アンチマーメイド
らくがき
アンチマーメイド
和泉が、女の子を振った。
Kはピアスだらけの耳を撫でながら、心底どうでもよさそうに言った。
「知ってる子?」
「学部の1年。知らないでしょ。窓側の右から3番目の子。あの子」
節が目立つ人差し指が、垢抜けない女の子の一団に向けられた。
指先の直線上には、チョコレート色の髪をした女の子が友達と談笑している。
薄化粧、あるいはまだまともな化粧の仕方を知らないのかもしれない。ともかく、飾り気のなさが元々の純朴な顔の造形を引き立てていて、優しそうな印象を受ける。
野暮ったいが中々かわいらしい顔をしているし、色が白い。
「はは、和泉って付き合うとかそうゆうのできないのにね」
ちょっとした優越感に顔を綻ばせながら氷の入った紙のカップを回す。
分かってないなぁ、あの女の子。
そんな話を聞きながら、和泉に今晩の約束をする。
指先だけで送る軽い言葉。
こんな軽さでないと、和泉は離れてしまうんだ。
無視できるくらいのスナック菓子のような気軽さでないと。
女が本気になると、和泉は途端に面倒くさがる。
連絡が来ても無視をして、部屋に残された私物を捨てる。
そうやって切って、次の誰かをふらふらと補填する。
でも私は違う。
ちゃんと距離感を間違えないでいる。
和泉は顔とセックスだけしか褒められるところのないクズだ。
だから、それだけを搾取するために付き合わないといけない。
そして、何も知らない件の女の子にも、心の内でそっと伝えてやった。
こんな男、絶対にやめておいた方がいい。
彼女はいないのにセフレはいるし、来るもの拒まず去るもの追わずのくせして途切れない。
誰かを本気で大切にすることも出来ない。
まじで時間の無駄だから。
Kはストローだけくわえて椅子にもたれた。細長い筒の先から、赤黒いコーラの雫がぽたりぽたりと垂れて、机の上で空しく炭酸を溶かす。
「梨奈もさ、いつまで続けんの?4年でしょ?」
「続けてるって言うか、何となく続いちゃってるだけ」
「不毛だし、未来がないとか思わないの?」
メッセージアプリに返信が来た。
和泉の部屋、21時。
「何、未来って。私、別にあんなクソと付き合いたいとかじゃないから」
指先は画面を滑って返事をする。
このくらい軽くないといけない。
「おじゃまします」
和泉はオーバーサイズのVネックにほっそりとした黒のスウェット姿で私を迎えた。
改めて和泉を見てみる。
目の前の男は、世間一般で言う”かっこいい”に該当すると思う。涼し気な顔立ちや長い首、薄い唇は儚げで頼りなく見える。しかし長めの前髪から覗く切れ長の目は蛇のような眼光をしていて、無表情な癖に人の心を強く掴んでしまう魔力があった。
遠目に見たら容姿端麗な王子様、に見えなくもない。
あの女の子も、勝手に和泉を勘違いしてしまったのだろうか。いや、詐欺みたいなものだから仕方がないか。
王子様は清潔な石鹸の香りをまとっていたが、ヤニの強烈な鼻をねじ伏せる臭いにほぼ掻き消されていた。直前まで吸っていたらしい煙草が灰皿に押し付けられている。
本当は窓を開けたいが、これからのことを考えると躊躇われた。
和泉の部屋には生活感が無い。家具が、ベッドとほぼ空の冷蔵庫とテレビだけなのもあるが、最大の理由は常にモノトーンの重たいカーテンに閉ざされて閉塞的になっているからだと思う。
「シャワー浴びた?」
「まだ。貸して」
洗面台で服を脱ぎ去っていると、また増えてるのが目に入った。
来る度に、こいつほんとにどうしようもないなと思う。
洗面台にはバラバラのラインの化粧品が並んでいる。時々これが増えたり減ったりする。
女が掃除していったんだろうな、と同性にはすぐに理解できるくらいに部屋は綺麗だが、わざとらしい長い髪が取り残されるように落ちている。
