第25話 理由は言えない

「え、いや、うん……。クィア研究ってのが何なのかは、まあなんとなくわかったけど……。しかし、なんでまた?」


 若干混乱の残る頭で朔空はそう言った。まあ、いきなり聞いたこともない単語を聞かされ、それに部活の仲間が夢中になって、あげくそのまま部活を辞めてしまったなんて、受け入れがたいことだろう。


「えーっと、理由は本人に聞いたら?」


 とはいえ、愛生が興味を持った理由を話すのはアウティングになる。だからそれを私の口から話すことはできなかった。


「まあそうなんだけど、聞いてもはぐらかされるんだよな……」


 朔空は力なくそう言った。


 ということは、愛生は朔空に自分のセクシュアリティを話す気はないのだろう。そう考えると、卒論のこと自体、伝えるのは適切ではなかったのかもしれない。




 人が何かを始める、あるいは何かに取り組んでいるというとき、そのきっかけをつい聞いてしまいがちだ。


 だけど、この分野に関しては、それが秘密を打ち明ける、カミングアウトを強要することと紙一重なのだろう。


 他の理由がある人はそれを伝えれば良い。でも、自分がクィア当事者だから興味を持ったという場合。


 素直にカミングアウトできる人、もしくはその関係性が出来上がっている人同士なら問題ない。でも、そうではない場合、カミングアウトをするのか、適当にはぐらかすのかという選択を、相手に強いることになる。


 前者を選んだ場合、お互いの関係性が壊れるリスクを伴う。もちろん壊れない可能性だって十分にあるけれど、まだまだクィアに対する理解が浸透していないこの世の中で、それがどんなにハードルが高いことか。


 後者を選んだ場合も、そういうことにうまく対処できる人だったら良いけれど、はぐらかす、ひいては嘘をつくことが苦手な人だっている。それに、そういうことをした自分に罪悪感を抱くかもしれない。


 聞いた側だって、カミングアウトを受け入れる準備ができているとは限らないし、なんとなく聞いてはいけないことを聞いてしまったということを察して、そこから変に誤解したり気まずくなったりするかもしれない。


 一方で、この分野ではなかったら、例えばダンスを始めたとか昔から書道をやっているとか、そういう時は聞けることが、クィアについて勉強を始めた、だった場合に、急によそよそしくなるのもそれはそれで遠巻きにしているように感じる。


 では、どう接したら正解なのだろう。




「華恋は理由を知ってるのか?」


 ごちゃごちゃと考えていたら、朔空にそう聞かれてしまった。


「えっと、まあ……」


 答えを準備する間もなく、私はあいまいにそう答える。


「そうか……」


 しかし、朔空はそれ以上追求してくることはなかった。


 それにほっとしている自分がいる一方で、この先、また何度もこんな場面に遭遇するかもしれないと思ったら、ちゃんと向き合わなければならない問題だと改めて思った。




「えっと、愛生になんで部活辞めたのか聞いてみようか?」


 私は気を取り直して朔空に尋ねる。


 理由についてはクィア研究でほぼ間違いないと思うし、何より愛生の性格上、理由は教えてくれても、私の意見に耳を貸すことはないように思う。


 それに、私自身も愛生を説得してまで無理矢理部活に復帰させる気はさらさらない。


 それでも、心配している友人のことや部活のことは、知っておいても良いのではないかと思った。


「んー……。でもあいつ、頑固だからな」


 そう言って朔空は笑った。


「それがわかってるのになんで聞いてきたわけ?」


 改めてそう尋ねると、朔空はしばらく考え込んだ後、おもむろに口を開く。


「いや、別に恋に浮かれているだけだったら、部活に復帰する可能性もあるんじゃないかと思ったんだよ。でも、そうじゃないなら難しいよな」


 私に、というよりは、どちらかというと自分に言い聞かせているような話し方だった。


「恋なら部活に復帰できて、そうじゃなかったら無理なの? それって、恋を軽視してない?」


 私がそう言うと、朔空は驚いた様子でこちらを見た。『お前がそれを言うのか?』とその目が語っていた。


「いや、もちろん私は周りが見えなくなるほどの恋なんて、というかただの恋(?)もしたことないから分からないけど。でも、少なくともそういうタイプの人もいると思うし、それを他人が否定するのは違うんじゃないかなって思っただけだよ」


 恋愛至上主義に関しては、私も苦しめられたことがあるけれど。だからと言って、人が大切にしていることを他人が評価するのは、まして勝手にくだらないことにするのは、それこそ恋愛至上主義を押し付けてくる人と一緒ではないだろうか。


「……なんか華恋、変わった?」


「え、そうかな?」


 自分ではよくわからない。でも、クィア研究のことを知って、愛生からもちょくちょくその手の話を聞かされるうちに、よく色々なことを考えるようになった、とは思う。愛生自身の影響というのも、少なからずあるとは思うけれど。


「わかんないけど、私も卒論のテーマはクィアにしようかと思ってて、それでかな?」


 そう言ったら、朔空は何かまた考え込むように押し黙った。朔空は何やら考え込んでいるようだけれど、ひとまず私が朔空と話すべきことは今のところもうないだろう。そう思って、私は朔空に声をかける。


「じゃあ、とりあえず愛生にはどんな話をしたのかは伝えるけど。期待はしないでね」


 そう言って席を立とうとする。


「ちょっと待て」


 すると、朔空にそれを制される。


「何?」


 まだ何か話すことがあるのかと、少しいぶかし気に尋ねると、朔空はこちらに顔を向けた。


「俺も、クィア研究に参加したい」


 その炎の灯った瞳には、確かに見覚えがあった。

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