東京のリストランテを追放されたシェフが富山でオーベルジュを開いたら。

ユキミヤリンドウ/夏風ユキト

朝食はオムレツ、そしてブータンノワール。

 こんなはずじゃなかった。


 東京渋谷のマゼラン二つ星のリストランテでシェフを務めた。

 最後は代替わりしたオーナーから、値段据置で材料の質を下げる、どうせ客には分かりはしない、といわれて、拒絶したら店を一方的に解雇というか追放されてしまったが。


 オーナーからあちこちに手をまわされて再就職もままならず。

 いっそまた海外に出るかと思ったところで、遠い親戚の伝手で実家の富山の方でペンションを一軒相続しないか、と持ち掛けられた。

 富山の外れ、南砺市城端の山に近い場所にあるペンション。


 市街地から離れている、という点を除けば最高の立地だった。

 緑豊かな静かな森の中、その森に少し入った所に立つペンションからは夜は美しい星が見える。近くには大きく澄んだ池もある。

 地元に古い友達に頼んで細やかな退職金と貯金をぶち込み大改装を施して、古いペンションは生まれ変わった。


 最近少し流行しつつある、少数のお客さんを料理でもてなして宿泊してもらう旅籠オーベルジュ

 小さな小屋のような見た目だが、綺麗な黒い壁と大きめにとった窓のガラスがコントラストを描く壁面。雪対策に斜め傾斜を強くした屋根。

 ホールと宿泊棟は別々にして渡り廊下でつないである。景色を見やすくするためだ

 

 名付けて星空の天幕亭パヴィオン・ドゥ・シエル・エトレ

 俺の城だ。


 10年の修業を経て、30少しで独立だ。かなり速い方だと思う。

 こんなことにならなければまだ東京であのレストランにいただろう。災い転じて福となすだな。


 今まではシェフとは言え、店のレシピがあった。自由には作れなかった。

 だが、独立した今は違う。俺の好きにできる。


 記念すべき一番最初のお客は店の改修を手伝ってくれた地元の友人。

 もちろん最高のメニューでもてなすつもりだった。

 メインは池多牛のフィレステーキ、南砺市には少し変わった品種の里いもがある。それを使ったコロッケもいい。


 メインの前の魚料理は旬の魚を使う。

 シンプルに焼くのもいいし、オーブンでグリルにするのもいい。揚げ物風にするのもいい。

 富山湾は白エビやホタルイカが有名だが、独特の地形の恩恵で、他にも沢山の種類の魚が捕れる。


 タイミングが合えばジビエ。イノシシやクマ、シカを使うこともできる。

 富山は食材の宝庫だ。


 とまあ、色々考えていたんだが。正式オープン三日前にまさかこんなことになるとは。

 ……考えていても仕方ない。時計を見ると朝7時。

 そろそろ朝食の支度にかかろう。



 たたきつけるような昨日の夜の雨から一転、今日は奇麗に晴れた。白い爽やかな朝の陽ざしが窓から広々としたホールに差し込んできている。

 広いホールに置いた一枚板の大きめのテーブルに、1人分のランチョンマットを敷いてグラスとフォークとナイフを並べた。

 

 準備を整えた朝7時半、ホールに1人の女の子が姿を現した。

 間違いなく昨日来たお客さんだ。


 雨に濡れた服のかわりにアメニティとして用意した白い部屋着を着ている。

 正直言って……富山の山奥の現れるには似つかわしくない女の子だ。

 20歳前くらいだろうか。美しい金色の髪が大きめの窓から差し込んでくる太陽の光に照らされている。

 とまどったようにその子がホールの入り口で立ち止まってこっちを見た。


「どうぞ、おかけください」 


 お辞儀をして軽く椅子を引く。その子がおずおずと椅子に腰かけた。


「昨日はありがとうございます。助かりました」

「いえ」


 雨の深夜に突然ドアを叩かれて飛び上がりそうになったことを思い出す。

 改めて、昨日のことは夢じゃなかったわけだ

 

「あの……素晴らしい寝心地でした。あれほどの寝台は生れてはじめてです」

「ありがとうございます」


 ベッドにマットレスまでこだわって準備した。そういってもらえると嬉しいもんだな。

 真っ白いテーブルクロスを掛けたテーブルに皿を置く。


 今日の朝食メニューはコンソメスープとバゲット、オムレツ。それに作り置きの加工肉シャルキュトリーだ。

 どれも得意料理だし、味には自信がある。


 しかし記念すべき1人目のお客様に出す最初の一皿としては、なんというか地味に過ぎる。

 もっと十分に吟味した渾身の一皿を出したかったのだ。

 

