異世界じゃないけど少し異世界な食堂

アイク杣人

第1話 軍人とパスタ

「思ったより……明るいな……」

 鏡を見ずとも我ながら呆けた顔で呟いているのが分かる。


 つい先ほど、私は界接門エントランスという異世界への門を通過した。その際、何かしらの衝撃や抵抗があるかと緊張しつつ構えていたが、空気が若干ひんやりとしているように感じただけで蜘蛛の巣ほどの抵抗もなかった。

 母国では「軍神」と恐れられていた私だが、初めての異世界に思ったよりも恐怖を感じていたらしく、門を通過する時は恥ずかしながらも目を閉じて歯を食いしばっていた。

 

 部下にはこんな姿は見せられないな……と、頬を緩めつつ深呼吸をする。砂や煙などが漂っていないからか、吸い込んだ空気は澄んでいて神々しさすら覚えた。

 とは言え、なぜここで呼吸が出来るのかさえ理解していない。気温は寒くも暑くもなく、もちろん風も吹いていない。


 私は周りを見回してここがまだ目的の異世界ではなく、世界と世界を繋ぐ渡り廊下のような道だということを改めて自分に言い聞かせる。

 舗装されていないその道は露出した岩が歩きにくくはない程度に凸凹しながら続いており、起伏もなければ蛇行もしてないので異世界に着く前に疲れ果てるなどということはなさそうだ。


 空もなく街灯もないのに明るく照らされている道。私は馬車が二台は通れそうなその道を異世界目指して歩こうとしたが、ふと道の外側がどうなっているのか気になって道端に寄る。

 上下左右を眺めたが当然何も見えない。意を決しておずおずと宙へ手を伸ばすと、そこには堅い木材のような手触りの見えない壁。


「さすがにこの情報は無かったな」

 私は苦笑いしながら呟く。我が国には約百年前に異世界へ行った際の情報がつぶさに残っており、国家緊急対策会議で私が異世界に行くことが決定するとその情報を一通り覚えさせられたのだ。


 異世界に行く途中に連絡道があること、さらに何故かその道の途中に休憩所を兼ねた食堂があること。


 会議では異世界での業務内容を覚えるのが最優先だったので、それ以外はあまり真剣に聞いてはおらず、上層部もそんなことはどうでも良いという雰囲気が漂っていたが、その「休憩所兼食堂」だけは気になっていた。


 界接門エントランスを抜けて歯を磨いている時間くらいは歩いただろうか。道の右側にうっすらと見えていた明かりが大きくなってくる。歩く足を速めその明かりに近づくと、簡素な彫刻の石材と太くて丈夫そうな木材から作られた建物が場違いな雰囲気で光を放っていた。


 文字通り暗闇の中の道にぽつんと存在するその店は、道の端に面して空中へはみ出しているようにも見える。私は恐る恐るその小屋に近づいて、大きく曇りのない窓から中を覗いてみると、数人の客が料理を食べつつ楽しそうに話していた。


 ふと、窓に映る白髪交じりの髪が目に入り、身だしなみを全く気にしてなかったことに気づく。慌てて髪を手櫛で直し軍服の襟を正して気合を入れた私は、意を決して木製の扉を開け、連動して鳴る鈴に驚きながら中へ足を踏み出す。


「いらっしゃいませー!開いてるお席にどうぞー!」

 中で火を使った調理をしているからだろうか、外の空気よりも若干の暖かさと湿度を感じて店の奥へ進む。入って左手に四人掛けのテーブルが二つ、右側の壁には食器や酒瓶などが入った収納棚が並んでいる。そして正面に六人ほどが座れそうなカウンターがあり、その向こうの厨房では店員と思われる者たちが手際よく働いていた。


