第53話 約束

「「「「ミライさん!」」」」


 四人分の声が部屋に響き渡る。


「わ〜、息ぴったり」


 ミライさんはいつもの明るい声でそう言うけれど、私達はそれどころではなかった。


「一体どういうことですか!? 何がどうなってるんです!?」


 全員でミライさんに詰め寄ると、ミライさんは困った笑顔をみせる。


「えーっと、ひとまず落ち着いて? 冷静にお話しましょう」


 全く冷静になれる自信はなかったが、それでもまずはミライさんの話を聞くべきだろう。私達は互いにアイコンタクトでそれを確認すると、黙ってうなずいた。


「ふぅ。じゃあ、えっと、みんなはどういう説明を受けたの?」




「なるほどね。結論から言うと、全部間違いありません」


 その発言に、私達は先程と同様のショックを受けた。


「全部って……」


 愛生の未だかつてないか細い声に、ミライさんは悲しそうに笑った。


「うん、だから、全部。学校に内緒で指導教員をやっていたことも、それがバレちゃったことも、それから三月末で私がいなくなることも」


 その瞬間、ついに莉緒が泣き始めた。


「莉緒……」


 私がそっと声をかける中、ミライさんは深く頭を下げた。


「……みんなを傷つけるようなことをしちゃって、本当にごめんなさい。代わりにもならないけど、それでもみんなが研究を続けられる道だけは残したつもりです」


 ガターン!


 その瞬間、愛生が勢いよく立ち上がり、はずみで椅子がひっくり返った。


「ま、愛生……?」


 声をかけてみたものの、愛生はうつむいたまま微動だにしない。それでも何か、激しい感情が渦巻いていることは理解できた。


「……せいですよね」


「え?」


 声が小さすぎて前半がうまく聞き取れなかった。すると、バッと愛生が顔を上げる。その顔は苦痛に歪んでいた。


「俺が無理を言ったせい、ですよね」


 絞り出すようなその声は、確かに震えていた。


「……違うよ」


 ミライさんは顔を下げたまま否定した。


「違くない……ですよね?」


 愛生がもう一度確認するようにそう言うと、朔空が割り込む。


「あの、まずは顔を上げて下さいませんか」


 するとミライさんはゆっくりと顔を上げた。それを確認すると、朔空は淡々と語り始める。


「先ほど、『この分野の指導ができる先生はいない』と言われました。つまり、ミライさんが引き受けてくださらなければ、俺達はクィア研究が出来なかったということです」


 それは、色々な先生に交渉して断わられたことからも、先程『特例』と言っていたことからも事実だろう。


「ミライさん、最初から分かってたんじゃないですか? こうなること、分かってて、それでも俺たちのために引き受けてくれたんじゃないですか?」


 その時、点と点が線でつながったような気がした。


『自主性を重んじてるからね』

『二年生の間に研究計画書まで終わらせるべきって感じ』


 ミライさんがいつも一歩引いていたわけ。二年生の間に研究の方向性を決めさせようとしていたわけ。

 それは、自分がいつかいなくなることを見越していたからだ。自分がいなくなっても、私たちが困らないようにするためだったんだ。


 ギリッ……


 その時、愛生が歯を食いしばったのが分かった。


 多分、誰よりも責任を感じているのは愛生なのだ。最初に声をあげたのも愛生で、ミライさんに頼み込んだのも愛生だから。


「あのね~、さっきから言ってるけど、違うからね? 先生たちも言ってたでしょ? みんなは全然悪くないんだよ」


 ミライさんが笑ってそう言うから、私も耐えきれなくなって涙がこぼれた。


「全部私が決めたことだよ? 断ることだって出来たんだから」


「でも、俺……ミライさんが断ろうとしてたの分かったのに……。無理に、頼んでしまいました」


 そう語る愛生の肩は、確かに小刻みに震えていた。愛生の気持ちも痛いほどよく分かって、私はだた涙を流すことしかできない。


「それだよ〜。だからね。私がみんなの研究を見てみたくなっちゃったんだよ。みんなのためじゃなくて、あくまで自分の好奇心のため」


 そんなミライさんの優しさが、今は胸を締め付けた。


 ミライさんが決めたこと。それは間違いないだろう。それでも、私達が頼まなければ、ミライさんは来年度もここにいられたかもしれない。


 そう思うとどうしようもない後悔が押し寄せて、私は唇をきつく噛んだ。


「だからさ。それでもみんなが悪いと思っちゃうなら、私のわがままを聞いてくれたら嬉しいな」


「わがまま?」


 思わずそう尋ねると、ミライさんはニッと笑った。


「みんなの完成した研究論文、絶対読ませてよね」


 その笑顔があまりに眩しくて、私は何度もうなずいた。


「……金賞とります」


「え?」


「金賞、とります」


 聞き返したミライさんに、朔空がもう一度そう告げた。


「金賞?」


 ミライさんの疑問に、朔空が応じる。


「卒業論文のうち、優秀なものは表彰されるんです。上から金賞、銀賞、それから審査員特別賞。銀賞の数は年によって変わることもあるみたいですが、だいたい金賞一つ、銀賞二つ、審査員特別賞一つです」


 つまり、全部で四つ。


「なら、私達で総取りしよう」


 そんな過激なことを言ったのは、他でもない、莉緒だった。


「莉緒……」


「それで、この研究は素晴らしいんだって、ミライさんは、間違ってなかったって、認めてもらおうよ」


 まさか、私達の中で一番平和主義者の莉緒がそんなことを言うなんて、誰が想像しただろう。


 もう、莉緒の瞳は涙で濡れてなどいなかった。そこに宿るのは、強い強い決意の炎。


「あーあ、先に言われたな」


 愛生は大げさに残念そうな仕草をする。


「はぁ。俺は研究さえできればそれで良かったのに。賞なんて面倒なもん、取らなきゃいけなくなったじゃんよ」


 そう言いつつ、愛生も気合が入ったみたいだ。責任を感じてうつむいていた愛生は、もうどこにもいなかった。


「……一年後、みんなの論文を読むの、楽しみにしてるね」


 ミライさんは最後にそう言い残して、私達の学校から姿を消した。

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