お端折りを縫ってみよう
増田朋美
お端折りを縫ってみよう
その日も寒い日であった。それは冬だからそうなんだけど、ときに人間はそれをなんとかしようとする。それをして、良い結果を生み出すか、悪い結果を生み出すかは別として、人間には放置しないでなんとかしようという気持ちが、湧いてくるらしいのだ。それはある意味、本当に人間が動物なのか疑い深いものになるときがある。
その日、杉ちゃんがいつもどおり、水穂さんに食事を食べさせようと躍起になっていたところ。
「こんにちは。」
と、女性二人が、製鉄所の玄関から入ってくる音がした。多分、声の感じから言うと、浜島咲であった。
「ああ、いいよ。入れ。」
と、杉ちゃんが言うと、それより早く、浜島咲は、部屋に上がり込んでしまっていた。
「今日は寒いわねえ、右城くん。また、ご飯を食べないで、杉ちゃん困らせてるんじゃないでしょうね。」
と、咲は、そう言いながら、四畳半に入ってきた。こういうときばかりは、寝たままでいたら、失礼だと言うわけで、水穂さんは、よろよろと布団の上に座った。
「今日は一体どうしたの。なにか困ったことがあったの?」
杉ちゃんに聞かれて咲は、
「はい、そのとおり。間違いありません。」
と答えた。
「わかりました。一体何を困っているのか、話していただけますか?」
水穂さんに言われて、咲はすぐに、隣に座っている女性を顎で示して、
「はい彼女のことです。杉ちゃん、ちょっと教えてほしいんだけど、着物を簡単に着られる方法って無いかしらね。着物は、ホント、着るのが難しすぎて、ちゃんと着こなせないって彼女は言うから。」
と、と言った。
「はあ、お前さんのお名前は?」
と、杉ちゃんが聞くと、
「杉山と申します。杉山亜紀です。先週から、下村先生のお琴教室に入りました。確かに、服装には厳しい方だと浜島さんから聞きましたが、まさか入門直後に叱られるとは、思いませんでした。」
と、彼女、杉山亜紀は答えた。
「はあ、叱られたとは、どういうことですかね。」
と、杉ちゃんが聞くと、
「はい。着物を着てくるようにと、下村先生に言われたんですけど、私、着物の事を何も知らないんです。」
と、亜紀さんは答えた。
「はあ、それなら、本を読んで勉強すればいいじゃないかって、言うことでも無いんだよな、着物のことは。」
杉ちゃんがそう相槌を打った。
「はい。それで、着付け教室の体験入門というのも調べました。それで、実際に着てみろと言われたので、行ってみたんですが。」
「はいはい。着物や着物の部品なんかを、これを着れば、楽に着られるといって、高額なものを販売させられたのね。」
「どうして、わかるんですか?」
亜紀さんの続き話をするように杉ちゃんが言うと、亜紀さんは、また彼に聞いた。
「わかりますよ。だって、着物を始めようとすると、そうなってしまうのは、僕もよく聞きますし。大手の着付け教室なんて、だいたいそういうものですよ。着付けを習いたいのに、なんだか着物販売所みたいなものになって、肝心の着物の着方はどこかへ行ってしまうようです。」
と、水穂さんが優しく彼女に言った。
「そうなんですか?」
亜紀さんがそうきくと、
「ええ、なんだか、着物を始めたいと純粋に思えば思うほど、本当に欲しいものから遠ざかるようです。」
と、水穂さんは答えた。
「そうなんですか。それでは私、どうしたらいいのでしょうか。本で調べてみても、着物は着られないし、かと言って教えてもらおうと思っても、何も、教えてもらえないで帰ってきちゃったし。」
亜紀さんがそう言うと、
「いやあ、まあ、きっとね、着物を取り巻く商売は、変な方向に行ってしまいそうな気がするよ。なんかね、本当にほしいものは、手に入らないのが当たり前というか、そうなっちまってる。それは、もう、着物業界は、そういうもんだから、諦めろ。」
と、杉ちゃんが言った。
「それでは私、どうしたらいいのかしら。私、着物を着てこないと、もうお琴には触らせないって、下村先生に叱られました。着物の着方なんて、何も知らないんです。それでは、どうしたらいいのでしょう?」
亜紀さんがそう言うと、
「自分で覚えるしか無いな。まあ、お琴習うとなると、そうなっちまうもんだと潔く決めろよ。」
杉ちゃんは、当然のように言った。
「結論としてはそうなのかもしれないけど、杉ちゃん、それはちょっと、亜紀さんには酷と言うものでは?なにか、対策を考えたほうが。」