 私がカウンター席の端に座りキョロキョロしていると、

「えーっと……いらっさ……いらっしゃいませ!」

 と、フライパンを持った男性が強張った笑顔で嚙みながら近づいて来る。


 歳は二十代くらい、黒髪の短髪で鉢巻を絞めた童顔の彼は、緊張しつつも柔和な笑顔でこちらを見ている。中肉中背だがこと戦闘などには全く向いてなさそうな外見で、いかにも食堂の店員という肩書が似合っていた。


「と、当店は異世界へ行く人、異世界から戻ってくる人、行き来する人の休憩所兼食堂です。えーっと、その、も、もちろん、何もオーダーせずに休憩するだけでも結構ですし、逆に何か欲しい食べ物や飲み物などがあれば何でも言ってください」

「ああ、ありがとう。ちょっと休憩した後、もし何か食べたかったらまた注文させてもらうよ」

 彼は慣れない感じで噛みながらそう言うと、少し安心したような笑顔で礼を言いまた調理場へ戻った。


 荷物を足元に置き一息ついて店内を見回す。先ほどの人間ヒューマニアンの男性はフライパンと調味料を持って何か考えており、カマドの前にいる竜人ドラゴニアンの男性は独特な目で火の強弱を見極めながら、その太い腕で大きくて重そうな鍋を振るっていた。そして、テーブル周りでは犬の獣人ビースティアンの女性が尻尾を振りながら料理を持って行ったり注文を受けたりしているようだ。


 私は、テーブルの客に両手いっぱいの料理を届け鼻歌交じりに戻ってきた獣人の女性に声をかける。

「あ、あの……メニューというかお品書きのようなモノはないのか?」

「あっ、ごめんなさい!ちょっと!ショーヘイ!なんでその説明をしてないのよ!お客さん、困ってるじゃないの」

 彼女はその毛並みの良い尻尾をピンと立て、先ほど私と話した人間の男性に怒り半分呆れ半分で文句をつける。

「えっ……?ああ、いやー、ハハハ……ちょっと新しい料理とか考えてボーっとしてたもので……本当に申し訳ない」

 そう言って彼は私に深々と頭を下げた。


「もう、いつもそうなんだから……ご迷惑おかけしました。私から説明させていただきますね」

 彼女は立てていた尻尾を丸め、私にこの店のシステムを話し始めた。可愛く人懐っこい笑顔はまだ年端も行かないように見えるが、犬型は幼く見えると言うし、ひょっとしたら結構な年齢なのかも知れない。

「それでは改めて説明させていただきます。私はホール担当のリトです」

 リトと名乗ったその獣人はトレイをお腹の前に持ちペコリと頭を下げる。


「当店には様々な世界の方々がいらっしゃいますので、一般的な名称や内容を書いただけのメニューでは、どのような料理かが伝わりづらく、誤解を招くこともにもなります。なので、まずはをお聞きして、こちらでメニューを決めることになっております。

 お手数ですが、食べたい料理のイメージが決まりましたら、私かこちらの店長へ遠慮せずにお申し付けください」


 彼女が手を差し出した先には、相変わらずフライパンを持って調味料を振りながらブツブツ言っているショーヘイと呼ばれた人間がいた。なんだかふわふわとして頼りないこの男が店長だったのか。

