息を呑む気配がした。
「う……そ、ですよね?」
愛生が驚きに目を見開く中、先生は淡々と言葉を繰り返す。
「嘘ではありません。本人も納得していることです」
「そんな……」
愛生は言葉を失ってしまったが、代わりになにか言えるほどの余力は、私達には残されていなかった。
「……皆さんのショックもよく分かりますが、これは決定事項ですからご理解ください」
「……」
その後、先生たちが会議室を去っても、私達は何も出来なかった。
ただただ目の前の現実が受け入れられなくて、机の上を見つめていた。
コンコンコン……
その時、控えめなノックの音がして、私達は顔を上げる。いつまでもここにいるわけにはいかないし、先生の誰かが声をかけに来たのだと思った。
「失礼しま~す」
しかし、私達の返事も待たずに入室してきたその人は、私達が今、誰よりも会いたい人だった。
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