まるで動物の縄張り争いだ。
今更主張しなくても知ってるよ。
*
よれたシーツ、乾いた喉、胎児のように横を向いて寝ころぶ和泉。
セックスの後、和泉は少し幼く見える。
程よい疲労感とシーツの肌触りに微睡んでいると、着信音が鳴った。
「かあさんだ」
全裸で電話をとる背中を見つめる。
細っこいけれど、男性らしく肩幅がある。背骨に沿ってひとつだけ落ちているかわいらしい黒子の存在に、和泉は気が付いているのだろうか。
かあさん、から電話が来ると、決まって、ヒステリックな叫び声が電話の音を割って金切り声のように響く。怒っているのか、不安になっているのか、感情が読み取れない。
和泉はそれに、うん、うん、と静かに相槌するだけだ。
その間、和泉の背中に文字を書いて遊ぶ。
和泉の家庭は少し複雑だ。
苗字が何回か変わって、時々元の苗字に戻る。
書くことが無くなってきたので、後ろから手を伸ばし、薄い腹の前で指を結んで抱きしめた。
低めの体温が気持ちいい。
このどうしようもない男を引き上げてあげたい。
頼りない横顔を見ていると、そんな衝動に時々駆られる。
性欲でしか愛情を甘受できない幼稚さを、いつか温かく煮溶かしてやりたい。
そしたらきっと、幸せにだってなれるかもしれない。
和泉と部屋の外に行けるかもしれない。
翌日、学食で和泉を見掛けた。
正面に座っているのは件の1年生。
何かを話しているようだったが、流石に近付きたくなかった。
かわいい女の子だな、と素直に思った。
髪がつやつや長くて、色が白くて、唇の色が綺麗。
ふられた翌日に振った相手と2人でごはん食べれるなんて、見た目の割りにメンタル強いな、とも思った。
うつ向いて少し目元を腫らしているけれど、長いまつ毛が落とす影が、また綺麗だった。
見た目だけなら和泉のタイプだ。
長い間一緒にいるから、私には分かる。
この前切った女も、あんな感じの色白で暗めのロングヘアだった。
和泉は彼女をじっと見つめていた。
真っ黒い瞳が、何かを訴えるように彼女を見ていた。
その熱っぽい視線が、錆のように胸にこびりついて離れない。
和泉の様子がおかしくなったのは、それから間もなくだったと思う。
手つきが、温度が、キスの仕方が、言葉が見つからないけれど、いつもと違う。
穏やかで優しいので、てっきり機嫌でもよいのかと思って頭を撫でた。
なんて呑気だったことか。
その違和感の正体に勘付く頃には、和泉はメッセージアプリをせわしなく気にするようになったし、カートン買いしていた煙草が姿を消した。
それに比例するように、和泉があの子と一緒にいる姿をよく見かけるようになった。
図書室で、購買で、裏庭で。
二人は距離を詰めるでも手を繋ぐでもなく、ただただ存在を確かめ合うように一緒にいた。
思い立って髪を切った。
鋏でざくざくと切り落とすと、数年ぶりに肩に髪が触れる長さになった。
これでドライヤーが楽になるし、手入れも簡単になる。
床に広がった屍のような髪の束。暗くて乾いている。
私は私のままでいたかった。
震える指で和泉にセックスを請うた。
*
「今日で最後にしよ」
「そう」
私が必死に考え抜いて、練習もして、それでも直前まで迷った言葉に、和泉はあんまりにも淡白に応えた。
わかる、わかるよ。
その声は、好きでも嫌いでもない夕御飯の献立を伝えた時の返事と一緒だもの。
私は何を期待していたんだろう。
作業的に服を脱ぎ、インスタントな前戯をし、ねだると薄っぺらなキスを落とされた。
新調したキャミソールもランジェリーも、何の感想もなくベッドの端に放られた。
私の温度を薄く纏ったまま捨て去られたそれは、蛇の脱け殻みたいだ。
これが和泉との最後のセックスなのだと言い聞かせながら、少しでもドラマチックにしたくて声を上げる。
