【ショート小説】『深紅の時空間旅行』初めてのタイムマシン
越庭 風姿 人は得る。創作で。
初めてのタイムマシン
「ニャーン! 」
猫の鳴き声に、動物好きな私は振り向いた。
夢の中の出来事なのだと思うが、目の前にいる猫が、突然人間の言葉を話し始めた……
「…… もし、人生で一度だけ『タイムマシン』で、時間を巻き戻し、その時代を眺めて帰って来ることができるとしたら、どこまで戻してみたいですか? 」
こんな問いを、投げかけたのだ……
「猫が喋った!? 」
混乱している私をよそに、さらに続ける。
「時間の流れは、他のエネルギーに置き換えることが可能なのです。決してアニメや映画のような空想の物語ではございません」
呆然としている私に、猫は話しを続けた。
「今すぐでなくても結構でございます。次の満月の夜までに、お考え置きください…… 」
立ち去ろうとしたが、何かを思い出したように、猫がまた振り向いた。
「そうそう。申し遅れましたが、私は『シャ・ルージュ』と申します。『ルージュ』とお呼びください…… 」
「あ、あの…… 」
呼び止めようとしたが、聞こえなかったようで、そのまま塀に飛び乗って消えていった……
翌朝、
「おはよう。お母さん、変な夢見たのよ…… 」
友人にこの奇妙な夢の話をしても、真剣に聞いてもらえなさそうなので、母に一番聞いて欲しかった。
「ん…… ちょっと待って。今日も大学があるんでしょう。余裕持って出かけなさい。夢の話は夜聞くわ。ほら食べて! 」
リビングのテーブルに、食パンとサラダ、ハムが並べられていた。
いつも5時半ぴったりに起きて来るので、毎朝支度をして置いてくれる。
「ねえ。ちょっとだけ。ロマンチックで良い話なのよ…… 」
「ロマンチックって、どんな夢なの? 」
エサを撒いてうまく母を乗せられた。
「タイムマシンで過去に戻って、眺めて帰って来るツアーがあったらさ、どうする? 」
「あら。あなたは想像力豊かだから、夢も深いのねぇ…… 」
香苗は大学の商学部で学びながら、イノベーション研究センターで助手のアルバイトもしている。
卒業したら、ビジネスを企画構想する部署で働きたいと思っていた。
「面白い話だから、よく考えてみようと思ったの。お母さんも考えてみて。夜報告し合おうよ」
「そういうことね。じゃあ、どちらが面白い話を考えるか、勝負しようか。ジュース1本賭けて! 」
こうして、丸1日今朝の話題が頭から離れなかった。
大学の授業は、お互いに意見を出し合って問題解決する形式が増えている。
テキストに書いてあるようなことは、事前学習をして、ゼミ形式で意見を発表したり、グループワークをしたりする。
動画でリモート授業を受けることもある。
大学教授は、常に学生から評価され、不人気な教授はいつの間にかいなくなっていることもある。
学生の目からそんな風に見えるだけで、実態はそんなに単純な制度ではないのだろうけど……
仲の良い友達はいるが、タイムマシンのような突拍子のない話を、じっくり話す時間はなかった。
「ただいま! 」
夕方6時。
アルバイトがない日なので、家に直行した。
タイムマシンの話も整理しきれていないので、自室に少し籠って書き出してみることにした。
部屋に入ると、机の真ん中に書類がきちんと揃えて置いてあった。
「何だろう? 」
表題には、
「旅行企画書」
そして宛名は
「菊田香苗様」
とある。
「私の名前…… 旅行企画書? 」
空想の出来事として片付けようとしていたことが、奇妙に現実味を帯びたような気がして、気持ち悪さを感じる。
「お母さん! 」
リビングに降りた香苗は、その書類を母に見せた。
「私の机にこんなものがあったの」
「どれどれ…… 2泊3日になるのね。食事は携帯食を持って行くといいわ。現地で調達できないでしょうから」
母は妙に落ち着いていて、期待していた反応と随分違った。
こんな内容である。
「菊田香苗様
旅行企画書
2022年3月吉日
シャ・ルージュ
春分の候、益々ご清栄のこととお慶び申し上げます。
この度は、私共の「時空間旅行」のご案内を差し上げたく、企画書を作成いたしました。ご希望の旅行先によって詳細を決定いたしますので、次の満月の夜にお伺いいたします。
旅行日程 未定(2泊3日の予定)
