第2話 アンドロイドと肉料理

 光が見えます。明るさは75ルクス。

 光源は不明です。気温は20.2℃で、場所は……不明。GPSが測位していないみたいです。どうやら私は薄暗い空間に単独で仰向けに倒れているようで、300m四方には生物反応も金属反応も感知できません。


 私は何なのでしょうか。


 岩石のような地面に手をついて起き上がり、身体のバランスを取りつつも周囲環境のデータを拾うためセンサの感度を上げます。

 大気は窒素が78%、酸素が21%、その他が1%。普段、私たちが生活していた大気とほぼ同じ成分のようで、通常稼働するには全く問題がありません。


 私は自分の身体を観察します。もちろん観察できる範囲は限られており、顔や背中と呼ばれる部分を観察することは不可能です。

 腕を見ました。左腕の肘から肩までは金属が露出していますが、破損している様子はありません。人口皮膚が破れたか剥がれたかしたのでしょう。よく見ると左胸と右脇腹も人口皮膚が剥がれて金属と人工筋肉が見えています。


 どうやら私はロボット、またはアンドロイドという存在らしいです。考えようとすると少々ノイズを感じますが何とかそれは思い出せました。


 衣服はその金属が露出している部分のみ破れて、周りには人工血液が付着しています。これは洗っても無駄なようです。下半身は衣服があったのでちょっと安心しましたが、何故安心と思ったのかは分かりません。


 周囲を観察します。薄暗い空間に岩石で出来た道が一直線に続いています。片方は道が途絶えており、そちらへ行こうとすると見えない壁に妨害されてしまいました。どうやら続いている道を歩いていくしかなさそうです。


 遠く右側に光が見えます。私の目の望遠モードは2倍までしかインストールされてませんので、詳細は分かりませんが小さな建物のようです。だからもっとお金をかけて欲しいとあれほど言ったのに。


 ……誰に?


 とにかくその建物に向かって歩くことにしました。普通に歩いても5分もかからないと思われます。まあ、急ぐ理由もありませんので、エネルギーの無駄遣いはせずにゆっくりと向かいましょう。


 歩いていると体の中でデータが繋がった感覚がありました。断線していたのかスリープしていたのかは分かりませんが、自分のプロパティを認識することが出来るようになりました。


 私は身体の78%が無機物で構成されているアンドロイドのようです。

 なるほど、その理屈だとこの見た目にも納得がいくというものです。ただ、脳の一部分や感覚を司る箇所は多くが有機物で構成されており、それは人間に近づけるためだというテキストデータが添付されていました。


 ふむ、どうやら私は誰かに作られて、その人間の近くで作業するアンドロイドだったようですね。その後、様々なデータが繋がりましたがまだ全部ではないようで、人間でいえば記憶喪失と呼ばれる疾病と同様の症状です。


 さて、私は先ほど確認した建物の前に立っています。歩き始めてから4分52秒で到着しました。なかなかの予想精度だと認識します。まあ、自分の歩行速度と距離が概算できれば当たり前ですが。


 窓には大きくて透明度の高いガラスが嵌められており、そこに私の姿も映っていました。一般的に人間ヒューマニアンの男性と呼ばれる容姿で、年齢としては20代と言って良いでしょうか。あくまで私が参照しているデータからの推測です。


 さらに身体を見回すと、先ほど確認した部位以外に目立った損傷はないようです。とにかくこの精神的に不安定な状態を改善すべく私はその建物に入ることにしました。


「いらっしゃいませ!お好きな席にお座りください!」


 いらっしゃいませ!とは客を受け入れる場所で発する文章なので、ここは何かしらの店舗だと推測しました。正面のカウンターテーブルらしき設置物の奥に3人と、その手前の6つ並んだ椅子の右から2番目に1人の大きな生物がいます。他に生物は存在しないようです。私は一番左の席に座りました。


「こんばんは……って、うわわわわっ!だ、大丈夫ですか!?そ、その腕とか胸とか脇腹とか!」

 身長2m52cm。腕も脚も私の数倍は太く、全体的に面積・体積ともに大容量の生き物が近づいて来て私に話しかけてきます。若い巨人ギガンティアンです。そして、一般的な知的生命体が私の姿を見た時に、そういう反応をするだろうということも予想していました。