「なるほど……」

「はい、ですからて、その味や形態や温度などの印象というか……ザックリとした雰囲気で注文してもらっても大丈夫です」

 確かに見たこともない国の見たこともない料理名を言われたところでどうしようもないだろう。


「ふむ、了解した。それで料金は……」

「ここは特別な場所ですし、お代はいただきませんのでご安心を!」

 リトは水滴のついたコップをカウンターに置きながら言う。どうやらその冷たい水も無料のようだった。仕組みは良く分からんが大したものだ。

 さて、自分は何が食べたいのだろうか……リトが跳ねるように業務へ戻るのを視界の隅でとらえつつ私は考えていた。


「旦那、ここは初めてですかい?」

 すると、二つ向こうのカウンター席に座り、ジョッキで酒らしきモノをあおっていた大柄な男性が声をかけて来た。

 浅黒い肌に無骨で角張った顔、そして丸太ほどの太さがありそうな腕や太もも。巨人ギガンティアンか。ただ身長はリトの倍もないので、まだ年齢的に若いのだろう。

「え、ああ、初めてだ。噂には聞いてたがこんな店があるとは……」

「やっぱり!そうだと思ったんだよ。ちなみに自ら望んで行く派ですかい?それとも、一方的に呼ばれた派?」 

「私は自ら望んでここまで来たんだ。正確に言えば、国の決定で誰かが異世界へ行くことになり、それに私が志願したというわけだ」


 普段であればこんな話を、初対面の相手に――しかも異族に対して――話したりはしないのだが、この奇妙な状況のせいか思わず口に出てしまった。

「へぇ!そういや、聞いたことがあるな。国が異世界への行き来を管理してるっていう世界。旦那の国で何かあったんですか?」

 その巨人は両手を広げて驚くと、ジョッキを持って隣の席へ移動してきた。さすがに近くへ来ると威圧感がある。


「ルガードさん、またそうやってすぐに人の話に首を突っ込みたがる。そちらのお客さん、困ってるじゃないですか」

 いつの間にか店長が前に来て野菜を洗って切り始めていた。どうやらカウンター席の前にはシンクがあるようだ。しかし一体これらの水や食材はどこから来ているのだろう。


「だって、この旦那、異世界は初めてっぽいのにこんなに落ち着いているから、一体どういう理由でここに来たのか気になって……」

「ルガードさんの悪い癖ですよ」

「いやぁ、ホントに……気を悪くしたら本当に申し訳ない」

 ルガードと呼ばれた彼は目の前でその巨体をこれでもかと縮こまらせて謝っていた。そこまでされたらなかなか怒れない。その言動を見る限りどうやら悪意を持った者ではないようだ。

「気にしなくてもよい。まあ、ここで会ったのも何かの縁だろう。その程度で怒ったりはしないよ」


 国では軍の幹部ということもあり周りには敵か部下しかおらず、常に気を張ってなるべく業務以外のことは話さないようにしていた。

 もちろん上司である政治家や官僚は天敵だった。下手なことを話すとそれを過大に膨らませて攻撃してくるヤツらばかりだ。

 だが、こういった非日常の場で簡明直截かんめいちょくせつ、ざっくばらんに話しかけられると、全く利害のない間柄ということもあって悪い気はしない。


「おお!心が広い旦那だ。年齢や服装の感じでは国のお偉い軍人さんっぽいもんな。俺はルガード、まあこの店の居候みたいな者です」

 と、本人にとっては控えめであろうジェスチャを交えて話してくれたが、私はジョッキを持った彼の手を2回ほど避けた。

「ルガード殿か、よろしく頼む。次に話すときはジェスチャ無しでな」

 彼はその意味に気づいたようで、やってしまった!という顔をして笑っていた。


「私はバイウス。バイウス・デル・リードリオンと言う。見ての通りの軍人だ。今回は我が国の危機により、国王陛下から任命されてきたのだ」

「危機!?」

「実は我が国ではこの数年、原因不明の異常な天気が続いており、そろそろ各地で食糧難が発生しそうなのだ」

「……というと、旱魃かんばつとか洪水とか台風とか」

「そうだ。ある地域では河川が枯れ、ある地域では溢れた。そして田畑は割れて山が崩れ始めている」

「ふむ、そりゃ酷い状況だ。それがなぜ異世界に行くことになったんですかい?」

 ルガードは酒のおかわりを注文しつつ合の手を入れる。

「あっ、旦那も……バイウスさんも何か頼みましょうか?」

 見た目の割になかなか気が利くようだ。

「私も酒が飲みたいところだが、これから人に会うのでな。この水で結構だ」

 私はそう言って水を一口飲んで話を続ける。どこから湧いているのか知らないが驚くほど冷たくて美味しい水だった。


「我が国は百年前まで非常に貧乏な国だった。食料が国民全体にいきわたらず、食糧難による病気や盗賊による被害などが増え、国家存続も危うい状況だったという。そのため当時の国王含めた上層部は異世界へ行って天気を操作する救世主を迎えた……という記録が残っているのだ」

