第11話 恋は落ちるもの

 愛生の言葉の一つ一つを丁寧に拾い上げられたら良かった。私の純粋で、それでいてとても残酷な疑問に、それでも愛生はたくさんの言葉で返してくれたのに。私のちっぽけな頭では、それらすべてに応えるのはとても難しいことだった。


「恋と戦争はあらゆる戦術が許されるって。だからそこに良い悪いは存在しなくて、勝った方が正義で、恋愛においての勝者は、多分自分の心を守り切った方だと思う」


 だから私は最後の言葉に答えることに集中した。頭をフル回転させながら、必死に言葉を紡いだ。そんな私の言葉を、愛生は肯定も否定もしなかった。


「……だから?」


 その声音はどこか優しくて、本当に後に続く言葉を待ち望んでくれているような気がした。だから私はもうごちゃごちゃ考えるのをやめた。顔をあげて、愛生にはっきりと、心の中にある言葉をそのまま伝えた。


「だから、要は開き直ったもん勝ちってこと!」


 少し力みすぎて声が上ずったような気もしたけれど、目を見てはっきりと言ってやった。すると愛生は本日三度目の石化を見せ、そしてまた盛大に笑い転げた。


「ぶっ! あははははははははは!」


 それは呆れているわけでも、もちろん嘲笑しているわけでもない。とてもとても純粋な〝笑い〟だったと思う。


「あ、あはは、あははははは」


 だから私も何だかつられて笑ってしまった。その瞬間、私たちは二人して、夕陽を前に笑い転げる、かなり迷惑なお客様になったのだった。




「あー、やばい。こんなに笑ったのいつぶりだろ」


 気付けばすっかり夕陽は姿を消していた。


「さぁ、知らないけど」


 私が内心の気恥ずかしさを誤魔化す様にそう答えると、愛生はニッと笑った。


「『開き直ったもん勝ち』って良い考えだと思うよ。だから俺も、例え矛盾と言われようと、このスタイルを貫くことにする」


 それは先刻の私の発言に対する嫌味なのだろうか。それとも、それこそ私の発言が矛盾していることを指摘しているのだろうか。それはわからなかったけれど、私もお返しにニッと笑って返事をした。


「ま、愛生がそうしたいならそうしたら?」


 すると、ふいに愛生が出口の方に向かって歩き始めた。突然の方向転換に驚きつつ、私は慌ててその背を追いかける。


「ちょ、ちょっと、急にどうしたの?」


「……このタワー、もうすぐ閉まるから。そろそろ出ないと」


 少しぶっきらぼうに愛生が答えて、なるほど、とは思ったけれど、ならば先に声をかければいいものを、と少し呆れた。


「今日一日過ごしてみて、思ったんだけど」


「……何?」


 先刻の私と同じように愛生がそう言って、私は心臓がドキリとはねたのを感じた。努めて冷静に返事をしたけれど、冷や汗がにじみ出るのを止めることはできなかった。


 先ほどは笑ってくれたけれど、どう考えても私の発言は失言だった。『この関係を終わらせよう』。そう言われてもおかしくはない。そう思うと、私は怖くて愛生の顔を見ることができなかった。


「俺は結構本気で華恋のこと好きになった」


「……は?」


 それは全く予想だにしていない言葉で、思わず愛生の方を見てしまう。すると、数歩先を歩く愛生の耳が、少し赤くなっているような気がした。もしかすると、先ほどの突然の方向転換は、赤くなった顔を見られたくなかったからなのかもしれない。


「え、ちょちょちょ、ちょっと待って」


 私は驚きに思わず足を止めた。


「は? 何? どういうこと?」


 混乱をそのまま言葉にする私に対して、愛生も歩みを止めて首をかしげる。


「何が?」


「なんでいきなり恋してるの、意味が分かんないんだけど」


 これはもしかしてあれなのか。実は愛生はマゾヒストだったというオチなのか。なぜこのタイミングで恋に落ちたのか本当にわからない。


 すると愛生は頬をポリポリとかいた。


「なんでって言われても……。ほら、恋って突然落ちるものだろ? ……ってわかんないか」


 自分でノリ突っ込みをする愛生の顔は妙に幸せそうだけれど、私はこの状況を嘆かずにはいられなかった。


「し、信じられない……。本当にこんな簡単に落ちるものなの? それじゃあ何で私は落ちないの? 一体どうなってるの?」


 すると、愛生は妙案が浮かんだかのように手を叩いた。


「それだ! いいじゃん、それ! 恋に落ちるメカニズムを研究対象にすればいいよ!」


 能天気にそんなことを言う愛生に、ついに私は怒りを覚えた。先ほどまでは悪いと思っていたけれど、もうそんな気持ちは頭の中から消え失せていた。


「愛生はいいよね? 計画通りだもんね? 無事に恋に落ちることが出来て良かったね? このまま私が振り向かなければ目的達成だもんね?」


 地獄の亡者もビックリの恨めしい声でそう言うと、愛生は慌てた。


「わ、悪い。茶化すつもりはなかったんだけど」


 とは言えへらへらとした態度を崩さないから、私の心の炎は勢いを増した。


「悪いと思ってるなら、その恋心をちょっとは分けなさいよ!」


「やば!」


 もはや恋心の妖怪と化した私に、愛生は脱兎の如く逃げ出した。


「あ、こら待て!」


 追いかける私に、愛生は逃げながらもどこか楽しそうに言った。


「分けられないし! 分けたらなくなるからどっちにしろ無理!」




 そうして追いかけまわしながらも考える。もし、この後私が愛生に恋をしても、その恋が成就することはない。なぜならその瞬間に、愛生は私を気持ち悪いと思うからだ。つまりは八方ふさがりじゃないか、と。

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