「大丈夫です。機能に支障をきたすような損傷はありません」

「って、それ、機械なの!?ロボットなの!?」

 以前にもこのようなことを聞かれた気がしますが、現状の機能で思い出すことは難しいようです。


「ちょっと、ルガード!何を大きな声を出してんの。一応まだ営業時間内でしょ」

 こちらは身長1m49㎝の獣人ビースティアン。犬型の女性で、見た限り年齢は不詳です。先ほどのやり取りを聞いて近づいてきました。同じような質問を二度も聞くのは面倒なので先に答えておくことにします。

「この左腕と左胸と右脇腹は人口皮膚が剥がれ金属部分が露出しているだけで何ら問題はありません」

 すると獣人女性は私を見てトレイを落とし、口を開け閉めしながら指を差しています。混乱しているのでしょうか?私がここまで丁寧に説明しているというのに。


「て、店長!ロボットの人が……」

「えっ、ロ、ロボットさん、だ、大丈夫なの?」

 普段の生活において、物事の定義にこだわるのもあまり良くないという記憶が残っていましたので、私は出来る限り無視するつもりでしたが、こう何度も言われるとやはり訂正せざるを得ません。

「ロボットではありません。アンドロイドです」


 さらに今度は奥から人間の男性が現れました。また同様の反応をされそうですが、何度も同じことを言うのも無駄なので何か言われても無視することにします。


「もう、ルガードさんもリトさんもちょっと落ち着いてください。普通のアンドロイドの方じゃありませんか。ご本人もおっしゃってるように問題はないようですし、とりあえずお話を聞きましょうよ」


 彼は私の方を見つめて一瞬驚いたような顔をしましたが、その後、他の二人の発言に対し呆れたようにため息をついただけです。なんということでしょう。私の方が驚きました。ここまで落ち着いた反応をされると逆に警戒せざるを得ません。

 巨人と獣人と人間の3人が私を囲んで立っています。もう1人の竜人ドラゴニアン……でしょうか、彼は私には目もくれずに奥の方で働いているようです。


 若干面倒だとは思いましたが、私はここに来るまでの経緯を彼らに話しました。どうやらこの店は異世界と異世界を結ぶ通路に存在しているようで、日々、見たことも聞いたことも無いような生き物が来店するとのことです。

 そのような事情のおかげで彼らはすぐに私の存在を受け入れてくれました。店長と呼ばれる人間は長い間この店にいたので、アンドロイド程度では驚かなかったようです。


 いやいや、そもそも異世界って……


「なるほど。えーっと……名前は思い出せないんだね。アンドロイドだからアンちゃんにしようか?」

「もう、相変わらずルガードはそういったセンスが皆無よね。あまりに酷くて半笑いすら起きないわ」

「ちょ、ちょっと!リトさん、言い方!」

「まあまあ、二人とも。アンドロイドと言うくらいだから、うーん……ドロイさんでいいんじゃないですか」

「店長は……何と言うか、惜しいのよね、いつも。悪くはないと思うんだけど」

「……リトさんはネーミング評論家ですか」

「でしょー、リトさん、いつもこんな感じなんだ……いてっ!」


 巨人の名前はルガード、獣人の名前はリト。リトがルガードの背中を思い切り蹴ったようです。

 名前は把握しましたが今度はどうやら私の名前を決めることで盛り上がっています。そこはお前でもあなたでも君でも良いのに。ただ人が名前にアイデンティティを求めるものだというのは何故か理解しています。


(よし!お前はロイドだ!)

 ……!? 何でしょう、突然、頭の中で再生されたこの雑信号は。

 子供部屋のような景色が見えます。有事には救出ポッドにもなる可変式ストレッチャーに座った少年が、AIデスクの前でホログフィックタブを慣れた手つきで操作しています。横には母親らしき女性が優しく微笑みながらその様子を見ていました。

(はい、便宜上、その名前で問題ありません)

 これは私ですね。少年の前に立って無表情で答えていますが、我ながらもうちょっと愛想というものを表現して良いのではないかと感じます。

(なんだよー、ちょっとは喜べよー) 