旅行先 未定
代 金 ポイントから充当
※生命保険、旅行障害保険及び賠償保険に加入していただきます
以上」
「どうして、お母さんは落ち着いてるの? 」
母は、しみじみと書類に目を落としている。
何か物思いにふけっているように見える。
「ふふふ…… それは旅行先の話をしてから言うわ」
意味ありげに笑った。
香苗はしばらく考え込んだ……
自分から話し始めるのを待っているようなので、切り出した。
「私、1日考えたのだけど、今のところ行きたいところがないの」
「それは、幸せなのかも知れないわ。やり直したい過去とかないの? 」
「それがね。全然思い当たらないのよ。毎日忙しいけど充実しているし、他の進路もあったのだけど、新しいビジネスを考え続ける事が楽しくて、他の人生は考えられないわ」
母は、段々と真剣な表情になってきて、この時空間旅行について語り始めた。
「そんなはずはないわ。短い人生でもパラレルワールドが無限に広がっていて、頭の中にはそのイメージがあるはずだわ。ただ、香苗は現状に満足しているからあまり考えて来なかったのでしょう」
言葉から、母が今までに同じ問いを自分に投げかけて来たことが読み取れる。香苗はまだ人生経験が浅いため、やり直したいと思うほどの試練に遭っていなののかも知れない。
「どうしようかな…… 」
「いいわ。それじゃあ、謎解きをしましょう…… 」
「謎解き? 」
「母さんが一番知りたい過去は、お父さんが亡くなった日のことよ」
父武夫は、16年前交通事故で亡くなった。
3歳だった香苗は、葬儀のとき親戚が集まったことを、おぼろげに覚えている。
俯き加減になって、ため息をついた。
「そうじゃないかと思ってた…… 」
橋を渡ろうとした4トントラックが、整備不良が原因で突然歩道を乗り越え、歩行者をはねながら川へ落ちたという、痛ましい事故があった。
たまたま歩いていた武夫が巻き込まれ、一瞬のうちに帰らぬ人になった……
遺体の損傷が酷く、香苗は父の棺を見た記憶があるだけだ。
「それで、お母さんは見に行ったの? 」
話の流れから、母にもこの旅行の話があったのだろう。
「そうよ。私はお父さんが亡くなって、呆然としていた時にルージュに出会ったの」
「無理に話してとは言わないけど、一つ教えてちょうだい。このポイントって…… 」
「実はね。私より前に、お父さんがタイムマシンを利用したらしいの。行った先で、利用ポイントみたいなものが溜まる仕組みらしくて、それを使うのでしょうね…… 」
「私、ますます行先が思い当たらなくなったわ…… ちょっと恐竜に会いたいとか思ってたけど、とても口にできない気分…… 」
「ごめんなさい。やっぱりね。お母さんとお父さんにある、ルージュとの因縁を話したら、香苗に与える影響が大きいと思っていたわ」
「大きいし、重すぎるよ…… はあ…… ジュース1本なんてどうでも良いね…… 」
しばらく沈黙していた。
母は、一段落したと見て、キッチンに入って夕飯の支度を始めた。
「ピンポーン! 」
玄関のチャイムが鳴る。
「はーい 」
ドアホン越しに返事をした。
「夜分恐れ入ります。ルージュでございます。例の件について、少しお話をする必要があると思いまして…… 」
ガチャ……
ドアチェーンをしたまま、ドアを開ける。
そこにはスーツを着こなした紳士が立っていた。
深紅のネクタイが、燃えるような鮮やかな赤い艶を放っていた。
「すみません。どうご説明したら良いのか測りかねますが、私はシャ・ルージュでございます…… 」
頭の先から足の先まで眺めまわして見たが、物腰が柔らかくて怪しい感じはしなかった。
「ルージュさんで間違いないと思うわ。開けて大丈夫よ」
母がドアホンの映像を見て声をかけたのだろう。
「どうぞ…… 上がってください」
ルージュは革靴を1ミリもずらさず、きちんと揃えて玄関を上った。
「お邪魔いたします」
45度にきっちりと腰を折り、香苗に礼をした。
「ルージュさん…… 」
母がリビングから顔を覗かせた。
「おお。菊田伊予さまでいらっしゃいますね。お久しぶりでございます」
またきちんと礼をした。
リビングの椅子を勧めると、3人は座った。
「時空間旅行と聞いて、娘と『どこへ行きたいか、考えて今夜話しましょう』なんて言ってたところなんですよ」