「ではどうぞ」


 まずは一品目。

 コンソメスープのカップとオムレツの皿を置いた。

 予想外に来たお客さんだったから素材はそんなに多くはないが、卵くらいはある。本来は俺の朝ご飯用だったんだがな。


「頂いていいですか?」


 女の子が言う。

 落ち着いた口調だが、露骨に目が料理にくぎ付けになっているのが可愛いな。


「ええ、どうぞ。すみません、ありあわせのものになりますが」

「いえ、とんでもないです」


 口元を抑えてその子が何かつぶやく。多分食前の祈りだろう。

 その子が恭しく銀のスプーンを取り上げる。


「お好きなソースをかけてお召し上がりください」


 朝食の定番と言えばオムレツだろう。

 白い皿に黄色いオムレツ。その横には赤いケチャップと茶色のソースの二種を小さなポットに入れて添えている。


「卵ですか……こんな贅沢なものを朝から頂けるとは」

 

 その子が嬉しそうに言ってスプーンでオムレツを小分けにして口に運ぶ。

 一口食べると顔をほころばせた。


「これは素晴らしく美味しいですね。中の野菜は沢山入っていて……食感が面白いです。柔らかかったり、ちょっと固かったり」


 そういってその子が言葉を切る。


「それに卵もこのトロリとした感じが……初めて食べました」

「ありがとうございます」

「こんな立派なものを朝餉に供して頂いて……申し訳ないです」


 そういいつつその子がオムレツを小分けにして口に運ぶ。


 外はしっかり火を入れて、中は弱火と余熱で熱を通してわずかに半熟にしたオムレツ。

 中の具は玉葱、ニンジン、ジャガイモ、サトイモ、マッシュルーム、角切りにしたベーコン、ホウレンソウ、それとフレッシュトマト。 

 

 色んな具もそれぞれに火入れを工夫して歯ごたえを変えてある。

 トマトを入れているのが個人的なポイントだ。トマトが具の脂っこさを消してさわやかさを付け加えてくれる。


 ソースは二種類。自家製のトマトケチャップと、トリュフソース。

 どっちも自慢の出来だが……その子はソースをかけることもなく、そのまま食べてしまった。

 

 まあ中の具に下味をつけてあるからソースは無くても食べれる。

 ……せっかくだからソースも味わってほしかった、と思ったが。


「あの、こちらは?」

「ああ、オムレツ用のソースです」


「それは……失礼しました」


 そういってその子がソースをパンにかけて口に入れる。

 しばらく無言のままでソースをかけてはパンを食べる。籠に入れていたパンがあっという間になくなった。

 最後の一口を名残惜しそうに食べて、空になった籠を見る。

 

「あの……できれば、このパンをもう少し……頂くことは、あの」


 俯いたままその子が小声で言う


「ええ、勿論……ですがこの後も料理は出ますよ」

「それは大丈夫です」 


 その子が嬉しそうに笑いながら言った。



 オムレツの皿を下げて2品目をテーブルに置いた。

 その子が興味深そうに皿を覗き込む。


「これはなんなのでしょう?」

「血のパテのパイ包み焼き……『ブータンノワール・アン・クルート』です」


 フランス風血のパテブータンノワールを縦長のパイ皮で包んだ料理だ。見た目は細長い餃子のようにも見えるかもしれない。

 卵液とバターでちょっと照りをつけて焼き上げた表面はキツネ色。真っ白い板皿との色味もいい。


 上にはリンゴをすり潰して煮たソースを少し添えてある。

 これはフランスの定番の組み合わせだ。長く愛されているからこそ伝統になる。伝統に敬意を払うべきだろう。


 その子が少しマナーとは違うが慣れた手つきでパイ皮を切った。サクッと音がしてパイ皮の中から赤褐色のペーストが流れ出てくる

 その子が僅かに顔をしかめた


「これは?」

「血のパテです」


 そう言うとその子が固まった。

 暫く皿を睨みつけて、おっかなびっくりっていう感じでナイフでパイ皮と血のペーストを口に運ぶ。

 

