第47話 今から変えてもいいですか?

「研究計画書……ですか」


 私はゴクリと喉を鳴らした。いよいよ本格的な研究活動が始まるのかと思うと、改めて身が引き締まる思いだ。


「うん。まあ、そんなに肩肘張らなくて大丈夫! それにまずはテーマを決めないとね」


 若干緊迫した空気が流れる中、一人のほほんとしたままミライさんが言った。


「あ、そうですよね。テーマ、か……」


 莉緒が独り言のようにそう言った。すると愛生が静かに手をあげる。


 そういえば愛生はだいぶ前から研究テーマが決まっていたから、私達より一歩先に進んでいると言える。


 今回も『俺はもう決まってますがどうしたらいいですか』といった質問をするのだろう。


「あの、研究テーマって途中で変えてもいいんでしょうか」


 しかしそれは私の予想と異なるものだった。


「うーん。それは時と場合によると思うよ?」


 ミライさんのもっともらしい意見に、愛生はうなずく。


「え、ちょっと何? どういうこと?」


 私が思わず尋ねると、愛生は苦笑いを浮かべる。


「あー……うん。実は、研究テーマ変えたほうがいいかなって思い始めてさ」


「「「え!?」」」


 それに私と朔空と莉緒が驚きの声をあげる。


「え……まさか、クィア研究やめちゃうの?」


 莉緒がそう聞いて、すかさず愛生が答える。


「まさか! それはないけど、俺が前からやりたいと思ってたテーマは、ちょっと違うかなと思ったんだ」


「それって『まだ自覚がないだけの潜在的なクィアがいるはず』ってやつか?」


 朔空の問いに愛生はうなずく。


「え、なんで?」


 質問攻めになってしまうけれど、聞かずにはいられなかった。それは愛生のやる気の源だったろうし、そんな愛生に私達は引っ張られてきたのだから。


 すると愛生はポリポリと頬をかくと、ばつの悪そうな表情を浮かべる。


「あー……端的に言うと、反対に遭ったから、かな……」


「え、それだけ?」


 私は思わずそう言ってしまう。

 何せあの愛生である。ミライさんに指導教員を断られそうになった時、代わりにミライさんの上司を説得するとまで啖呵を切ったあの愛生だ。

 たかが誰かの反対に遭ったくらいでテーマを変えるだろうか。


「えーっと、ちなみに誰から反対されたの?」


 莉緒が愛生の様子を伺いながら尋ねる。


「…………せい」


「え?」


 あまりにボソボソと話すのでうまく聞き取れなかった。

 すると愛生は観念したように大きくため息をつくと、先程よりはっきりと言葉を発する。


「栗山先生」


「えっと、確か栗山先生って……」


 朔空がみんなの顔を見回しながらそう言うと、莉緒が言葉を引き継ぐ。


「クィア研究の先生だね。確か、愛生が憧れてるとかって……」


「え、でもなんで栗山先生?」


 なぜ付属校とはいえ高校生の卒論のテーマに大学の先生が絡んでくるのだろう。


 すると愛生が事情を説明する。


「実は、せっかくの夏休みだから、栗山先生と話せないかなと思ってメールしてみたんだ。そしたらわざわざ時間を作ってくれてさ。まあ、三十分だけだったけど」


「えぇ!?」


 これには驚いてしまう。行動力の塊だとは思っていたけれど、流石というかなんというか。


「それで、卒論の話をしたら、まあ、反対されたというか説得されたというか」


「何を言われたの?」


 尋ねたのはミライさんだった。私もそれは気になる。いくら憧れの先生とはいえ、生半可な言葉で納得するほど愛生は単純ではない。


「えーっと、まあ、色々言われました。歴史とか、背景とか、言葉の意味とか、そういう諸々の基礎の勉強がまだ足りないとか、理解が浅いとか」


 私達は静かにうなずいた。愛生は頑張っている方だと思うけれど、まだ高校生で、勉強だって始めたばかりだ。大学の先生からすればそう思うのは当然だろう。


「それでまあ、それは置いておいたとしても、研究というのは、その目的や影響のことを考えないと、ただの自己満足で、利己主義になってしまう、と」


「あはは、くりりんっぽい」


 ミライさんが笑ってそう言うと、莉緒が神妙な面持ちで話し始める。


「それなんだけど、私も実はちょっと気になってた」


「え、そうなの?」


 私が驚きとともにそう言うと、莉緒は静かにうなずいた。


「愛生の研究ってさ、気をつけないと大変なことになる気がするというか」


「大変なこと?」


 今度は朔空が疑問を口にする。


「ジェンダーもセクシュアリティも、大切なのは自認でしょ。それなのに、特徴があるからと潜在的なクィアに一方的に認定して集計して発表するって、かなり危険じゃないかな」


「言われてみれば……」


 私だって、今となってはもうほぼ受け入れつつあるけれど、愛生から指摘された当初は困惑した。


 愛生が研究成果を発表する際、『この特徴を持つ人はこのクィアとして集計します』という説明を書けば、必然的にそれに当てはまる人は『自分もクィアなのかもしれない』と意識せざるを得ないし、『勝手にクィアにするな』と怒るかもしれない。


 それに、数字上とはいえ、具体的に『この学校には○名の潜在的クィアがいますよ』と発表すれば、下手したら犯人探し、クィア探しに発展しかねない。


「はは、すごいな莉緒。全く同じことを先生に言われたよ」


 愛生は苦笑した。


「もちろんお金をもらってるわけでもない研究で、自己満足のものがあってもいいだろうけど、特に人を対象とした研究は、その研究の先に人がいることを忘れたらおしまいだってさ」


 それは愛生の研究テーマを否定する言葉なのに、どこか嬉しそうで誇らしげだった。


「愛生は、それでいいの?」


 確認するように尋ねると、愛生は笑った。


「あの栗山先生がさ、たかだか高校生の卒論に、本気で向き合って、言葉をかけてくれたんだ。俺は納得したし、すごい満足」


 愛生は頑固だけど、一途で真っ直ぐで、好きなことに純粋にひたむきで、それはなんだかちょっと妬けてしまうくらいかっこよかった。

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