「天気を操作する?そんなことが出来るんですか?」

 ルガードが目を見開いてのけぞる。反応が大きいので話していて気持ちが良い。


「ああ、実際は未来の天気を予想する『キショー・ヨホーシ』という人物だったということだ。風や雲の流れから天候や気温などを予想して農作に備える……まあ、当時の者には操作している見えても仕方ないだろう」

「なるほどねぇ」

「『キショー・ヨホーシ』を迎えたことによって農耕は豊かになり、台風や大雪などの自然災害も事前に察知できるようになった。そして我が国は周囲が羨み妬むほどの発展を遂げた。人口も街も領土も増え、様々な土地に新たに住宅地を開拓して多くの人たちが移り住んでいる。田畑などはいくらあっても足りない。そんな状況なので、今回も同様にその『キショー・ヨホーシ』様をお迎えに行くのだよ」


 一息ついて水を飲むと、後ろのテーブルで楽しそうに会話していた鳥人バーディアンの女性二人組が店から出て行くところだった。ルガードはここの客とは思えないから、これでこの店は私の貸切だ。


 ルガードが腕を組みつつ「ふむふむ……」と頷いていると、鳥人バーディアンの二人を見送ったリトが尻尾を振りながら注文を聞きに来た。

「さて、バイウスさん。何をご注文なさいますか?」

「うーん、そうだな……」

 いくつか候補はあったのだが、来る前の国の状況を思い出して決めた。

「よし!我が国では季節外れの猛暑で食欲を無くしてたので、そんな状況でも食べられる冷たくてあっさりした食べ物を頼む」

「はい!かしこまりました!嫌いな食材やタブーの食材などはありませんね。それではしばらくお待ちください」

 リトはそう言うとトレイを掲げ厨房に向かって叫んだ。


「『猛暑でも食べられる冷たくてあっさりした食べ物』ご注文いただきました!」

「「「ありがとうございます!」」」


 無口だった竜人も一緒に合唱しているようで少々驚く。彼はさっそく後ろの棚から野菜を取り出し洗っていた。

「そうだ。店長、申し訳ないが、こんな私でも簡単に作れるような料理にしてもらえないだろうか」

「と、言いますと……」

「国に帰ってからも作って食べてみたいからな」

「なるほど。そちらの世界と全く同じ食材があるかどうかは微妙ですが、なるべくどの世界にもあるような材料で作りますね」


 店長は乾麺を取り出し沸騰した湯に入れ、竜人は青々とした葉を切っていた。打ち合わせなどしてないように見えたが、何を作るのか解ってるのだろうか。

 厨房を見ていると何が出来るかの楽しみが無くなってしまいそうで、私は再びリトを呼んで水をもう一杯もらった。


「バイウスさんのお話を聞いてると立派なお国のようで」

 彼女は水を注ぎながら話しかけて来た。

「人が住む以上、街は発展し続けていかなければならないからな。幸福は発展と共にあり、と以前の国王様がおっしゃっていたが、まさにその通りだと思う。そのためにも天を見て空気を読むことが第一だ」

「素晴らしい王様ですね」

 社交辞令かも知れないがリトが笑顔で相槌を打ってくれた。


 だが、百年前と同様にその『キショー・ヨホーシ』なる者を連れてきたところで、さらなる発展が望めるのだろうか。国王様や国の決定に逆らったことなどは一度もないが、今回はなぜか心の奥底で何か引っかかるモノがある。

