進め、クィア研究会

第27話 呼ばれたい名前

「え? あれれ? なんか増えてない?」


 先生は戸惑いがちにそう言った。


「すいません、何か気づいたらこうなってまして」


 私が申し訳なさそうにそう言うと、先生は子供がいたずらを思いついたような表情を浮かべた後、困った顔を作る。


「えー? 次に会うとき、さらに倍になってたりしないよね?」


 それにどう答えるべきかと逡巡していると、横から愛生が口を挟んだ。


「先生、俺たちアメーバじゃないんで」


 すると先生はとても満足そうに笑った。


 何だか手柄を横取りされたような気がして若干のいら立ちを覚えたけれど、別にここは漫才師の養成所ではない。


「そんなことより早速話を始めましょう」


 咳払いしてそう言うと、先生は『は~い』と間延びした返事をした。




 結局クィア研究の参加者は、発起人の愛生を筆頭に、私、莉緒、朔空が加わり四人となっていた。


 そして、まずはそのことを報告しようと思っていたところに、先生の方から『今度の放課後、相談室へ集合』という連絡が来たのである。


 いよいよ始動ということで、愛生はそれはもう楽しみにしていたし、莉緒も莉緒で落ち着かない様子でそわそわしていて、朔空は私たちに比べれば落ち着いていたけれど、どこか緊張している様を見せていた。


 そうして迎えた当日。相談室に集まった私たちを待ち受けていたのが、まさに冒頭の一幕だった。




「じゃあ早速だけど、みんなはそれぞれお互いのことは知ってるの?」


 先生にそう聞かれ、朔空が答える。


「自分は茂木君と比嘉さんのことは知ってますが、田崎さんのことはよく知りません」


「俺もです」


 それに愛生も続く。


「あ、えっと、私もお二人のことは比嘉さんから聞いたことはありますが、直接話したことはあまりないです」


 更に莉緒がそれに続いて、最後に私も先生の質問に答える。


「私は全員と面識があります」


 すると先生は何度かうなずきながら、ホワイトボードに『呼ばれたい名前(※敬称含む)』と書いた……はずだ。いや、読めるのだが、何というか、そう、それはとても味のある字、というやつだった。


「あ、あの~もしよろしければ、書記をやりましょうか」


 遠慮がちに莉緒がそう言うと、先生は満面の笑みを浮かべる。


「え、いいの? ありがとう。助かります」


「あ、はい。こちらこそありがとうございます」


 なぜ莉緒がお礼を言うのかはわからなかったけれど、一瞬流れた気まずい空気はそれで払拭された。


「おほん。では気を取り直して、お互いよく知っている人もいない人もいるだろうけど、とりあえず、なんて呼べばいいのかわからないと会話するのは難しいので、まずは『呼ばれたい名前』を教えてください。ちなみに敬称含むっていうのは、『さん』とか『君』とか『ちゃん』とか、そういうやつね。何か質問ある?」


 すると朔空がすっと手を挙げた。


「あの、なんでわざわざ『呼ばれたい名前』なんですか? 苗字に『さん』じゃ駄目なんですか?」


 朔空のその質問に、先生はにっこりと笑った。


「とてもいい質問だね! ここでは当たり前を疑う、というのを是非意識してほしいから、疑問に思ったことをためらわずに発言するのはすっごく大事なことだよ」


 先生の発言を受け、朔空は少し照れ臭そうにうなずいた。


「それで、なんで『呼ばれたい名前』なのかってことだけど、みんなは自分の名前に疑問を持ったことはある?」


「名前に疑問、ですか?」


 私がそう言うと、先生はゆっくりとうなずいた。


「自分は特にないですね」


 朔空がさらっと答える。


「えっと、私もです」


 それに莉緒が続いた。私もそれに続こうとしたけれど、その時ふと思いだしたことがあって、代わりにそれを口にした。


「私は、疑問ってわけじゃないですけど、『華恋』って、華やかな恋って書くんですが。その、私、恋が良くわからなくて……。それなのに『華恋』って、なんか名前負けしてるっていうか、相応しくないなって思うときはあります」


 なんとなく思っていたことを口に出しただけなのだけれど、みんなは神妙に頷いた。


「それで言うと、俺も。『愛生』って、愛が生えるって書いて、愛が芽生えるようにって意味らしいんだけど、同じように思ったことはある。そんなひねらないで、単純に、学問の『学』の方が俺には合ってたのにな」


 愛生がそんな風に思っていたなんてちっとも知らなかった。でも、愛生もリスロマンティックで、恋や愛に悩んだことのある人だから、その気持ちはとてもよく理解できた。


「そうね。私の友人が『名前は親から与えられる最初の呪い』なんて言ってた。それはまあ、ちょっと言い過ぎな気もするけど、でもそれくらい自分の名前に違和感を覚えている人もいるのね」


 私たちの話を聞いて、先生はそう言った。するとすかさず愛生が反応する。


「それって、トランスジェンダーの人とかですか」


 そんな愛生に、先生は微笑みを浮かべる。


「そうだね。もちろんトランスジェンダーの人の中にも色々な人がいるから、全員が全員そうじゃないし、トランスジェンダーかどうかに関わらず、自分の名前に違和感がある人はいる。だからこそ、私は初めて会った人には、必ず『呼ばれたい名前』を聞いてるの。それは戸籍上の名前とは関係のない名前でいい。自分を肯定できる名前を教えてほしいから」


 私が初めて相談室を訪れたときも、先生は『氏名』ではなく『呼ばれたい名前』を聞いてくれた。それにこんな意図が隠されていたなんてちっとも知らなかった。


 ここにきてまだ数分だけど、改めてとても奥深い分野なのだということに、私はドキドキした。それはプレゼントの箱を開けるときの、あのワクワクとしたドキドキに似ていた。

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