「いやいや…… 猫の姿を借りて、香苗様にタイムマシンのお話をさせていただきましたが、間が悪かったようです。失敗でした…… 詳しいことは社内規約によりまして…… 申し上げられませんが、私共は、人智を超えた存在なのです」
「『トラゑもん』みたいに、未来から来たとか? あ。すいません。秘密ですよね…… 」
「実は、菊田武夫様、菊田伊予様にも時空間旅行をご案内したのです。武夫様の遺志によりまして、次の世代にも残ったポイントで案内して欲しいと頼まれました」
「お父さんに? 」
「これは、一生に一度だけ利用できるポイントなのですが、もし子どもが生まれたらと託されたのです」
父は若いときに、妻と子どもと穏やかな家庭を持ちたいと話していたらしい。どこかで聞いた話だった……
「では、私はお父さんの遺志で、好意でタイムマシンを使えることになったと? 」
「その通りでございます。私は、できるだけ、規約に抵触しない範囲でお話しようと思いまして、今夜参りました次第です…… 」
「ルージュさんも、夕飯を召し上がってください。私も主人もお世話になってますし、話が長くなりそうですから…… 」
母がキッチンへと戻った。
「ああ。どうか、お気遣いなく。ですが、あまり遠慮するのも失礼ですから、お言葉に甘えさせていただきます」
本腰を入れて、話をしなくてはならないようだ。
保険の営業マンがやって来て、数時間話して帰ったことがあるが、ルージュは何かを売りに来たわけではない。
奇妙な点が多いが、昔から家族が世話になっていると知って、不思議な親近感があった。
「さて。今回ご案内した旅行企画書ですが…… 基本的には2泊3日で、お客様が設定した行先にご案内しております」
「差支えなければ、お父さんがどこへ旅行したのか、教えていただけませんか? 」
「はい。親族の範囲であれば、旅行の内容をお話できることになっておりますので、ご説明するつもりでおりました」
「お母さん。お父さんの話するって」
「私はここで聞いてますから続けてください」
ルージュは、目を閉じて慎重に思いだしながら、ぽつりぽつりと話し始めた……
武夫は10歳までに両親を亡くし、2歳下の弟義明と共に親戚の家で育てられた。
中学校を卒業してすぐに働き始め、弟を養いながら勉強をして、たくさん資格を取って仕事に役立てる、大変な努力家だった。
弟はそんな兄に甘えて、両親がいないためか素行が悪かった。
警察の世話になったことが何度もあり、武夫は養親に対して肩身が狭い思いをしていたようだ。
そんな武夫の前に、ルージュが現れた。
「人生で一度だけ、過去を眺めて戻って来られるとしたら…… 」
香苗と同じ話を説明され、武夫が選んだ行先は……
ここまで話して、ルージュが一息付いた。
「少し、時間を置きましょう。ちょうど夕食の支度ができた様子です。私もお手伝いいたします」
ルージュはキッチンから母と一緒に食事を運んできた。
食卓に着いた3人は、黙って食事を始めた……
食べながら香苗はずっと父のことを考えていた。
父の身の上話は母から聞いていたし、大変な苦労人だということは何度も聞かされていた。
そして叔父が度々父にお金をせびりに来ていたらしい。
亡くなってからも何度か家に来て、お金を貸して欲しいと言われて激怒する母を見たこともあった。
父はそんな身の上をどう思っていたのだろうか。
弟のことは、自分ではどうしようもないように思える。
話ができなくても、両親に会いたいと思ったのではないだろうか。
食事が終わり、片付けると3人はテーブルに着いた。
「香苗さん、お父様はどちらに行ったと思われますか? 」
「両親と、幸せな暮らしをしていた頃に戻りたいと思ったのではありませんか? 」
ルージュは口元だけニヤリと笑った。
「話の流れから、そう思われるのが自然です。お母様はどう思われますか? 」
「そうですね…… 主人は、自分の運命は自分で責任を取る人でした。過去に安らぎを求めたりしない気がします…… 」
「さすが奥さまです。その通りでした。それでは、何を求めたのだとお思いですか? 」
「あの人は、技術の進歩に夢を見ていました。インターネットと、新しいデバイスによる通信技術が世の中を変え、今のようにインターネットなしでは暮らしが成り立たない時代が来ることを感じていました。未来へつながることを考えていたはずです」