 ……と、その時、店長が出来上がった料理を持ってこちらにやってきた。


「はい、お待たせしました。『梅肉アプリコット燻製肉ベーコン対猛暑カウンターヒート冷製麺コールドパスタ』です!」


 皿には綺麗に盛られた麺とその上に赤紫色の梅肉が見える。そして麺の中には鮮やかな緑の野菜と刻んだ燻製肉もあった。

「ほほう、パスタを冷たくして食べるというのは、あまり我が国では聞かないな。とりあえずいただいてみよう」

 鉄製のフォークを麺に刺し、梅肉と野菜を絡めて口に入れる。燻製肉がこんがりと焼かれており、サクサクとした食感が心地よい。


「燻製肉を焼いて入れているのが良い。食感も味も楽しい。この野菜はアスパラガスと水菜と大葉……かな。アスパラガスと水菜の食感、大葉と梅肉の峻烈な香味、それらが調和された爽やかな味で暑気が吹っ飛びそうだ」

「良く分かりましたね。梅はまだ青い時に塩漬けして、その後、貝殻や卵の殻と一緒に漬けると、柔らかくならないカリカリ梅になるので、そちらを試してみるのも良いかも知れません」

「ほほう、それも面白そうだ。そしてこの味付けは……」

「はい、基本は醤油ソイソースで、魚介の出汁と味醂みりんビネガー、酒を加えたものです。そこに塩コショウで炒めた燻製肉や味の強い大葉が混ざるのでそれ以上の調味料は必要ないと思います。簡単に作るのであれば、醤油と酢だけでも十分おいしいですよ」

 しかし、先程の噛みまくっていた人間と同一人物とは思えないな。この男、料理の事に関しては驚くほど流暢になるようだ。


「私の世界では『メンツユ』と『ポンズ』いう便利な調味料がありましたのでそれを使用しています。ニンニクなども合うと思いますが、バイウスさんはこれから人と会うとおっしゃっていたので今回は控えています」

 店長の話を聞いている間も私はフォークが止まらず、話が終わった時にはもう食べ終えてしまっていた。普段はこれほど貪り食べるようなことはないのだが、知らず知らずのうちに空腹だったのか我ながら驚いている。

「相変わらず美味しそうなモノを作るよな、店長は。数えきれないほどの料理を見て来たけれど、それでもまだ未知の料理を作っちゃうもんな」

 ルガードは私の食べている様を、自分も欲しそうに口を半開きにして見ていた。


「いや、美味しかったよ。本当に美味しかった。疲れた時でも食べやすいし、内臓にも負担が軽そうだ。まさに暑い時にはちょうど良い」

「ありがとうございます」

「ただ、その……なんというか、もうちょっと量が……」

 通常の店ならおかわりと言えばいいのだが、ここは料金がいらないということもあって、追加注文が酷く恥ずかしいようなものに思えた。

「量が足りませんでしたか、それは失礼しました。おかわりもありますよ。少々お待ちください」


 店長はまた乾麺を沸騰した湯の中へ入れる。気が付くと竜人は奥の部屋へ戻ったようで厨房には姿が見えなかった。

「ねぇ、ルガード。こっちの片付けを手伝ってくれない?」

 先程まで鳥人がいたテーブルを拭いていたリトが、相変わらず酒をかっくらっているルガードに声をかけた。

「あー、お片付けの時間ですか……はーい、かしこまりましたー」

 彼はちょっとだけフラフラしながら私に軽く会釈して、自分の食器とグラスを持って厨房の奥へと消えていった。


 そんな店の状況を見つつ、ふと、帰ったらこの料理を誰に食べさせてやろうか……などと考えてみる。しかしどれだけ想いを馳せてみても、食べさせてやりたい相手など全くいないことに気づいた。

 若いころから軍人一筋で家族も作らず、とにかく上ばかりを見て走り、国のため!人のため!成長・発展・勝利!そのような強く耳障りの良い言葉を常に浴びつつ生きてきた。上を目指して生きてきたことに後悔はないが、ひょっとしたらまた違った道があったのではないかとぼんやりと妄想している。