水穂さんが、杉ちゃんに言った。咲は思わず、まあ、右城くんはなんて優しいと、口に出したくなった。
「まあ、そうなんだけどねえ。着物の着付けは、馬鹿な僕でもできるんだから、すぐできると思うけどね。そういう事は、我慢して、一人で覚えるしか無いんじゃないのか?」
杉ちゃんはそう言うが、
「ごめんなさい、私何度もやってみました。でも、着物の着付けって難しくて、よくわかりませんでした。下村先生が言う、色無地と小紋のちがいもわからないんですよ。」
と、亜紀さんは、申し訳無さそうに言った。
「まあ、色無地は、柄を入れないで、黒あるいは白以外の一色で染めた着物のことだ。小紋は、小さな柄を、何回も繰り返して入れてある着物だよ。それくらい、写真を見ればわかると思う。」
杉ちゃんは、腕組みをしてそう返すと、
「この際だから、着物の事をちゃんと亜紀さんに説明してあげてちょうだいよ。私も見たことあるんだけどね、リサイクルきものの販売サイトだって、めちゃくちゃよ。だって、明らかに小紋とわかるのにさ、訪問着と偽って、販売しているサイトもあるのよ。」
と、咲が、すぐに言った。
「じゃあ、まず、お前さんが何に着物をきたいか、言ってみてくれ。」
杉ちゃんがそう言うと、
「決まってるじゃないの。お琴教室よ。杉ちゃんしっかり、お琴教室の着物について説明してあげてよ。」
と咲は言った。
「わかったわかった。じゃあ、まず、お琴教室には何を着てこいと命令されたんだ?」
と、杉ちゃんが聞くと、
「はい、色無地か江戸小紋という着物だそうです。訪問着という着物は着てはいけないと言われました。ですが、どれが訪問着で、どれが江戸小紋で、どれが色無地なのか、私は、よくわかりません。違いがどうなるのか、よくわからないんですよ。」
と、亜紀さんは答えた。
「よし、じゃあ、教えてやる。色無地は、柄を入れないで、黒または白以外の一色で染めた着物のこと。小紋は、小さな同じ柄を繰り返して入れた着物のこと。江戸小紋は、小紋の中でも小さい柄を隙間なくびっしり入れた着物で、鮫とか通しとか行儀とか、そういう特有の柄があるの。そして、訪問着は、胸と袖と、下半身に大きな柄を入れて、前身頃と、衽で柄がつながっている着物のことだよ。ま、実際は、着物を見せて説明するのが早いんだけどねえ。口では、いくら言ってもわからないでしょうからねえ。」
杉ちゃんがそう説明している間に、咲は、急いで色無地と、江戸小紋と、訪問着の写真をスマートフォンでダウンロードした。杉ちゃんが、そういったあと、咲は彼女に、写真を見せてあげた。
「なんとなくわかりました。それで、その江戸小紋とかそういうものはどこで手に入れたらいいんでしょうか?」
と亜紀さんが言うと、
「リサイクルショップとか、インターネットの通信販売で手に入りますよ。一番無難なのは、インターネットで手に入れることじゃないかしら。リサイクルショップでも、うるさい店員がいる店もあるし。」
と咲は急いで付け加えた。
「そうですね。でもインターネットでは寸法が合わない着物もあるし、自分に合うサイズの着物は、見つけにくいと思いますよ。それはやっぱり、店に行ったほうがいいと思います。」
水穂さんが優しい声でそう言ったので、咲は、
「右城くん、まだ、他人の世話を焼けるくらい元気があるじゃないの。それならちゃんとご飯を食べて、しっかりやってちょうだいよ。」
と言った。
「まあ、そういうことだ。着物は、やっぱり、見せてもらって、実際に着てみないと身につかない。着付けは覚えてしまえばさほど難しくないのだし、頑張って、着物の種類も覚えてくれ。」
杉ちゃんがそう言うと、
「でも、初心者の方には、着るのは難しいと思われるのも確かだし、それなら杉ちゃんがおはしょりを縫ってあげたら?」
と、水穂さんが言った。
「そうだねえ。着物を持ってくれば、いくらでも縫ってあげられるよ。じゃあ、すぐに着物を持ってきてやってくれ。」
「わかったわ。」
と、咲は言った。
「まだ、二時だし。急いで行けば間に合うわ。じゃあ、ちょっと、この近くにある、リサイクルきものショップに行きましょう。」
咲がそう言うと、亜紀さんは、ちょっと怖そうな顔をしながら、そうですねといった。
「よし、行きましょうね。あたしが連れて行ってあげる。着物はね、誰か有力な人にすがらないと、だめっていうことも十分にあるのよ。だから私、連れていってあげるわ。行きましょうね。」