「未来へつながる過去…… パラドクスみたいだね…… 」
「そう言えば、口癖のように『1889年のパリ万博』の話をしていたわ…… もしかして…… 」
「そうです! パリ万博は1855年から1947年までに8回開催されました。中でも技術革新を前面に出した『1889年のパリ万博』をご希望されました」
ルージュの声が熱を帯びていた。
「セーヌ川河畔のオルセー地区が開場になり、ドコービルによる約3キロメートルの鉄道が敷設され、エッフェル塔が建設された、記念すべき博覧会だったのです」
「なるほど…… 主人らしいと思います。きっと楽しかったでしょうね…… 旅行なんだから、もっと羽を伸ばしても良いのでしょうけど、一生に一度ならば、やはり意味深いものにするべきでしょうね…… 」
母の言葉が、香苗に深くのしかかり、息苦しくした。
「なんだか、ますます自分の浅はかさに恥ずかしくなったよ…… 時空間旅行なんて、こんなチャンスを軽く考えていたわ…… 」
「もちろん、旅行を楽しむことも重要でございます。お父様は、真面目に人生に向き合っておられましたから、時代の変化に敏感でいらしたのでしょう…… 」
「私、もう少し考えてから決めなくちゃいけない…… お母さん、きっと私はお父さんみたいに未来へつながる過去を希望すると思う。きっと今大学や研究所で勉強していることとも関係がある気がするわ…… 」
「そう…… 良かったわ。ルージュさん。香苗にとって、時空間旅行のことを考えることが、人生を切り拓くきっかけになる気がします。未来のことを知るためには、過去を知れば良い。過去から現在への流れが、未来を指し示すのですから…… 」
「ルージュさん。次の満月までに決めると仰いましたが、待っていただくことはできますか? 」
「もちろん。結構ですよ。この旅行は香苗さんの権利ですから。先に延ばしていただいても差し支えございません。ただし、次のタイミングは当社の方で決めさせていただくことになります。それでもよろしいでしょうか」
「結構です。私は、まだ決断する時ではないと思いました。次のチャンスはルージュさんが判断してください」
ルージュはスマートフォンを取り出し、何かを打ち込んでいた。
香苗はその間も、旅行のことを考えていた。
父が見た風景、そして未来に描いた夢を……
「では。またお会いするときを楽しみにしております。その企画書はお持ちになって結構です。夜分失礼いたしました。そしてごちそうさまでした…… 良い人生を…… 」
深々と頭を下げて、立ち去った……
輝く深紅のネクタイをした紳士に、父も母もお世話になっていた。
そして自分は、どこへ行くことになるのだろうか。
自由に決めていい、と言われたが、自由に決められるわけではない。
タイムマシンによる時空間旅行は、大きな責任と、深い見識が試される問いだった。
「お母さん…… もしかすると、ルージュさんはもう現れないんじゃないかしら? 」
「あら。なぜ? 」
「もう、役目を終えた気がするのよ…… 」
「あなたに考えさせることが、目的だった気もするわね…… でも、ルージュさんは約束を破ったりしないわ。いつ来るか分からないのだから、考えをまとめておきましょう」
「うん…… 」
「物語は、ひとまずこれで終わりです。ここから香苗さんの大冒険が始まるのですが…… それはまたの機会にお話しいたしましょう…… 」
燃えるような深紅のネクタイを光らせた紳士が、踵を返して立ち去ろうとした……
「あっ! そうそう。私は、日本を重点的に回らせていただいております。タイムマシンによる時空間旅行のご案内は、必然的な選択によってお客様を選定させていただいております。次は、あなた様が私と一緒に旅立つ番になります。次の満月までに、お考え置きください…… 」
深々と礼をして、闇に溶け込んでいった……
了
この物語はフィクションです
【ショート小説】『深紅の時空間旅行』初めてのタイムマシン 越庭 風姿 人は得る。創作で。 @yamadahideo
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