 そして上ばかり見つつ働いていた私が、たまたま百年前の『キショー・ヨホーシ』の記録を調べたというだけで、なぜか天気の仕事を仰せつかった。そろそろ年齢的に現場は厳しい上に、幸いにも戦争・紛争などが収まっていた時期なのでそれ自体は何も問題ない。上層部に「説教くさい中年はさっさと若いヤツらに席を譲れ!」と言われても納得せざるを得ないだろう。今度は物理的にもそらを向いて仕事をしているというだけだ。まあ、まさか異世界に行くことになるとは思いもよらなかったが。


「お待たせしました」

 その声で私は我に返った。店長は茹で上がった麺のお湯を切り、私が先ほど食べていた皿の上にそのまま盛り付けて私を見つめている。さすがにこれは何かの間違いだろう……と店長に問いかけた。

「えっ……こ、これは茹でた麺を盛り付けただけではないのか」

「はい。そうです。ちょっと食べてみてください」

 相変わらずの柔和な笑顔で店長はそう言う。あれだけ簡単に美味しい料理を作る店長のことだ、何か仕掛けがあるのだろう。私は疑問を抱きつつもフォークを手に取り、その麺を口に入れた。


 ……不味い。


 考えてみれば当たり前だ。味付けの出汁も具も何も追加していないのだから。薄まった味付けとちょっと残っている梅肉と大葉のせいでさらに不味く感じる。

「い、一体どういうことだ、店長。こんなもの食べられたものではないぞ。小麦の練り物をそのまま食べているようなものだ」

 今までの対応と先ほど食べた料理の味、こんな狭間世界の店とは思えないほどの気持ちよく美味しい体験だっただけに、この仕打ちには驚いた。いや、正直苛立ちつつもある。

 もう一度文句を言おうとした時、店長は初めて見る真剣な顔で私に言い放った。


「それがバイウスさんの国の現状だと思いますよ」


「な、なにを……」

 突然思ってもみない言葉を受け、気勢をそがれてしまう。

「失礼だとは思いましたが、先程のお話は聞かせてもらいました。バイウスさんの国は急激な発展を遂げ、人口が爆発的に増えて住宅地や田畑などを開拓しているとのこと。それがその麺です。麺だけ増えても意味がないんですよ」

「……それはどういう意味だ」

「麺は確かに主役です。しかし麺が増えるのであれば出汁や具なども増やさなければならないし、増えすぎるのであればいくつかに分けなければなりません。大切なのはそれらの均衡バランスです。国家も同じじゃないでしょうか」


 あんなに頼りなく挨拶ですら噛みながら話していた店長は、今や人が変わったような真剣な眼差しで私に問いかける。

「バイウスさんの国で住宅地などを開拓した際、山や川、そして森や林はどうなりましたか。ご存じかどうかは分かりませんが、森林には降った雨の水を保持する機能があって、それが無くなると洪水や土砂崩れなどが起きやすくなります」

「そんなことが……」

「もちろんまだ断定はできません。私は仕事柄いろんな世界の話を聞くことが多いので、その可能性を推測しただけです。ただ、人が増えた、だから家を建て田畑を増やした……だけでは土地の均衡が取れないのは自明でしょう」


 店長は私の前にある一口だけ手を付けた麺を片付けながら話し続ける。

「幸福は発展と共にあり……まさにその通りだとは思います。ただ、そらばかり見てるのではなく、たまにはじめんを見ることも必要じゃないでしょうか。そしてじめんのことは『キショー・ヨホーシ』ではたぶん解らないでしょう。異世界へ行かれたのであれば、他の専門家の方々も一緒に来ていただく方がよろしいかと思われます」


 そうか。約百年の急激な開拓により我が国は土地の均衡を損なってたということか。確かに人口と建物と田畑だけは増え続けていた。そらは百年前から変わっていないのだ。変わったのは私達……そしてじめん。森林は無くなり水の流れが狂い、山は無くなり風の流れが狂う。