咲は出かける支度を始めた。杉ちゃんもああそれがいいと言った。じゃあ、こっちへ来て、と言って、咲は亜紀さんを連れて、一度製鉄所の外へ出た。そして、外へ出てタクシーを呼び、カールさんの店である、増田呉服店に連れて行ってあげた。
店の入り口にかけてあるコシチャイムがカランコロンとなって、客の来たことがわかった。
「はい、いらっしゃいませ。」
と、カールさんは二人の女性に対してそう言うと、
「あの、失礼ですけど、色無地か江戸小紋はありませんか?」
と、咲は急いで言った。
「はい。色無地ですと、こちらのピンクのものがございます。江戸小紋は、紫の鮫小紋と、茶色の極行儀小紋がございます。」
と、カールさんは、売り台から、着物を出してくれた。確かに、杉ちゃんが言った通り、ピンクの着物は、柄など入れていなかった。鮫小紋といった着物は、小さな点を円盤状に並べている。極行儀と言われたきものは、茶色の地色に、小さなXのような柄が全体に散りばめられていた。
「どれが、お琴教室に向いているんですか?」
と、亜紀さんが言うと、
「はい。どれもお琴教室には向いていると思います。色無地が義務付けられる社中もございます。」
と、カールさんは答えた。
「じゃあ、カールさん、着物と言うものは、順位がつくって言うけど、この着物を、順位別に並べるとどうなるの?」
と、咲が聞いた。
「ああ、格のことを言っているんですね。まあ、格が高いというのは極行儀ですね。その次が鮫小紋ですかねえ。色無地は、紋があれば格が高くなりますが、つけないと、カジュアルになりますので。」
「じゃ、じゃあ、一番格が高いと言われる極行儀を下さい。」
と、亜紀さんは言った。
「わかりました、じゃあ、寸法を確認しましょうか。一度、羽織ってみてください。」
カールさんに言われて亜紀さんは、着物を羽織った。
「ちょっと前であわせてみてくれますか?」
亜紀さんはそのとおりにした。カールさんはそれを見て、
「ああ、大丈夫ですね、問題なく着られます。おはしょりもちゃんと出ると思います。もし必要であれば、お端折りを縫ってもらって、気軽に着られるようにさせてもらってもいいかもしれませんね。」
とにこやかに言った。再度、亜紀さんは着物を脱いで、
「おいくらですか?」
と聞いた。
「はい、一着1000円で結構です。」
とカールさんが答えると、
「そ、そうですか?」
と亜紀さんは素っ頓狂に言った。
「はい、それで大丈夫ですよ。需要が無いので、着物はこのくらいの額で済んでしまうんです。最もリサイクルならではの値段ですが。」
カールさんがそう言うので、亜紀さんはすぐに1000円支払った。
「ありがとうございます。」
カールさんは亜紀さんから1000円を受け取った。
「こちらが領収書になります。」
と、カールさんは領収書を渡して、着物を丁寧に畳んで紙袋に入れてくれて、それを亜紀さんに渡した。
「ありがとうございます。本当に助かりました。」
亜紀さんは嬉しそうに言った。それと同時に、また店のコシチャイムがカランコロンとなる。誰かまた来たのかなと思ったが、一人の女性が来店したのだった。
「ああどうぞ、いらっしゃいませ。」
と、カールさんは言った。
「えーと、これとこれとこれをください。」
彼女は、すぐに売り台の上にある、着物を3つ取った。まるで、季節感や、何をするために着るのかなんて、関係ないと言いたげだ。
「着物をたくさん着るんですね。そんなに可愛いのばっかり買って、何に着るんですか?」
と、咲が思わず聞くと、
「そういうことではありません。リメイクです。」
と、その女性は言った。
「着物はリメイクの材料にするくらいしか、今使い道はないでしょう。こうして、たくさん買って行くんだから、うる側の方としては嬉しいでしょうし。」
「なんだか、残念ですね。」
と、咲は言った。
「せっかく安い値段で提供してくださるんですから、リメイクの材料にするには、ちょっと、寂しいんじゃありませんか。」
「そうかも知れないですけど、着られないことが多すぎですわ。裄が短いし、おはしょりも出ないし、リサイクル着物を、今の人が、しっかり着ているのがおかしいんですよ。それに、着物を、今どき真剣に着ようなんて言う人が、いないでしょう。」
と、その女性は馬鹿にするように言った。なんだか、こういう人も大事な客なんだろうが、でも、なんだか着てほしくない客というか、そういう気がした。
「そうでしょうか。」
と、咲は言った。
「あたしたちは、お琴教室で、着物が必要なんです。」