 最初はノイズかと思いましたが、これは……脳内のデータが繋がって……そう、記憶として蘇っているのでしょうか。


「どうしました?この名前は気に入りませんか?」

 店長が私を覗き込んで話しかけます。まだ構成が完全ではないようなので、数秒フリーズしかけたようです。

「そうですね。でしたら便宜上『ロイド』と呼んでいただければ問題ありません」

 あくまで便宜上ということでしたが、なぜかその名前は何の抵抗もなく受け入れることが出来ました。


 その後、リトが私の目の前に水滴の付いたコップを置きました。どうやら冷えた水が入っているようですが、私の身体は特に水分を必要としません。

 しかしこういった場合は口にすることが礼儀という知識もありますし、そこらへんは空気を読むことも心得ていますので、私はコップを手に取り一気に飲み干しました。水温は11.2℃でした。


「それで、なぜここにいるのかはまだ分からないの?」

「ええ、全く理解できません。基本的にアンドロイドは、人に契約されて存在する者です。なので、本来なら常にその契約者の傍にいなければなりません。私がここにいてその契約者がいないということは、生存して……いえ、ここには存在していないと推測されます」


 ……なぜ私は言い直したのでしょう。

「ここは異世界へ向かう途中だということですが、どうやってここに来たのかは見当もつきません。ただ、何かしらの意志が働いてると分析・推測しています。また、異世界の存在はフィクションとして把握していました」


 彼らは顔を見合わせ困惑しているようですが、実際のところ、私が一番困惑しているのです。

「元の世界に戻る道や扉や穴がないとなると、何をどうしたところで異世界へ行くしかないもんな」

 巨人が真っ当なことを言います。そこで私は疑問を感じました。

「元の世界へ戻る可能性があるのですか?」


「うーん、可能性と言うか……そこは言い方の問題かも知れないけど、強制的に連れてこられて戻れなかったり、自らの意志で往復可能だったり、住んでる世界やその時の状況で様々な法則があるみたいなんだ。

 ロイドさんの話を聞く限り、今回はどうやら一方通行みたいだね。誰か……たぶん契約者さんだと思うけど、その人がやむを得ぬ事情と方法でロイドさんを異世界へ飛ばしたんだと思う」


 この巨人、思ったより頭が良いようです。私の中の評価値が3%ほど上がりました。とは言え、誤差の範囲ですが。だとすると、異世界へ向かうしかありません。きっとそこには答えがあるはずです。


「ちょ、ちょっと待ってよ!」

 私が立ち上がって出ようとすると、リトが慌てて引き留めようとします。

「そんなすぐに出て行くこともないでしょ」

「そうですよ、せっかくだから何か食べていきませんか」

 店長も私を引き留めようとしています。確かにこの記憶が定まっていない状態で、見知らぬ世界へ行くリスクは思ったより大きいと推測。

 仕方なく私は何も言わずに椅子に座りなおしました。


「さて、それじゃいつもの説明をしなきゃね」

 安堵したリトがトレイをお腹の前に持ち、姿勢を正して私を見つめます。


「当店は異世界へ行く人、戻ってくる人、行き来する人の休憩所兼食堂です。もちろん、何もオーダーせずに休憩するだけでも結構です。

 注文する際に、ここは様々な世界の方々がいらっしゃいますので、料理名ではなく『どのような料理を食べたいのか』を申し付けてください。大雑把な特徴で構いません。

 料理のイメージが決まりましたら、お手数ですが私か店長へ遠慮せずにお申し付けください」


「……っつか、ロイドさんって料理を食べれるの?」

 ルガードがもっともなツッコミを入れます。一般的なロボットやアンドロイドに関してはそう思いがちですが、私は一般的なアンドロイドではありません。

「はい。私には食欲と言うものはありませんが、舌や脳の一部は有機物なので料理の味を感じることは可能です」


 ただ、生き物のように食べたモノをエネルギーに変換することは出来ません。

 ……いえ、考え方が逆でしたね。食べたモノをエネルギーに変換する必要はないのです。それが体内に動力源を持っているアンドロイドの利点でもあります。側にいるヒトが不測の事態でダメージを受けている時に、アンドロイドが空腹で動けない……などという喜劇のようなシーンは見たくもありません。