「まさか『梅肉アプリコット燻製肉ベーコン対猛暑カウンターヒート冷製麺コールドパスタ』から教えられるとは思ってもみなかったな」

 ぼんやりとして頼りなく何事もふんわりと対応していたこの店長が、そこまで深く論理的に考えていたとはつゆ知らず、私は苦笑いしつつも改めて尊敬の目を向けていた。


「いえ、私はたまたま『キショー・ヨホーシ』という方がいる世界を知っていただけです。そうそう!あちらに行ったら『ガクシャ』という方々を見つけてお連れしたら良いですよ。『キショー・ガクシャ』や『ショクブツ・ガクシャ』『チシツ・ガクシャ』、それに……」

 店長はいつもの笑顔に戻り、皿を洗いながらいろいろ助言してくれている。しかし私は既に決断していた。


「いや、もういい。もういいんだ。それより店長。酒を一杯くれないか」

「えっ、こ、これから異世界に行って人に会うんじゃ……」

 彼は皿を洗う手を止め、驚いた顔でこちらを見つめる。

「辞めた。異世界に行くのは辞めだ。我が国に戻って国王や何も知らないくせに文句と我儘しか言わない政治家と官僚に言い聞かせてやる。『キショー・ヨホーシ』は必要ない。必要なのは自分の国の足元じめんを徹底的に調べて対策を練ることだと」

 そう。そして味のしない麺を食べさせてやろう。


「……で、でも、結局、ひ、人には会うんでしょ?」

「あいつらはいいんだよ!そして麺のおかわりだ。ニンニク入れてくれ!」

 店長は私の心を察したかのように鉢巻を絞めなおして柔和な笑顔に戻り言った。

「フフフ……解りました!それでは、味付けも変えて赤茄子汁トマトソース鶏肉出汁コンソメ、そして黒胡椒ブラックペッパー、燻製肉は刻まずにそのまま油で揚げ焼きにして添えましょう。椎茸なども入れたら旨味が膨らみますよ」

 心なしか店長も勢いづいたように食材を調理している。そしてそれが合図だったかのように、他の店員も表に出てきてそれぞれが動き始めた。


「おや、バイウスさん、お酒を飲むことにしたんですかい?」

 片付けから戻って来たらしいルガードは、いくらか酔いが醒めたようだったが、またジョッキを握りしめて私の隣に座った。私はリトが持ってきてくれた黄色い炭酸の液体を見ながら言う。

「ああ、もう異世界に行くのは辞めたんだ」

「えっ、ええっ!?一体どうして……」

「それより、この飲み物も美味い!これは……エールか?」

 炭酸なのにするすると喉を通って行く。私が知っている飲み物よりも強くて濃くて美味しかった。

「あ、はい。ここではビールと呼んでます。若干の苦みと喉越しで食欲増進の効果もあります。食べ物には何でも合いますよ」

 隣で口を開けたまま固まっているルガードを横目に店長が説明してくれた。


 私はその固まっていたルガードの肩を叩きながら言う。

「この麺を食べて覚悟を決めたのだよ。上だけじゃなくて下も見るという覚悟をな。これがその祝杯だ」

 頭の上に?が回っている様子のルガードを差し置いて私はビールとやらを飲み干した。そしてリトにもう一杯注文してから新しいパスタを待つ。

 国に帰ったら部下たちと飯でも食べに行ってみるか……

 いや、私がこの料理を作ってやるのも面白い。ヤツらが顔面蒼白になって震えながら食べる姿が思い浮かぶようだ。


 ここに来て分かったことは、異世界に行って『キショー・ヨホーシ』を連れてきたところで、救世主にはならないということ。つまり、私にとってはこの店が異世界で店長が救世主だったのだ。

 店長が例の笑顔で新たなパスタを持ってくるのを見つつ私はそう思った。


(完)

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