「そうなの。では、そこら辺に売っている、ポリエステルの着物で間に合うのでは?わざわざ着られない着物を買いに来るなんて。」
と女性はそう言うが、
「でも私は、お琴教室に通うために、着物が必要になりました。だから、こういうところに頼らないとだめなんです。ポリエステルの着物は、偽物だって、お琴教室の先生は言っていました。だから私、着物をちゃんとほしいんです。だから、着物は必要なんです。ただ、リメイクの材料に使えばいいだけっていう言い方はしないでもらえますか?」
と言ったのは、咲ではなく、亜紀さんだった。それを言ったので、咲もカールさんもなんだか意外な発言だと思った。
「それに、おはしょりがどうのと言うのであれば、縫ってもらえばいいのではないでしょうか?」
亜紀さんは、強く言った。
「そうなの?でも、そういうことなら、お端折りを縫ってもらうほうが、偽物だと思うけど?」
女性がそう言い返すと、亜紀さんは、
「そうですね。ですが、お端折りを縫ってもらえば、私は、着物を着ることができます。」
としっかり答えた。
「着物を着れなくても着れる方向に持っていくことが、必要なことなのではないでしょうか?」
と、咲が、亜紀さんの発言に助長するように言った。
「でも、着物なんて、何もする価値が無いと思うのに。」
と、女性がそう言うと、
「その価値があるようにさせるのも、必要なことよ!」
と咲は思わず言った。
「そうなのね。じゃあ、これは、着られないから、諦めて帰るわ。だけど、オタクもよくやりますね。着物は、もう普通に着られないし、変な風になってしまっていくだけになっているのを、売りさばいているんだから、何というずるい商売でしょう。」
と、女性が言うが、
「いやあ、僕達はそれをしているわけではありません。ただ、着物を好きで、着てみたいと思っている人間を、増やしていきたいだけでやってるんですよ。」
と、カールさんは言った。
「それに、彼女の言う通り、工夫すれば着られる着物だってたくさんありますし。」
「あなた達とは、一生かかっても付き合えないわ。着物の本当の良さをわからないんだから。」
と、女性が、そういう事を言うが、
「ええわからなくて、結構ですよ。あたしたちは、目的が違いますから。着物というものは、目的も色々あっていいと思いますわ。」
と咲は堂々といった。
「それでいいじゃないですか。」
そう言うと、女性は、結局邪魔された顔をしながら、嫌そうな顔をして、店を出ていった。また、店の入口に付いているコシチャイムがカランコロンとなった。
「へえ、そんなやつがいたのかあ。」
と、おはしょりを縫いながら、杉ちゃんは、カラカラと笑った。
「まあ、たしかに、着物は、それくらいしか使い道が無いかもしれないですが、それだけと断定してしまうのもいかがなものかと。」
と、水穂さんが言うと、
「そうでしょう、右城くん。あたしもそう思ったのよ。だって行けないわよねえ。そうやって、着物をそれしか価値がないって決めつけるのは。」
と、咲は、嫌そうな顔をして言った。
「こういうふうに、あたしも亜紀ちゃんも、着物を着たいと思って、カールさんの店に行ったんだからあ。」
「私、すごく楽しかったですよ。着物の勉強になったし。あのおじさん、着物屋さんにあったような、いかにも売りたいっていう雰囲気もなかったし。」
亜紀さんは、杉ちゃんがお端折りを縫っているのを見ながら言った。
「だろ?着物ってのは、もともとは楽しいもんなんだよ。それであってるんだ。それでいいはずなんだがなあ。」
杉ちゃんは亜紀さんに言って、
「はい、縫えたよ。これで、紐をつければ、お前さんにも着物が着られるようになるよ。」
と、今度は着物の胸紐を縫い付ける作業に取り掛かった。
「良かったわね。亜紀ちゃん。」
と咲が言うと、亜紀さんは、申し訳無さそうな顔をして、
「今度は、わざわざお端折りを縫ってもらわなくても着られるようになります。」
と言った。
「無理しなくていいですよ。」
と、水穂さんが言ったが、
「いや、いいってことよ。お前さんが、そういうふうに自分で着物を着られるようになる日を、僕達は楽しみにしてるからな!」
杉ちゃんは、紐を縫いながら、にこやかに笑った。
お端折りを縫ってみよう 増田朋美 @masubuchi4996
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます