第13話 多数派とは
「二年生のこの時期から卒論に取りかかろうなんて関心、関心!」
先生は明朗快活を絵にかいたような笑顔でそう言った。
「いえ、やはりどうせやるからには良いものを残したいですからね」
愛生の先生受けを狙ったその対応に、若干ニヤけそうになるのをこらえながら、私もそれに同意するかのようにうなずいた。
「うん、素晴らしい心がけだ」
それに先生もご満悦の様子。これならあっさり指導教員を引き受けてくれるのではないだろうか。
「研究テーマは既に何か考えてる?」
そんな先生の質問に、愛生は待ってましたと言わんばかりに目を輝かせた。
「はい! 実は既に考えているテーマがあるんです」
愛生の前のめりなその姿勢に、先生自身もワクワクしているようだ。
「何?」
「『多数派は本当に多数派なのか』です」
「面白い!」
先生はカッと目を見開いてそう言った。まだ詳しい説明はしていないのに、このたった一言で内容がわかったのだろうか。
「ありがとうございます! そう言っていただけて嬉しいです!」
愛生は愛生で本当に嬉しそうにそう言った。もしや事前にある程度根回しをしていたのだろうか。若干ついていけない私を残して、先生も興奮した様子で会話を続ける。
「実にいいテーマだね。私はマスメディアの投票行動への影響なんかに興味があってね。多数派がいかにして作られるかというメカニズムは社会学的、心理学的、あるいは経済学的アプローチでも非常に面白い考察ができると思うよ」
『うん。先生、それ全然違います』
熱く語っている先生には申し訳ないけれども、そう言いたくなるのを、しかし私はグッとこらえた。
どうにも話がうまく行き過ぎているとは思ったけれど、どうやら勘違いだったようだ。そもそも政治に関心のある先生なのだから、多数派と言われれば、そっちの分野のそれだと思うのは当然と言えば当然だ。
「先生、そのテーマも非常に面白いとは思うのですが、僕がやりたいのはクィアに関することなんです」
愛生は少し困ったようにそう言った。
「クィア?」
「えっと、つまり、僕が研究したいのは性的マイノリティとマジョリティに関することです」
愛生がそう言い直すと、やっと先生は合点がいったようだった。
「ああ、LGBTか」
先生のその発言に、愛生は頷いた。
その時、とても小さな変化ではあったけれど、愛生の顔には少し不満気な表情があった。それは本当に小さな変化だったから、恐らく先生は気付いていないと思う。だけど、私にはわかった。
いつだったか、私がLGBTという単語を使った時、愛生はその単語は好きではないと言っていた。そうではなくて、LGBTQ+かクィアを使って欲しい、と。
私にはいまだにその理由がわからないけれど、愛生にとっては重要なことだと言っていた。
もちろん今は交渉の最中だから、そんな揚げ足をとるようなことはしない方がいい。だから、愛生がそこで気分を害したことは、私の心の中にそっと留めておくことにした。
「多数派ってそういうことか……」
一方先生はというと、こちらも明らかにトーンダウンしている。
「もう少し具体的にやりたいことを聞かせてくれる?」
それでも先生は熱心に愛生の話を聞いてくれたけれど、その様子から雲行きが怪しくなってきたということは私にも理解できた。
「う〜ん……」
愛生が一通り説明を終えても、先生の表情はすぐれない。なんとなくではあるが、話を理解しようとしているというよりは、どうやって断ろうかと悩んでいるように見える。愛生もそれがわかったのか、必死に食い下がろうとする。
「先生にご迷惑をかけるつもりはありません。研究は自分で行いますし、たまに相談に乗っていただければ十分です」
しかし、この説得は悪手だったようだ。
「そうは言うけど、正直に言って、私はそちらの分野の知識はないから、相談に乗ることも難しいと思う。もちろん論文の書き方、みたいな基本的なサポートはできるけど、指導教員として無責任なことはできないから、その分野で書くなら私が担当するべきではないと思う」
真面目でやる気のある先生だからこその誠実な回答だった。
その後も説得を試みたけれど、結果は変わらず、私たちの最初のオファーは残念な結果で幕を閉じたのだった。
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