第17話 女狩人

「……く……うぅっ……」


固い地面に横たわるカミナ。

可憐に結んだちいさな唇。

指一本さえ、動かない。


魔力を蓄え、そして放つ。

力を放った後には、その副作用として抗い難い虚脱感が訪れる。

通常は幼い頃から少しずつ慣れていくものだ。


それでも残る副作用は、《火石》に少しずつ力を注ぎ、蓄えた力を用いることで軽減する。大きな力を媒介なしに解放するのは、熟練した騎士でも難しかった。


「——ふぅっ……ああぁっ……!」


少女は悶えた。


(……きもち……いいっ…………?)


そして、虚脱には、神経を侵す快楽が伴う。

感受性には個人差があるが、どうやらカミナは敏感寄りのようだった。

生まれて初めての魔力解放。

伝説級の魔女を圧する魔力量。

それに比例する快感に、少女が耐えられるはずもなかった。


「……ちょっ……と。……だ……めぇっ……!」


……………………。


甘い吐息。

熱と氷の鬩ぎ合う地獄を、細い隙間風がすぅと流れた。

ぽかんと口を開けた魔女は、気をとりなおすと鎌を突き立て、長い爪でぼりぼりと頭をかく。

興が冷めたのを隠さずに、静かな声で言葉を発した。


「ちっ。時間だなぁ……。」

「……んっ……はぁっ……じ、かん……?」

「そうだな。カミナ。……誰か来る。」

「……あいつらの相手は面倒臭え。運が良いなぁ、ヘンタイ娘。盛りてぇなら、おウチでやりな?」


遠くない距離から、複数の人間が駆ける足音が聞こえる。

魔女はどこからともなく拳大の黒珠を取り出すと、焼け焦げた地面に叩きつける。

紫黒の光柱が立ち上り、その中にすうっと体を差し入れた。


(「——覚えてな……。次はズタズタに裂き殺す……!」)


低い声での捨て台詞を残して黒光は消え、恐ろしい死の気配が去る。

後には僅かな水溜まり以外、少しの痕跡すらも残されていなかった。


——しかし、まずいな。

猫は思考を巡らせた。

誰が助けに来たにせよ、今のカミナを見せるのが好手とは思えない。

カミナのためにも。おれ自身の願いを叶えるためにも。まだ早い。


猫は尾の先ですばやく図形を描き、カミナの顔面めがけて放り投げた。

《眠り猫》。瞬時に熟睡へと誘うだけの簡易な呪術。

カミナが意識を手放すと同時に、足音の主たちが現れた。


「おいおい、こりゃあ……。」

一人はモーケス。

カミナの護衛にて師たる騎士は、ルシッドレッド邸を襲った泥魔をどうやってか撃退して駆けつけたらしい。埃と泥にまみれた服。この男には珍しく、煙草ではなく細剣のような灯杖を慎重に構えている。