「じゃ、じゃ、じゃあ。何が食べたいの?ほ、ほら、お肉とかお魚とか……あっ、果物とかお菓子もあるわ。言ってもらえれば、何でも作れるわよ!」

「リトさん、何でも!ってのはちょっと誇張が過ぎるかと……食材も限りがありますし……」

「ショーヘイは黙ってて!」

 店長はショーヘイという名前のようです。しかし、店長と言う割には立場が低いと思わせるシチュエーションです。


 私は彼女の言葉を頭の中で復唱しつつ答えます。

「先ほども言いましたが、私は食欲というもの……そもそも欲求というものが無いので、特定の料理を食べたいというのはありません。……ふむ、お肉とかお魚とか果物とか……お肉……!?」


(いつも〇〇〇はお肉ばっかり食べて……ちゃんと野菜も食べなさい)

 また例の雑信号。どうやら先ほどの私を含めた家族の食事風景だと思れます。お肉という単語で反応したのでしょうか。

(イヤだよ。お肉おいしいよね。特に母さんの作った*****がね。ロイドも好きだろ?)

 AIテーブルの上ではホログラムの野球選手たちがプレーしています。その横には様々な料理の盛られた皿があって、子供はその肉料理を口に頬張りつつ話しているようです。

(はい、本当に美味しいですよね。でも、母さんの言うようにちゃんと野菜も食べないとダメですよ)


 まだノイズが邪魔していますが、お肉と言う単語で食事風景のデータが繋がりました。なぜか非常に心地よい記憶映像です。


「ロイドさん、お肉は苦手だった?」

 数秒動きが止まった私に心配そうに尋ねます。

「……いえ、それは、逆です。そうですね……注文は『子供が好きな肉料理』でお願いします」

 結局、料理名は思い出せませんが大雑把でも良いと言ってたので、とりあえずこれで作ってもらおうと思います。食べたら何か思い出すかも知れません。


「はい!かしこまりました!嫌いな食材やタブーの食材などはありませんね。それではしばらくお待ちください」

 リトはそう言うとトレイを掲げ厨房に向かって叫びました。


「『子供が好きな肉料理』ご注文いただきました!」

「「「ありがとうございます!」」」


 これは何かのイニシエーションでしょうか。その言葉を合図にルガード以外が厨房らしき場所へ移動して作業を始めました。彼は相変わらず席に座ったまま酒のようなものを飲んでいます。


「フレグさん、ご注文は『子供が好きな肉料理』だそうですが、何か良い案がありますか」

 ずっと厨房の奥で作業をしていた竜人に店長が話しかけています。どうやらその竜人はフレグという名前のようです。

「……俺は子供と暮らしたことがないから分からん」

「そうですか……」

 店長はそれ以上聞くことを諦めて自分で考えているようです。注文した私ですら分からないのですから、その程度の情報で分かろうとする方が不思議です。


「ちょっと待って!フレグ。子供と暮らしたことがないのは事実かもしれないけど、あなたにも子供時代はあったはずでしょ。その頃は何が好きだったくらいは言えるでしょうが」

 ふと気づくとリトが腰に手をあて竜人に詰め寄っていました。フレグはちょっと挙動不審になり宙を見つめています。……今さらですが、店長は彼女の方が適任ではないでしょうか。


「そ、そうだな。うん、俺が子供の頃は血の滴るようなステーキが大好物だった。兄弟で良く取り合いをしたよ」

 それを聞いた彼女は顎に手をあて10秒ほど考えてから答えました。

「あー……ごめん。まあ、そりゃそうよね。うん、でも今回それはダメだわ」

 一刀両断のダメ出し。さすがです。やはり彼女が店長を務めるべきでしょう。


「そうですね、確かにレアステーキは特殊かもしれません。だとしたら私はあえてこれを使って作りたいと思います。フレグさん、何を作るか分かりますか?」

 店長は苦笑いしながら棚へ向かい、取り出してきた食材をフレグに見せました。

「ほほう、なるほど……それならほとんどの種族の子供が好きだと思う」

 そう言うと彼は別の棚から野菜を取り出して細かく切り始めました。今の会話で通じたのでしょうか。それとも2人には私には感知できない通信ユニットが装備されているのでしょうか。