「美味しい……」


 ゆっくりと味わってその子がため息をついて言う。

 こっちとしても緊張の一瞬だったぞ。


「私の村でも作るのです。狩りの得物から取った血の腸詰ムストマカラ。滋養がありますから。でも生臭くて……あまり好きになれません」

「かもしれませんね」


 狩りの獲物……ジビエの血の料理だろうか。鹿かイノシシか。

 ヨーロッパでもごく一部で作られていると聞くが、俺は食べたことが無い。


 血の料理の歴史はかなり長い。

 ただ、美味しく作るのは結構難しい。どうしても生臭さと言うか癖のある味になりがちだ。


 好みがかなり分かれるし、日本では今一つ受け入れられないが。

 伝統的な欧州の料理だからメニューに入れたかった。それにマイナーで美味しい料理は店のウリになる。


「でもこれは……苦いようでもあり甘いようでもあり、本当に複雑な味。こんなに美味しいものを食べたのは初めてです」

「ありがとうございます」

 

「どうやってこんなにおいしくなるのでしょう?」

「生クリームを入れていますので味がまろやかになるんです。あとは香草とかの配合ですね」


 これは俺の手作りだ。

 ラードで大量のタマネギを炒め、シナモンで少し甘味を付けたパテ状にしたブータンノワールをパイ皮に包んで、隠し味にブルーチーズを潜ませた。


 血の癖のある味をシナモンの甘味で和らげて、ブルーチーズの苦みとリンゴのソースの酸味を加えたものだ。

 フランスで修業したときに教えてもらったものに、試行錯誤して日本人にも好まれる味にした。


「ところで、なぜこれをこのサクサクした皮に包んでいるんです?」

フランス風血のパテブータンノワールは食べにくいので」


 そういうと感心したようにその子が頷いた。


「確かにこれなら……食べやすいですし、そう……持ち運びもしやすいですね」


 フランス風血のパテブータンノワールは血で作ったから固まりにくい。

 ナイフで切ると少し食べにくいし皿が汚れて見た目も良くない。


 それを克服するためにパイ皮で包んだ。軽くバターを利かせたパイに染み込めば食べやすくなる。

 それにパイ包み焼きはフレンチっぽいオシャレ感があるのか、試食の時も好評だった。


 あと、こうしておくと保存がきくしお客さんにも出しやすい。

 世知辛いようだが、商売である以上やはりコストは無視できないのだ。それに、食材を無駄にするのは料理人の名折れでもある。

 

 ブータンノワールを食べながら、その子がちらりと壁際の棚に目をやった。

 壁際にはワインボトルが並べてある。


「あの……あれは葡萄酒でしょうか?」

「ええ」


「差し支えなければ、一杯いただけますか?」

「……飲んでいいのですか?」

「何がでしょうか」


 その子がなぜって顔で俺を見る。

 朝から飲むのかよ、ということもあるが……見た目は未成年のように見えなくもない。


 万が一未成年だったら……未成年がアルコールでトラブルなんて起こした日には、開店直後に営業停止になりかねない。

 とはいえ、こういう風に言ってくるってことは飲んだことがあるんだろう。


 フランス風血のパテブータンノワールに赤ワインを合わせようとはなかなかの通だ。見た目より年上なのか。

 それに……改めて彼女を見る。それを論じても仕方ない気がしてきた。


 テーブルにセットしたグラスにワインを注いであげる。赤いワインがグラスを満たした。ふんわりと葡萄の香りが漂う。

 富山の新興ワイナリーが作ったワインだ。柔らかく優しい渋みが良い。


 危なっかしい手つきでグラスを持ってワインを一口飲むと、その子がため息をついて天を仰いだ。

 うっとりした表情で、口にあったらしいと言う事は分かる。


 その後、その子はパンのお代わりまでして、何か色々とつぶやきながらゆっくり時間をかけてを食べ終えた。


 ワインを飲み干して、また口に手を当てて何かつぶやく。

 見慣れない仕草だが、食後の祈りのようにも見えるな。


「素晴らしい食事でした」

「ありがとうございます、そう言ってもらえると光栄です」


 しかし、結構量があったはずだし華奢な体ではあるがよく食べる子だ。パンは軽くバゲット一本分は食べていると思う。

 予期せぬ客では会ったが……それでも記念すべき我がお店の第一号の客だ。

 そのお客をきちんともてなせたのは満足感がある。


「食後のエスプレッソをどうぞ」


 エスプレッソマシンから小さなカップにエスプレッソを注ぐ。

 その子が臭いをかいで一口飲むと顔をしかめた。

 

「苦い……なんでしょう、これは」

「砂糖を入れて飲んでください。ブラックはお勧めできませんよ」



 皿を下げてもう一度席の方に戻った。

 その子が何か考え事をするように窓の外を見ている。

 その子が窓から視線を外して、俺を頭の上から足元まで値踏みするように見た。


「あの、一つお伺いしていいでしょうか?」

「はい、なんなりと」


「あの血の腸詰ムストマカラ……他にもああいうようなお料理はできるのですか?」

「はい、多少なら」


「貴方のお名前は何といわれるのでしょうか?」

「当店のオーナーシェフ、仙谷巽と申します」

 

「センゴクさま……私と取引をしませんか?」

「取引、とは?」


「この血の腸詰ムストマカラの作り方を教えていただきたいのです。私の村でも作っていますが、比較にならないほど素晴らしい味です」


 その子が言うが。


「申し訳ありませんが……さすがにそれを教えるわけにはいきません、お客様……えっと」

「シグネです」


 そう言えば名前を聞いてなかったな。

 昨日の雨の中、ずぶ濡れになりながら深夜に突然押しかけてきて、泊めてほしいといわれてなし崩しに泊って行ったから、名前を聞く余裕もなかった。 

 接客業サーヴィスマンとして不甲斐なし、だな。


「失礼。シグネさん。レシピは料理人の命ですから、お教えできません」


 取引っていったい何をくれると言うのか


「失礼ながら……あなたは狩りの心得は無いように思えます、センゴクさま」

「はい、ありません」


 俺は作るのが専門で、捕る方は人任せだ。

 納入された鴨や鳩のジビエの解体くらいはできるが。


「このような立派な宿をどうやってここに立てられたのか、なぜこんなところで宿を営んでいるのか分かりませんが……」


 言葉を切ってシグネが窓の外に目をやった。


「このあたりは熊が出ます。狩りの心得が無ければ危険です。

この血の腸詰ムストマカラの作り方を教えていただければ、私たちの村の狩人がこの宿をお守りします」


 そこまで言って、シグネが何かに気付いたように硬い表情になった。

 

「ですが……これほどの料理が作れるのですから、もしかして何らかの秘儀に通じておられるのでしょうか?」

「生憎と其れもありません」


 そんなもんあるわけないだろ、とは言わなかった。というか秘儀とは一体何なのか。

 シグネがちょっと呆れたような表情を浮かべる。


「では熊に襲われたらどうされるおつもりだったのですか?」

「熊は出ないと聞いておりますから」


 少なくとも南砺市城端のこの場所で熊の目撃は殆どないはずだ。

 シグネが呆れたように首を振った。


「此処は十分に表れます。小さくともあなたの背丈より大きく、最も大きければこの部屋の天井ほどです。人の肉を好み、獰猛で攻撃的。熟練の狩人でも危険な相手です」

「なるほど、そうなのですか」

 

「真剣に言っているのですよ」


 怒ったようにシグネが言う。

 

