第15話 心当たり

「まあ、そうだね」


 私が若干視線を逸らしつつ肯定すると、愛生は驚愕に目を見開いた。


「マジ⁉ だったら先に言ってくれよ!」


 詰め寄るようにそう言う愛生に私は慌ててしまう。


「ご、ごめん、自信満々に染谷先生の名前をあげるから、何か理由があるのかと思って」


 私がそう答えると、愛生はがっくりと肩を落とした。


「いや、自信満々に見えたかもしれないけど、消去法? 別に深い理由はなかったんだよ」


 その様子に、申し訳ない気持ちが込み上げる。もし私が染谷先生の名前を聞いた時点で愛生にこの話をしていたら、愛生は傷つかずに済んだかもしれない。


 けれど、私には積極的にその先生のことを話すのに躊躇する理由があった。


「で、誰?」


 愛生がそう聞いてきて、私は若干緊張しつつもその名を明かす。


「森川先生」


「森川先生……?」


 愛生は先生の名前に心当たりがないようで訝し気な表情を浮かべている。だから私は仕方なく森川先生についての追加情報を述べた。


「相談室にいる先生だよ」


「相談室……。あぁ、保健室の横にあるやつか」


 そこでようやく愛生は合点がいったのか、ポンと手を叩く。ここで話を終えてくれればよかったのだが、そうは問屋が卸さなかった。


「しかし華恋、よく知ってたな」


 愛生がそう言って、私は内心の焦りを隠しながら、なんてことないように言葉を返す。


「ま、まあね。たまたま知る機会があって」


 お願いだから空気を読んでくれ、という願いを込めてそう言ったけれど、愛生はそんな私の気持ちに気づいていないのか、話を続けようとする。


「たまたま……? それでよくその先生がクィアの専門知識があるなんてわかったな? そもそもなんか接点があったのか?」


 純粋な疑問をぶつけてくる愛生に、私はむしろ怒りを覚えた。相談室の先生と接点をもつ理由など、少し考えればわかりそうなものなのに。


「私が森川先生とどういう接点があるかなんて、愛生に関係なくない?」


 不機嫌を隠しもせずにそう言うと、愛生は少しひるんだようだった。


「あ……ま、まあそうだよな」


 そこでようやくこの話は触れてはいけないと悟ってくれたのか、愛生はそれ以上追及してくることはなかった。




 その足で相談室を訪ねるも、森川先生はいらっしゃらなかったので、私たちの先生探しは一旦そこで打ち止めとなった。


「次にいらっしゃるのが金曜日なら、交渉は金曜日だね」


「……そうだな」


 私の言葉に愛生は力なく同意した。先ほどは少し強く言いすぎてしまったかもしれないと思いつつ、謝るのも何か違うような気がして何も言えず、私たちの間には微妙な気まずさがあった。


「……じゃあ、今日は帰ろうか」


 私がそう提案すると、愛生は静かにうなずいた。このまま一緒に帰るのも気が引けて、適当な理由でもつけて解散すべきかと考えていると、愛生がゆっくりと口を開いた。


「あの、さっきは悪かった」


 愛生のその言葉にはとても純粋な謝罪の気持ちが込められていたけれど、私はどう反応して良いかわからなかった。


「なんで謝るの?」


 これではまるで本当に怒っているかのようだけれど、他に言葉が思いつかなかった。


「少し、配慮に欠けてたと思ったから」


 落ち込んでいる様子の愛生に、逆に私の方が悪いことをしたような気分になってくる。


「別に、謝るほどのことじゃないと思うけど」


 もう少しうまい言い方があるのではないかとは思うけれど、正直に言えば、まだ自分の中でもモヤモヤとしたものがあって、うまく考えがまとまらなかった。


「そう、かな」


 愛生は愛生でそれ以上どうしたら良いのかわからないようで、それだけ言うと黙り込んだ。


「……」


 そうしてしばらく二人して黙り込んでいたら、私の方が重い空気に耐えきれなくなった。


「あー、えっと、なんかごめん」


 気付いたら謝罪の言葉を口にしていて、そんな私に慌てた様子で愛生が応じる。


「え、いや、悪いのは俺の方だろ」


「違、そうじゃなくて」


 私はそう言うと、思考がまとまらない中、思いついたことをそのまま伝える。


「えっと、確かにちょっと触れてほしくない話題ではあったけど、私ももう少し言い方を考えればよかったというか、気になるに決まってるし……。だから愛生はあんまり悪くないと思うけど、イラっとはしちゃって、だからそんな自分に対してばつが悪くなっちゃったというか……。だからもう謝んないで」


 私の言いたいことがちゃんと伝わったのかはわからなかったけれど、愛生は私の言葉を受けて、少し困ったように笑った。


「じゃ、お互い様ってことでいいか?」


 返ってきたのはたった一言だったけれど、それでもなんだか救われた気持ちになって、私は静かにうなずいた。


 ◇ ◇ ◇


 それは半年ほど前のことだった。


 私は相談室の前をうろうろとさまよっていた。


 その日はもちろん相談したいことがあったから相談室までやって来たのだが、いざとなると自分の抱えている悩みが相談室を利用するに値するものなのか判断がつかず、入るかどうか迷っていたからだ。


「何してるの?」


「ひゃ!」


 すると突然後ろから声をかけられ、私は驚きに声をあげた。


「わわ、ごめんね、驚かせちゃったかな?」


 振り返った先に立っていた人物が申し訳なさそうにそう言うので、私は慌てて居住まいを正した。


「あ、いえ、大丈夫です」


 私がそう言うと、その人はとても人懐っこい笑みを浮かべた。


「それなら良かった。ついでに少しミライさんと世間話でもしていかない?」


 突然そんなことを言ったその人のネームプレートには、『森川未来』と書かれていた。

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