ふでおろす

鯨ヶ岬勇士

ふでおろす

「誰もが自分の“ナニ”を求めるような人間になりたい」


 バレンタインのせいでカップルでごった返すファミレスの中、僕はそう呟いた。このカカオ臭い雰囲気のせいで勘違いされそうだが、僕は“性癖”の話はしているが“性欲”の話はしていない。


 隣に座っていた友人Aはそれを聞いて、“ナニ”を求められる人間はどのような人間なのかを聞いてきた。それに対し、真向かいでカルピスを啜っていた友人Bは、ぶっきら棒に僕の口から飛び出した肉棒の話に思わずそれを少し吹き出した。


「ジョージ・ルーカスはわかるだろ?」


「ああ」


「彼は時代劇が好きで、スペースオペラや英雄譚も大好きだ。それで『スターウォーズ』というアメリカの神話を生み出した。その並々ならぬこだわりは最早“性癖”といっても過言ではない」


 友人Bは少し考えた後、そこまではわかると言ってカルピスを飲むために外していたマスクを付け直した。


「一般人はこだわりの向こう側にある“性癖”を満たせる作品を探して映画や小説を貪る。だけど彼はどうだ? 彼は自分の“性癖”を満たす作品を自分で描き、それを世界が求めている。白髪しらがの彼の、それも白髪だらけのビンビンに反り立った“ナニ”を前にして、ファンたちが四つん這いになりながら悦んでそれをしゃぶるわけだ」


「急にインモラルになったな」


「ギレルモ・デル・トロなんかもそうだ。彼らの切腹しそうなほど固く、腹に突き刺さった“ナニ”を前にしたらみんな目がハートになってしまう。口では『こんなマニアックな作品では誰もついてこれないですよ!』と言っているが、体は正直なわけだ」


「あまり大声で喋らないでくれない?」


 僕はそう言われて大きく項垂れた。それは小声で喋れと言われたからではない。自分でその言葉を口にして、自分の“性癖”への想いの不甲斐なさに失望したからだ。


「それに比べて俺はどうだ。他人の“ナニ”をしゃぶるだけ。それでも本当の意味で満たされることはない。何故だと思う?」


「童貞だから?」


 友人Aは少し辛辣だ。


「違うよ。本当の意味で“ 俺の性癖”を刺激するものはどこにもないんだ。そんな都合の良いものは俺の中にしかないんだ。結局俺は満たされない心の穴を埋めるために行きずりの作家に抱かれるだけの男。まるで愛を実感したいがために、優しくされるだけで誰彼構わず身を委ねる哀しいひと——このままでは病気をもらってきてしまう」


「実際病気だしね」


 これまで友人Aからの棘のある言葉には慣れていたが、予想していなかった友人Bからのボディアッパーが鳩尾に深く刺さった。実際、自分は最近うつ病になり、一時は公募に小説を送るなど誰かに物語を伝えることに並々ならぬ情念を抱いていたが、そんな想いも消えかかっていた——ここにいる三人は全員が何かしらの創作活動をしていたが、その中でも自分が一番創作から離れてしまっている。10年近い付き合いの気の置けない友人だからこその一言。胃をカチ上げられて吐いてしまいそうだ。


「映画オタク、アニメオタクと色んなオタクで知識もあるんだから、その手の業界で働いてみたら? 映像業界とかどう? 結構良い線行くかもよ?」


 友人Bのストマックブローの後の優しい言葉に思わず惚れてしまいそうだった。これがDV男にハマる女の気持ちなのだろうか。


 しかし、大きく気持ちが揺れたときは大きければ大きいほど揺り戻しが来るものだ。


「その手の業界ってさ、それこそ使い古された“ナニ”みたいに真っ黒なブラック企業ばっかりだよね」


 友人Aの強烈なカウンターが顎に決まった。脳が頭蓋骨の中でピンボールのように乱反射して揺れる。そんな業界で、人生を滑ってスリップしてしまった自分が生きていけるわけがない。ああ、このまま倒れ込んでしまいそうだ。


「それに話を“ナニ”に戻すけど」


「戻さなくていいよ」


「映像業界に入ったところで“ナニ”をしゃぶらせる側に回れるわけではないんじゃないの? 事務所とかスポンサーの圧力に屈してさ、それこそ枕営業みたいに嫌々“ナニ”をしゃぶらないといけなくなると思うよ」


 カウンターでガードが下がり、夢見がちな頭がむき出しになったところへ友人Aの猛烈なラッシュ。意識が飛ぶを通り越して心療内科の先生のドクターストップが必要に感じる。どんなに努力しても、一握りの成功者になっても、どこまで行っても俺は他人の“ナニ”をしゃぶるだけ——それも愛のない金のためだけの作品のために。耐えられる気がしない。


「前に書いていると言ってた小説はどうなの? あれなら君の“性癖”を満たせるんじゃない?」


「ああ、それなら頑張って7万字ぐらい、だいたい文庫本一冊分くらいのものを書いたよ。前に3万字ぐらいで書いたのを何度も改稿して、校正して。そうやって自分の負の面に向き合っても結果は出なかった。そこに現実でのゴタゴタが重なって、気がつけば筆を半分折ってたよ」


 そうだ。あの頃は自分の作品に自信も持っていたし、怪物の生々しい描写や鬱屈した人間の闇を描いたところは血をインクにして書く勢いだった。ケツの穴の小さい今のカルチャーに俺の“ナニ”をぶち込んで、ひぃひぃ言わせてやる——そんな童貞の妄想を抱いていた。


「現実は甘くないよ。俺の“性癖”を理解してくれる人間なんて——」


「だからじゃない?」


 今までは笑いながら聞いていた友人Bが急に目を光らせて語った。


「え?」


「“性癖”は理解してもらうものじゃないでしょ? 理解させるもの、目覚めさせるものだよ。みんな口には出さないけど、誰もがどこかに人には言えない“性癖”を抱えているものさ。そんな大人ぶった連中の顔を“ナニ”でビンタして、眠った“性癖を叩き起こしてやるのが作家ってものじゃない?」


「俺にできるかな」


「そうやって迷って手で書いてるから駄目なんだよ」


「仕方ないだろ、童貞なんだから。手で”かく“しかないんだよ」


「本当の“ナニ”の話はしてない」


 “ナニ”に筆をつけて書く。例え一人ぼっちで部屋に籠ってシコシコと書き続けることになっても、それをやめない。そうして誰にも明かせなかった想いを描くことで、目覚めていなかった“性癖”や“性癖”を隠して生きていた人々に希望が生まれる。彼はそういって注文していたパスタを巻いた。


「そうやって自分の秘部を明かして書けば、文字を通して中の人が染み出してくる。それこそが創作じゃない?」


 横にいた友人Aがマスク越しでもわかるぐらい笑みを浮かべた。


「俺も社会で否定されて挫けることはあるし、死んでしまいそうにもなるけど、永眠しそうな度に思いっきり顔を叩かれて目が覚める。そして重い瞼を開けて見た先には偉大な先人たちの作品とそこから染み出す人生観が聳え立っているんだ」


「いつも顔に“ナニ”ビンタされて目が覚めるの?」


「一言で台無しにしていくな」


 そうやってまた下世話な話題に戻り、映画の話や趣味の話、それこそ根底にある“性癖”の話など馬鹿話に花を咲かせた。


 それから家路につき、ベッドの上で少し考える。


「今日は良い話をしたが、すべて最低な単語で話していた気がする」


 それでも、その言葉は心に深く染み入った。美しい言葉は耳障りは良いが、そんな着飾った言葉よりも心に深く刺さり、耳の奥底の脳へとぶち込まれるのは下品でも素直な言葉だ。


 オブラートに包まれていないからこそ腹に刺さったボディアッパー、いつのまにかケツの穴の小さな人間になっていた自分に突っ込まれる作家の真髄たる“ナニ”——どれもが下品で最低だが、何か大事なことを思い出させてくれた。


 睡眠導入剤を飲んで眠りに落ちそうな中、この情念と不安を忘れぬように僕は手元のスマートフォンを手に取り、文字を打ち込み始めた。こんなに何かを書きたいと思ったのは久しぶりだ。


「タイトルはそうだな。内容は決して誇れるものじゃない下品なやつだし、最近は半分筆も折りかけた。この乾ききった新品同然の筆で書く文章だから——」


——ふでおろす。

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