「私達に力をお貸し願えませんか。もしお受けいただければ、私か私の村から狩人がこの宿をお守りします。

私たちの村はこれと言った産物もなく貧しい村です。これだけ美味な血の腸詰ムストマカラなら……きっと売り物になると思うのです。

どうか」


 そう言って真剣な顔でシグネが椅子から立って、映画で騎士がやるように俺の前に跪いた。


 開放感を重視して高く作った天井を見上げた。5メートル以上は軽くある。

 本当にそんなものが出たらひとたまりもないだろう……ツキノワグマはそんなに大きくなるんだろうか。


 ただ、熊が出る、というのが嘘ではないのは何となく感じた。だとしたら選択の余地は無いというのも理解できた。

 それにお客さんというか女の子にこんな格好をさせているのは非常に気まずい。


「……分かりました、いいですよ。だから、顔を上げてくれませんか」


 そう言うとシグネが立ち上がって胸に手を当ててお辞儀をした。

 仕草が一々仰々しいというか、時代がかっているな。


「ありがとうございます。では、早速私の村にお越しください。先導いたします」


 嬉しそうな口調でシグネが言うが。


「ちょっと待て、今から出るのか?」

「はい、勿論です。すぐに獣よけを施します。2日ほどならそれで十分です」


 そういう意味じゃない、と言いたかったが。

 言い返すより早く、シグネが部屋から駆け出して行った。


「センゴク様。これから行けば昼過ぎには着きます。少し山路を行くことになりますから支度をお願いします」


 廊下の方から声が聞こえてくる。

 オープンまであと3日なんだが……だがそれを言ってもやはりしょうがない気がしてきた。



 山路を行く、といわれてもな。

 厨房の横の小部屋で山歩き用のジャージに着替える。靴は登山靴でいいだろうか。

 周りの散策や清掃用に揃えた装備だが、まさかこんな早く使うことになるとは。


 血の腸詰作りをその場で実演することになるかもしれない。

 冷蔵庫を開けるとひんやりした空気が流れ出てくる。生クリームと既に仕込んだ作り置き分、あとは棚からレシピに使うハーブとスパイスを纏めてケースに入れた。


 流石に血は無い。

 素材用の血のピューレを発注してあるが配達されてくるのは来るのはまだ先だ。

 ただ、村で作っているなら血は手に入るだろう。


 彼女の村とやらではジビエの血を使っているっぽい……となるとレシピの調整が必要だ。

 むしろどんな味のものができるんだろう……と一瞬で考えてしまうあたりは、我ながら料理人だな。


 昼過ぎにつくというなら昼食も必要だ。 

 冷蔵庫に収めていた瓶から作り置きの野菜のトマト風炒めを出した。


 瓶を開けると、オリーブオイルとニンニクの香りが漂う。

 大きめにざく切りにして歯ごたえを残す野菜をトマトスープとオリーブオイルで炒めたものだ。


 野菜は柔らかいパプリカ、硬めの玉ねぎと、しっとりした茄子とズッキーニだ。それぞれにトマトの酸味がしみ込んでいる。

 ラフな料理に見えるが、野菜を切るときにきちんと大きさを揃えている。

 こういう一手間が味を良くしてくれるのだ。


 もともとこれは森を散策するお客さんに出すことを想定して作ったものだから汁っ気も少ない。弁当には向いているだろう。

 名付けてキャンプ風野菜煮込みラタトゥイユドッグ。


 真ん中で切れ込みを入れたパンを3つと瓶の中の野菜をジップロックに詰める。

 あと、キャンプ用の携帯ガスコンロ。


 厨房の隅に置いたスマホを手に取る。圏外の表示が出ていた。

 ガスは普通に使える。天井を見上げると電気もついてる。冷蔵庫も機能している。

 ……どういうことなんだろう、謎だ。


「センゴク様!参りましょう」


 促すようなシグネの声が外から聞こえた。



 外に出るとすでに準備万端って感じのシグネがいた。


 あたりを見回す。外に出るとはっきり分かる。

 昨日までの南砺市の森とは違う。

 何が、と言われると言葉にはしにくいが……初めて来る海外の街にいる時のような感じだ。

 漂っている空気、生えている木、香ってくる草の臭い。そのすべてがどことなくいつもと違う。


 木々に間から見えた道と池が見えなくなっている。気のせいだと思いたいが気のせいじゃない。

 聞いたこともない鳥の鳴き声が聞こえてきた。


「一つ聞くが……ここはどこだ?」

「メイルヘイム公領、ハンク地方レオナール・オルシュの森です。私のトゥルク村までは……80リーグほどでしょうか」


 空を見上げて、シグネがすらすらと答える。

 変なことを聞くな、と言う目でシグネが俺を見た。


「間違いないか?勘違いってことは無いか?」

「こちらを」


 そういってシグネが木に生えている蔦から一枚の葉を撮った。

 

「タリンです。この森でしか生えません。先ほどの料理には使われていなかったようですが」


 紅葉よりは大きい、Y字のような二股に分かれた細い葉。

 レモンのような酸味を感じる香りがするが、嗅いだことのない香りだ。

 香草の類だろう。職業柄、香草はかなりマイナーなものまで知っているつもりだが見たことが無い。

 

「ところで、その包みはなんでしょうか?」


 俺の荷物を見てシグネが言う


「血の腸詰の材料と昼ごはんだ」

「えっ……それは、どんなものなのでしょうか?」


 凛々しい顔に嬉しそうな笑みが浮かんで俺のカバンを覗き込もうとする。

 澄ました感じだが、割と食べ物には反応するな。こういうストレートな反応は嬉しい所だ。

 ……気軽に喜べる状況じゃないのが残念だが。


「昼のお楽しみだ」

「そうですか……」


 ちょっと残念そうにして、シグネが俺の姿を見て怪訝そうな表情を浮かべた。


「ところで、武器はお持ちではないのですか?」

「持ってない」


「ナイフ一本もですか?あの部屋にはナイフが沢山あったのに」

「あれは武器じゃない」


 カトラリーのナイフのことを言っているのか、包丁のことを言っているのか知らないが、どっちも料理人としては武器に使う気はしない。


「ではこちらを」


 そういって彼女が腰の帯に吊るしたナイフを渡してくれた。

 家庭用の包丁より少し長い鉈のような刃のナイフ。軽いフライパンくらいの重さで、柄にはざらついた木の皮が巻かれている。

 抜けない様に革のベルトで鞘に止められていた。


 ジャージにベルトはない。仕方ないからリュックのベルトに留める。

 とはいえこんなものを渡されても困るぞ。


 改めて彼女を見た。

 

 ほんのりと日焼けした白い肌。

 凛とした感じの整った美しい顔立ち。目つきは鋭くてきつめに見えるが、さっきから見た感じ、物腰は礼儀正しく眼の光は優し気だ。

 肩くらいまで伸びた髪は美しい金色で絹のように細い。一房だけ額に掛かっていた。


 しなやかに鍛えあげたって感じの体は陸上か体操選手を思わせる。

 見た目は華奢なお嬢様って感じだが、細い指はまめだらけで、なんらかの厳しい仕事をしているんだろうなと言う事は分かった。


 部屋着から着替えて、木の葉を思わせる濃い緑色のミニのワンピースのような服に7分丈のような短めのズボンを着ている。

 その上にはこれまた緑色の腰くらいまでの外套。


 袖の縁や襟元、外套には白い糸で繊細な飾り刺繍が施されていて、腰にはこれまた手の込んだ幾何学模様が染められたされた黒い帯を締めていた。


 手には茶色の皮の手甲をつけていて体には革のベルトが巻かれている。

 背中には白い湾曲した小型の弓と短めの矢を挿したえびらを背負っていた。

 

「では参ります」


 そういってシグネが金色の髪を後ろで束ねる。

 少し長い尖った耳があらわになった。赤い色のピアスがつけられている


 ……昨日の夜は暗くてよく見えなかったから確証を持てなかったが間違いない。

 髪を結い上げてこっちを見るその姿は、服装も含め某大作ファンタジー映画で見たような、エルフの弓使いそのものだった。


「すまないが耳に触っていいか?」

「構いませんが」


 尖った耳に触れると暖かく柔らかい肌がふれた。くすぐったそうにシグネが体をよじって耳が動く。

 ピアスの鈴が小さく音を立てた。


「……ありがとう」


 作り物じゃない。こんな耳をもつ人間はいない……実物を見るとさすがに現実を認めざるを得ない。

 これは俺の悪友どもがイタズラを仕掛けているわけじゃない。

 仮にそうだとしたら手間がかかりすぎてる。そんな暇なことをやる奴はいない。


 彼女はエルフだとしたら……見た目は15歳くらいだが、いわゆるゲームとかの設定と同じなら年齢は俺より上かもしれない。

 ならワインを飲んでも未成年ではないな。これなら問題にはならなさそうで安心だ。


 ……なにを言っているか分からねぇが、言ってる自分でもわからない。

 本当に分からない。


 目の前にエルフがいるって、一体どこの漫画かアニメの話なんだ。これは。

 ただ、さっき激辛トウガラシのピクルスをかじってみたら脳天まで突き抜ける辛みが走っただけでベッドから転げ落ちて夢から覚めたりはしなかった。

 今もまだ辛みが残っている。


 認めたくないが、冷静に事態を分析すると、エルフが南砺市にいるんじゃない

 ……どういう経緯か分からないが、俺がそのナントカ地方にいるってことだろう。


 これが現実ってことだ。

 これを現実と言っていいか、表現に悩むところではあるが。


 ドアの鍵穴に鍵を差し込んで回す。カチャリと金属音がした。いつもの習慣でドアを引く。

 カギは確かにかかっている、とはいえ、本当に5メートル近いクマが出るのなら、これは果たして意味があるんだろうか。


 弓を片手に油断なく周囲を見てシグネが森に分け入った。

 夏の暑い日差しとしっとりした森の湿気。そこかしこの葉には水滴がついていて昨日の雨の気配が残っている。


 彼女の踏んだ足跡を辿るように後を追う。木々に間に見える俺の城の白い屋根が遠ざかっていった。

 ……俺は此処に帰ってこれるんだろうか。


 念願の独立を果たして、さあこれから、と昨日までは思っていた。

 こんなはずじゃなかったんだがな……どうしてこうなった?



 …………この後俺が教えた血の腸詰が様々な出来事の原因になるんだが。 

 それはまた別の話だ。

 





 

 

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