「モーケス君。どうやら、魔女には逃げられたかな……?」

燃え跡と氷が混在する惨状に、似つかわしく無い穏やかな男の声が響く。

もう一人の男はモーケスよりは年配のようだが、齢の読みづらい端正な顔立ち。

きっちりと整えた赤髪と深い緋色の瞳が、血筋の良さを感じさせた。


この男こそフヨウ=ルシッドレッド。

篝火騎士団の副長にして《炎匠》と呼ばれる超一流の騎士であり、そしてカミナの父でもあった。一眼で業物と判る肉厚の短刀をゆるく握り、ゆっくりと辺りを睥睨した。


「何が起こった? 一体、これは……っ、カミナっ!!」


血相を変えた父が、一拍遅れてモーケスが、傷ついたカミナを発見する。

そこから先は、早かった。


瀕死で横たわる野晒しの老執事ウェルダを。

さらには家の中に残された幼い弟アルバを見つける。

猫がひそかに防壁を張り、氷と炎からふたりを匿っていたのだった。


狼煙を上げて、治癒士を手配。配下を招集。一個中隊を動員しての森林の捜索。

激昂した父は単独で魔女の痕跡を辿ろうともしたが、大きな成果にはつながらなかった。


こうして、少女の夜が終わる。

猫の姿は、人知れずどこかに消えていた。


**


「ねえ、サマヤ。それで、結局。」


冷たく濡れた灰色の髪を柔布で拭い、カミナは尋ねた。

湖畔の別邸で、母が好んだ揺り椅子に腰掛ける。

戦火を免れた小さな家は、人目を忍ぶカミナと猫の快適な拠点となっていた。


夜が明けて目を覚ましたカミナは、気を失ったものと判断された。

恐るべき魔女の魔術を受けたのだと。

死者の傀儡とされていないか入念に検査されたが、闇の魔力の欠片も残ってはいなかった。


それでは、湖畔に残る、焼け焦げた戦闘の痕跡についてはどうなのか。騎士団は、一命を取りとめた老執事——未だ意識は戻っていない——が最後の力を振り絞ったのだろうと推測した。

まともに炎を出せないはずの《灰娘》の仕業であるとは、誰一人として疑わなかった。


「なんでわたしが、毎晩、毎晩——闘わなくっちゃいけないの?」

「なあカミナ。乾かすんなら、火を少しだけ熾せばいいよ。」

「——そうだった。」


薄く目を閉じた少女は、体内に僅かな火を巡らせる。

灰色の髪が薄桃色に色づき、全身にふわりと熱が満ちる。


魔力とともに、ゆるやかな蒸気が立ち上る。

目を開くと、濡れそぼった髪と体は天日で干したかのように気持ちよく乾いていた。


「ん。便利。……それで、答えは?」

「くっ、だめか……。」


気を逸らすのに失敗した猫は(しばしば成功するのだが)、面倒そうに語りはじめる。


調停神を介在させた《契約》の魔術は絶対であること。

『強くなる』『魔女を倒す』ことをカミナが願ったが、それが果たされていないこと。

自らを強化するには、戦闘経験を数多く積むこと。死者を葬り、霧散する魔力——誰にも属さない無色の魔力——を吸収するのが近道であること。

そして猫には、カミナの願いを叶える義務があることを。


「……っていうか、初日に話したはずだけど。」

「聞いてなかった。ねむくって。」

「そうですか……。」


少女と猫は、同時に大きく欠伸する。

「ふわあぁぁーー、っと……闘うのはいい。それで、これから、どうするの?」

猫はぐぃっと背中を伸ばして首を振った。

「そうだなあ。カミナの願いを叶えるなら、まず強くなる。力をつけて、強くなったら——旅に出よう。」

「——っ、旅行? 旅、したかった。うれしいな……!」


ありがとう、とカミナは言った。

言葉で感謝を示すのは、彼女にしては珍しかった。


「きみの願った《契約》だから。……さあ、帰ろうか。家の人たちに気づかれる前に。」


旅は旅でも、魔女狩りの旅。

そして、カミナの旅は、猫の願いを叶えるための旅でもある。


語られたのは真実の一端。

猫の願い、思惑、契約をすり抜けるいくつかの手管、なぜ騎士団に秘密にするのか。

そして契約の『代価』についても——もちろん語られることはなかったのだった。


程なくして、堰鼎都市に噂が流れた。

それは聖火を纏って死者を狩る、美しい女戦士の噂だった。


騎士団も捉えられない謎めいた彼女は《女狩人》と呼ばれ、娯楽の少ない都市住民の好奇と憶測の的となっていった。


出来損ないの《灰娘》。《女狩人》。《煌炎の魔女》。

いずれ聖女と呼ばれる彼女の戦い——世界を揺るがす戦いは、こうして幕を開けたのだった。

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不明のカミナ 〜落ちこぼれ引きニートな駄娘は、悪魔的にゃんこの策略で暴走分裂変態聖女になって生きていくことになりそうです〜 墨兎 @manica-camina

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