 リトがその様子を見ながら、空いたコップに水を注ぎつつ私に話しかけます。

「どうやら料理は決まったみたいですよ。少々お待ちくださいね」


 私はその時間で現状を再考察してみることにします。

 ここは異世界と異世界を結ぶ連絡道にあるお店だそうです。だとしたらここも異世界ではないのか、と思いますが、そこはスルーしておきましょう。


 まず、なぜ私がこの連絡道にある程度のダメージを受けて転がっていたのか。これは記憶が無いのでいくら考えても分かりません。しかし今まで断片的に思い出された記憶の中の映像と会話。これにヒントがあるようです。

 私はどこかの家族に属していました。母親がいて子供がいて、その子供が名前を付けてくれて……なんでしょうか、この湧きあがってくるものは。


「そういえば、記憶喪失って記憶はないんだけど言葉やモノの知識はあるんだね。別にロイドさんの事をどうのこうの言うつもりはないけど、生活に支障がない記憶喪失って、ちょっと都合良すぎない?ホントに記憶がないの?……って、痛ぇッ!」


 そう話すルガードの後ろにいつの間にかリトが近寄って、金属製のトレイで彼の後頭部を痛打しました。それこそ異世界まで届きそうな音が響きます。

「あんたね、たとえロイドさんのことじゃないとしても、記憶が無くて困ってる人の前で何てこと言うのよ!」


 その勢いと後頭部の痛みでルガードは半泣きしながら私を見ています。

「それに関してですが……人も動物も教えられてないのに呼吸したり食物を摂取することができますよね。いつの間にか歩いたり飛んだりもできます。

 これは都合が良いのではなく、最低限生きていくための行動は記憶で制御されてるのではないと思われます。私はそちら方面のデータを保持していないので推測になりますが、一般的に言われる『本能』と言うものではないでしょうか」

「な、なるほどね。ごめんよ。別にそんな意味で言ったワケじゃ……」

「いえ、全く不快ではありません。そこを疑問点として捉える方がいらっしゃるのも理解できます」

「でしょ!ほらっ!大丈夫だっ……って、痛ぇッ!」

「そういう問題じゃないでしょ!」

 また小気味よい金属音が店舗に響きました。トレイは大丈夫でしょうか。


「ごめんなさいね、この馬鹿が何の考えも無しにしゃべっちゃって……」

 ルガードがその巨体を小さく見えるほど縮こまらせている横で、申し訳なさそうに微笑みながら弁解しています。

 言わんとすることは理解できますが、そもそも私がここで記憶喪失を偽装する意味がありませんので本当に何とも思いません。


「ロイドさんは肉料理が好きなの?」

 リトが間を嫌ったかのように話しかけてきます。別に放っておいてもらっても構わないのですが。

「好きか嫌いかという問題ではなくて……先ほど、味は判断できると言いましたが、それは道端に生えてる草や、死んで川に浮いてる魚を食べても味は判断できるという意味で、その食材が美味しい!という感情とは別物です。現状、記憶に残ってる食材が肉料理だけなのです」

「そ、そうなのね……」


 ちょっと悲しそうな顔をしました。なかなか思惑通りにはいきません。私に人間の脳がもっとあれば、会話の機微にも適切に対応できたでしょう。

「肉料理を食べたら何か思い出せるかも知れませんので」

「そ、そうよね!うん、ウチの店長はこんなんだけど、料理はちょっと凄いわよ。期待して待っててね」

 その後ろで店長はフライパンで何かを焼きつつ「いやいや、こんなん……って……」とつぶやきながら調味料を加えていました。


 私は味を判断するだけで美味しい不味いは分かりません。ただ、この記憶の断片にある家族と食事を摂っている時は美味しいと感じていました。なぜでしょう。


 そんなことを考えていると、私の露出した金属部分を隠すために、ルガードが上着を持ってきてくれました。店長と私のサイズが似通っているので、店長のおさがりとのことです。

「ロイドさんは大丈夫でも、見てる方がちょっとビックリしちゃうからね」

 確かにいちいちあの反応をされるのも勘弁して欲しいものです。本当にこの店は気忙きぜわしい人たちばかりですが、記憶と共通するような何とも不思議で快適な感覚でもあります。


「さあ、お待たせしまた。これがご注文の『子供が好きな肉料理』です」

 店長の笑顔と共に目の前に置かれた丸い肉料理。……ああ、これです。見た目は記憶そのままと言っても過言ではないでしょう。

「店長、これは……」

「『野菜たっぷりハンバーグ』です!」


 そしてハンバーグという単語。そう、母親の作ったハンバーグ。


「おお、美味そう!でも何で野菜たっぷり?子供が好きな肉料理なら野菜は入れない方が……」

「私もそう思ったわ。まあきっと美味しいんでしょうけど、わざわざ野菜を入れるのはなぜ?」

 一般的に子供は野菜を苦手とされていますし、私も記憶からそう感じています。なかなか野菜を食べないので、料理に混ぜたりして母親が苦労していました。


「いろいろと勝手に想像したんですけど……とりあえず食べてみてください」

 今になって気づいたのですが、ここは料金を払わなくて良いのでしょうか。まあ、払えと言われたところで何も持っていないので、土下座するか異世界へ逃げるかしかありません。


 さて、そのハンバーグを良く観察してみましょう。適切な温度で焼かれた程よい焦げ目、そして挽肉と油の芳ばしい香り。これが子供の……いえ、全ての人の食欲をそそるのでしょう。

 私はゆっくりとナイフを入れました。水が入ってたのかと思うような肉汁が、ハンバーグの中心から洪水のように溢れてきます。店舗の照明を反射して透明に近い黄金色に光る肉汁。それを一滴も逃すまいとフォークを使って口に入れました。

 こ、これは……!?


「私はロイドさんが『子供が好きな』という言葉を加えたことにちょっと疑問を感じたのです。別に『肉料理』だけでも良いのに。たぶんそれはロイドさんが子供と一緒に食べた記憶だろうと思いました。

 なので子供が好きなハンバーグにしたのですが、後は勝手な妄想で、野菜嫌いな子供に食べさせるため、刻んだ野菜などを入れたハンバーグを食べさせてたんじゃないかなぁ、と」


「なるほど。家族で食べてる場面を想像したのね」

「はい、ロイドさんと子供だけ……という場面は想像しにくかったので、他に家族がいらっしゃったんじゃないかと……本当にただの妄想ですが」


 私はゆっくりと咀嚼して、その味を有機物の舌で感じます。すると私の脳に当時の状況が、光が、温度が、そして話し声が蘇ってきました。


「ちょっと多めに作っちゃったので、リトさんとルガードさんも食べてみますか」

「「えっ!?……いいの?いいの?」」

「まあ、量はロイドさんより少ないですが」


 私が脳内の記憶をデフラグしている横で、二人も同じようにフォークを突き刺しています。

「うわあっ!なんだよこの旨味。これは茄子?熱々の肉汁を吸った野菜が挽肉と混ざり合って溺れそうだ。そして微かにバターの風味も感じる」

「そしてこの食感は……レンコンね?量は少ないけどそれがちょうどよい食感のアクセントになってるわ。それにしても凄い量の肉汁ね」

 二人とも、もっと口に入れたいけど熱くてできないというジレンマを抱えつつ、その美味しさに浸っているようです。


「今回は一般的なハンバーグを作る際の牛挽肉・玉ネギ・卵にゼラチンを加えました。ゼラチンが保水することにより肉汁が外に出にくくなるのです。さらにもっと肉汁を増やすため牛脂も入れています。

 味付けの方ですが、野菜の味をごまかすためにコンソメを加えました。ソースはケチャップと中濃ソースに出汁とニンニクをちょっとだけ混ぜたものです」


 一口食べる度に頭の中がクリアになっていくようです。肉の味、野菜の味、ソースの味。そして作ってくれた人の気持ちを感じます。

「あの時と一緒の味です」

 私は思わずつぶやきました。


「あの時の……って、ロイドさん、記憶が戻ったんですか!」

 店長がそう言うと皆がこちらを振り向ました。ルガードはフォークを咥えたまま目を丸くしています。

「ええ、完全に思い出しました。まさかあの程度の情報で、私の記憶とほとんど同じ料理が出て来るとは……」


 頭の中の回路サーキットが整理されています。

 そう、あれは家族旅行に行く日。母親のアリアと息子のアラン、そして私の2人と1機は星間転移施設テレゲートでリゾート惑星へ向かう予定でした。

 私たちは星間転移施設テレゲートルームに入り所定の位置に座って、楽しく旅行の予定などを確認しています。

「アランは向こうで何が食べたいの?」

「うーん……ハンバーグ!」

「もう、せっかくの旅行だから違うのを食べなさいよ」

 一般的に幸福と感じられる会話を聞きながらも私は今まで耳にしたことのない異音に気が付きます。ここは今までに何度も使用しているので、その違いは明らかです。念のためそのまましばらく聞いていましたが、その後も不自然な磁場と軽い振動を感じたので慎重に提言しました。


「二人とも、私の近くに来てください。気のせいかもしれませんが、どうやら星間転移施設テレゲートの調子が悪いようです」

「えっ、どういうことなの?」

「あまり感じたことのないような磁場と振動を感知しています。アリアはアランから離れないでいてく……」


 その瞬間、星間転移施設テレゲートルームの壁が歪んで爆音とともに破裂しました。

「うわぁぁぁぁぁ!ロイド!ロイド!助けて!」

「アラン!お母さんの近くから離れないで!」


 とはいえ、この密室では何もできません。私は二人の前に立ち、爆風による被害を防ぐ体制をとりましたが、飛んできた金属片で左腕、左胸、右脇腹にダメージを受けました。

「ロ、ロイド!怪我してる!」

「大丈夫です。私は痛みを感じませんし、これくらいでは何ともないですよ」

 私は普段とは変わらないトーンで話しかけたのですが、アリアは何かを察して若干諦めたような目で私を見ています。

「……アリア、いいですか。希望を無くさないように。怖がっているアランを見たらあなたが弱音を吐く暇はないはずです」

 彼女は震えている我が子を見て軽く深呼吸をしました。

「……そうね。あなたの言う通りだわ。ロイド、私たちを守ってね」

「はい、もちろん喜んで」


 と言ったが早いか、部屋ではさらに複数の爆音が響き、一瞬にして磁場や重力や可視光線などがこちらへ集中して向かってくる感覚に陥ります。私は2人の前に立ち何とかしてそれらを防ごうとしたのですが、そのまま光に包まれて、ふと気が付くとこの場所にいたという次第です。


 私がたった今思い出した記憶を語り終えて周りを見回すと、リトやルガードは何故か目元を押さえているようです。

「……なんだか無理やり思い出させてしまったようで申し訳ない」

 店長はそう言って顔を伏せました。そう言われても終わった話なのでどうしようもありません。ただ、その気持ちだけはありがたいと感じます。


「いえ、ここに来てハンバーグを食べさせてもらっただけでも感謝に値します。きっとアリアとアランなら大丈夫なはずです」

「ハンバーグは……美味しかったですか?」

「……皆さんが感じる『美味しい』という感覚と同じかどうかは分からないのですが、何故かあのハンバーグは美味しいと感じました」

 それを聞くと店長はハンバーグの皿を洗いながら独り言のように呟きます。


「美味しいという感情は、その食材を口に含んで舌で感じるモノだけではなく、誰と一緒に食べたか……を身体中で感じるモノでもあると思いますよ」


 ああ、そうです。舌から感じる情報だけの美味しいよりも、全身で感じる美味しいの方が情報として強いのです。

 そして逆に舌から感じる情報によって、全身で感じた美味しいという情報を引き出すことも可能だということがここに証明されました。


「それで、ロイドさんは異世界へ向かうのですか」

「はい、というか、他にどこにも行けませんので」


 全員が暖かい目で私を見つめています。一言も話していないフレグまでが目で頑張れ!と訴えてきています。

「みなさん、私のような不穏な物体にここまでしていただいて本当に感謝しています。私は今まで契約者から指示されて動くだけの存在でしが、今、初めて自分から動きたいと思っています。アリアとアランを探したいのです」


 私は椅子から立ち上がって店内の様子を目に焼き付けます。そしていざ出て行こうとしたその時、かなり大きな音で入り口の扉が開きました。

「あっ、いらっしゃいませ!お二人でよろし……」


「すいません!ここにアンドロイドが来てませんか!」


(完)

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異世界じゃないけど少し異世界な食堂 アイク杣人 @ikesomahito

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