和泉の耳には反響しない、やかましい呼吸音が煙のように霧散して、空気に溶けて消えていく。
和泉がコンドームの箱をまさぐる。
「和泉」
「なに」
「私、来る度にゴムの数が減ってんの嫌だった」
「なんで今言うの」
前に来た時と数が変わってないからだよ。
白っぽい指が慣れた手つきでそれを装着する。
終わりが来た。
潮の満ち引きのように、ふりこのように。
淡々としたセックスの終わり、ぼやけた視界の中心で、和泉は目を瞑って誰かを見ていた。
溢れていた涙が頬を滑っていったが、目の前の和泉は気が付くこともない。
熱のない吐精が隔たりに吐き出される。
私が足で絡めとるよりも先に、彼の方から繋がりをほどかれた。
欠片の情緒も残さずに後処理が進んでいく。
中には和泉の性欲を、外には私の未練を抱えたラテックスが、雑にゴミ箱に放り込まれるのを横目で見ていた。
ティッシュにくるまれて、見えなくなってゴミ箱へ。
会ってすぐの頃は私が動かないとそのままシーツに倒れるだけだったのに。
和泉の中の私がかき消されていく。
私の中の和泉が塗り替えられていく。
喉が渇いた、水が飲みたい、でも何も言いたくない、ここから動きたくない。
りな
和泉の声に急いで駆け寄る。
どんなにささいな彼も見落としたくなかった。
「持って帰る?」
あんなにも女の残り香を漂わせていた洗面台には、私のオールインワンだけがぽつんと佇んでいた。
和泉が引き留めてくれるのを、私が必要だって言ってくれるのを期待していた。
果たして、ついぞそんな言葉が出ることはなく、最後の悪あがきに、今までありがと、と言った。
「俺もたのしかったよ。じゃあ」
和泉は上下黒の部屋ジャージにサンダルをつっかけていた。
玄関が和泉の手で閉まる。
私が閉めてやりたかった。
開くことのない、そして、二度と踏み入ることのないであろう黒い扉の前で立ちつくす。
和泉が出て来るような気がして、しばらく重い濃紺を眺めた。
簡単だった。
いつも私から送っていた連絡を辞めるだけ。
それだけで、私たちはいとも簡単に切れた。
元々繋がってなんかいなかったのだ。
私が、なんどもなんども方結びを繰り返してきただけなのだ。
いつか、彼から結んでくれることを期待して。
それからしばらくして、和泉があの子と2人で歩いているのを見掛けた。
彼は少し猫背になって、身長差のある彼女の話を聞いていた。
和泉の耳が遠目にも分かる程に真っ赤に火照っていて、それを見た瞬間、体中の血がざわざわと震えて小さな津波を起こしているような気分になった。
わなわな自然に震える手足と、狭くなる視界。
言い様のない衝動のまま、女の子の細い腕を引っ付かんで、声も高々に叫んでやりたかった。
私、こいつのセフレだったよ
歴代のセフレ合わせたら2桁いる
あんたのことも、絶対にしあわせになんてしてくれないよ
そう、喉から絞り出すように叫んで、彼から彼女を取り上げてしまいたかった。
彼を引き上げることができるのは私じゃなかった。
どうしようもない事実が、どっしりと倒れた大木のように横たわっていた。
どれだけの時間を彼と過ごそうとも、それは私の役目ではなかった。
横からさらりと現れた彼女の役目なのだと、一目で理解できてしまう。
一生、祝福なんてされなければいいのに。
私以外としあわせになるくらいなら、ずっとずっと、満たされないままでいればいいのに。
ただ、2人の後ろ姿を眺めていた。
和泉が、どうしようもなく不幸になりますように。
彼女を失いますように。
悪意のナイフで彼の心臓を抉りながら、祈らずにはいられなかった。
アンチマーメイド らくがき @rakugakidake
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