第7話 旅立ち

 常連たちが全て引き上げ、茜ハウスは静寂を取り戻した。日がすっかり暮れた中、茜ハウスの駐車場にシーカヤックに荷物を積み込んでいる七瀬の姿があった。

「ここば出て行くんですか?」

 突然かけられた声に、七瀬は手を止めて振り返った。駐車場の入り口に竜司が立っている。

「ええ、残念だけどここにいるとトラブルになりそうだから」

「どがんことなんか。説明してくれんね」

「そうよね、竜司さんには説明しないといけないよね」

 七瀬は竜司のそばへ歩み寄った。


「厨房で見たでしょ、私の紅い涙」

「ええ」

「あれが私の秘密、私にとっては災厄と言えるかもしれない」

「災厄と……」

「あの涙には特別な力があるんです。涙を加えた料理を食べた人は、その料理を極上の味と感じるの。味蕾から脳細胞に直結する何かの物質があるみたい。一度料理を食べた人は、もう一度食べたいと言う衝動の虜になってしまう。何度もトラブルになってきたわ」

 七瀬は駐車場に陸揚げされているシーカヤックに目をやった。

「一カ所には留まれなくてずっと旅をしてきたの」

「何か対応策は無かとね? 涙ば分析すっとかして」

「特別な力を持つのは本当に悲しくて流す涙だけなの。だから、あんなことをしなければならなかった。簡単に流せるものではないの」

「それでも……」

「今日のことで柏木さんは魅惑の味を知ってしまった。私がここに居たら、もう一度味わおうといろんな手立てを取って来るでしょう。私は明日の朝、旅立ちます。そうするしかないの」

 顔を上げた七瀬の目から真っ赤な涙があふれ出していた。



 翌朝、日の出が近づきかすかな光が広がり始めた海に、紅いシーカヤックが漕ぎだして行った。海岸沿いに進み、漁港の入り口に差し掛かった時、漁港から白いシーカヤックが出てきた。漕ぎ進んで紅いシーカヤックに並ぶ。乗っていたのは竜司だった。


「竜司さん、どうして?」

 七瀬の言葉に竜司が微笑む。

「七瀬さんのシーカヤックの旅の話ば聞いて、俺もシーカヤックで旅しとうなったんや。止めても無駄じゃ。俺が七瀬さんば止められんごと、七瀬さんも俺ば止められん。厭やてゆうんなら、がばいはやかスピードで漕いで俺ば置いて行くんやね」

「そうね」

 七瀬も微笑んだ。

「こんな薄明うすあかりの中でスピードを出したら危ないわ。しばらくは初心者でも出せるくらいのスピードで行くことにするわ」

「そりゃあありがたか」


 二艘のシーカヤックは朝霧がたなびく海を並走して進んで行った


              終わり

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七瀬の紅い秘密 oxygendes @oxygendes

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