第5話 5、治療箱
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三本は質問を続けた。
「免疫は重要ですが星の大気に触れることを常に恐れている状態は好ましくありません。千さんは地球に来た時にはどのような予防処置をなされたのですか。あるいはどのようにして地球での免疫を獲得しましたか。」
「私は病原菌の感染を気にしませんでした。長く滞在するつもりでしたからいつまでも防いでいるわけには行きませんでした。病気になったら宇宙船の治療箱で治そうと思いました。」
「治療箱というのはどんな物ですか。」
「今のところあらゆる病気を治すことができます。死んでいなければ例え片腕がなくなっても再生できます。ガンにかかっても完全に治すことができます。感染症にも対応できます。」
「まあ不死化できる技術を持っているのですから治療は簡単なのでしょうね。その治療箱は私にも使えるのですか。」
「使えます。最初はほんの少し時間がかかります。遺伝子解析を必要とするからです。・・・そうですね、外に出る前に治療箱に入って悪いところを直しておいた方がいいと思います。先生は高齢ですし、色々な場所で老化に伴う不具合が進んでいるはずです。」
「それはありがたいですね。最近は農作業すると膝が痛むんです。」
「ついでに細胞シャワーをかけておいた方がいいでしょう。」
「ひょっとすると『細胞シャワー』というのは千さんが行っている不死化処置ではないですか。例の未分化性賦活処理です。」
「その通りです。これも時間はかかりません。もともと治療箱と細胞シャワーは互いに補完しあっているのです。細胞シャワーでは新しい細胞が出てくる過程でガンが誘発される場合があるのですが、そんなガン細胞を治療箱が取り除くわけです。」
「よく分かります。私の周りにはガンを研究対象としていた研究者もおりました。人間の体の組織は分化したままだったらガンは発生しませんがその代わりに組織細胞の老化が進みます。人間の寿命を延ばすためには組織は多少の未分化性を保っていて新陳代謝をしなければなりません。でもその未分化性はガンの発生の引き金になります。彼らはそんな矛盾する仕組みで生ずるガンの治療に悩んでおりました。ガンの発生は人間の長寿化に伴なう必然でしたから。ホムスク文明は人間のそんな矛盾を解決したのですね。」
「そうだと思います。治療箱の特徴はナノロボットの使用と時間速度の加速です。ナノロボットはガン細胞や損傷部位を取り除きます。時間速度を早めるのは細胞分裂とその後の分化に時間がかかるからです。」
「地球のガン治療の完成はまだまだ先の話ですね。他分野の科学が進んで初めて完成するようですね。」
「ホムスク星でも相当な時間がかかったようです。」
「千さんは先ほどから乗り物の名前を言っておりませんね。何という名前ですか。」
「作ったばっかりで名前はまだありません。先生に名付けてもらおうと思いました。」
「そうですか。実際に動かしてみないと命名は難しいですね。トンボになるのかテントウムシになるのかスズメバチになるのかですね。その乗り物は武器を積んでいるのですか。」
「はい、中程度の分子分解砲と火薬で発射する小口径の機関銃と大口径の機関砲を積んでおります。」
「機関銃と機関砲ですか。素敵ですね。居間にある散弾銃よりずっと威力があります。でも分子分解砲はわかりますが、機関銃とか機関砲とかは隣接7次元位相から発射しても的を通り過ぎるだけではないのですか。外からの弾丸は通過してしまうわけですから。」
「弾頭には少量のルテチウム・ローレンシウム1:1合金が含まれております。ルテチウム・ローレンシウム1:1合金は7次元世界を貫通しておりますから隣接7次元位相から発射しても7次元ゼロ位相のこの世界にも影響を与えることができるはずです。」
「・・・ということは逆に物体を通り抜ける時には弾頭部分に抵抗を受けるわけですね。」
「・・・そういうことになりますね。わたしも抜けてますね。深く考えませんでした。」
「実際にやってみれば分かりますね。」
「しばらく惑星を偵察してから練習しましょう。」
「了解。鉄砲で撃たれても大丈夫だと分かりましたがホビーさんが装着していると言っていた分子分解銃ではどうですか。」
「大丈夫ではないと思います。隣接7次元は光を通しますから分子分解銃のガンマー線は通過できるはずです。レーザー兵器も威力は落ちますが危険ですね。分子分解銃を阻止できるのは7次元シールドですがそれは着けておりません。なんと言っても原動機付き自転車のスーパーカブですから。」
「了解。」
「でも弱い虫のように身を守るための擬態ができます。ボタン一つで乗り物は透明マントに包まれます。透明マントに入る外からの光は進行方向にくると入射方向を保って外に出ますから透明になるのです。でも100%の透明では中は真っ暗になります。透明化率を99%にすれば外の様子を見ることができます。」
「まるで空想科学小説のようですね。」
「空想科学小説は人間の憧れですから。」
三本は治療箱に入って『治療』を受けた。
治療箱とはエジプトミイラの棺桶やドラキュラの棺桶のような形だった。
三本は衣服を着たまま治療箱に横たわり、千の微笑む顔を見ながら蓋が閉じられ、後は分からなくなった。
次に三本が意識を取り戻した時は既に治療器の蓋が開けられており、千が微笑んで三本を見つめていた。
「先生、治療は完了しました。どうぞ治療箱から出てください。コーヒーを用意しました。」
三本は治療箱から出て椅子に腰掛け、テーブルに置かれたコーヒーを飲んだ。
熱くはないコーヒーだった。
「蓋を閉じられた瞬間に意識を失ったようですね。どれくらいの時間がかかったのですか。」
「私にとってはそれほど長い時間ではありませんでした。私がコーヒーを淹れ、テーブルにコーヒーカップを置き、今先生がお飲みになったコーヒーの温度になるだけの時間です。でも治療箱の中の先生はずっと長い時間を過ごしたと思います。」
「そうですか。でも尿意は起こらなかったと思います。」
「ナノロボットが全て処理したと思います。水分の補給も栄養の補給もしていたはずです。とにかく治療箱に入ってしまったら後は治療箱のなすがままです。人間は抵抗できません。私は詳しいことは存じません。この治療箱は完成されたものです。長いホムスク文明が長い年月をかけて完成したものです。細胞シャワーも照射されました。先生は少しだけ若返ると思います。」
「そうですか。そう聞いただけで体に力が満ちて来ているような気がします。」
「実際にそうなっていると思います。」
三本は少し空腹を感じた。
三本は腕時計を着けていなかった。
時計を必要とする生活ではなかったし、時刻を知りたい時は部屋の時計や携帯電話をみればよかった。
思えば長い一日だった。
千とホビーが自宅に訪れ、転送機で千の宇宙船に行き、宇宙船内の三本の自宅を眺め、銀河系の中心方向にある恒星系に移動し、変な宇宙船を見つけ、惑星を探査し、巨大恐竜を見つけ、病気を治し寿命を延長する治療箱に入った。
まるで幼子(おさなご)時代の一日のようにいろいろな経験をした。
「千さん、今何時でしょうか。」
「そうですね、時刻を定めた方がいいですね。先生のお宅に訪問してからかれこれ8時間くらいが経過していると思います。今を午後の6時、18時ということでどうでしょうか。」
「了解。少しお腹が空きました。これからこの宇宙船に作ってくれた家に帰ろうと思います。夕食の準備をします。今夜は地球を離れて大宇宙に出た記念の日です。お赤飯を炊いてごま塩を振りかけて食べます。」
「大変ですね。」
「苦痛には思っておりません。これまでずっと続けてきたことですから。」
三本は操縦室のゲートをくぐって芝生の庭に出てコピーの我が家に帰った。
三本が家の風除室に戻る頃にはそれまで明るかった空は夕暮れの空に変わった。
千が18時の空に変えたのであろう。
おそらくしばらくすれば空は星空になるのだろう。
お赤飯は作るのが面倒だが副食を作る手間がいらないから便利だ。
小豆(あずき)を煮洗いしてから再び煮、小豆が柔らかくなったら冷やして小豆と煮汁を分離する。
もち米を磨(と)いで洗ってから煮汁を加え、水量を調節してから小豆を入れ、塩を少々加えて炊飯器で炊く。
後はインスタント味噌汁を付ければ夕食ができる。
三本は出来上がったお赤飯と味噌汁を食卓ではなく居間の巣に運びデスクのパソコンディスプレイの前で多少の失意と共に夕食した。
三本は恐竜の画像を見たかったのだがパソコンはインターネットに繋がっていなかったのだ。
三本はDVD映画を観ながらお赤飯を食べた。
その映画は「アーモンドバター」という題名で異星での現地人と地球人の戦いを描いた映画だった。
三本のコピーの家は地球の家と同じだった。
トイレも使えたし、ガスレンジも使えた。
三本はシャワーではなく久々に狭い浴槽にお湯をはり、湯船に小さくなって暖かいお湯に身を委ねた。
その夜、三本は居間の簡易ベッドに入ると直ぐに眠りに落ちてしまった。
疲れていたのかもしれなかった。
翌朝、三本は朝の身支度を終え簡単な朝食をとってから操縦室に行った。
千は既に操縦室にいた。
「おはよう、千さん。コピーの家は快適でした。熟睡できたようです。」
「おはようございます、先生。昨日は色々ありましたからね。お疲れになっていたのでしょう。」
「そうかもしれないですね。変わったことはありましたか。」
「今のところありません。今日は惑星の全体が観測できそうです。この惑星の自転速度は地球の倍の12時間です。もちろんこの星域の時間速度は分かりません。おそらく地球から比べれば少し遅いと思います。でも我々が使っている時計も我々も遅くなるのですから問題は生じません。」
「要するに12時間で昼間の地表全てを観測できるのですね。」
「そうです。」
三本と千はしばらく衛星軌道からの地表観察を続けた。
衛星軌道を何周か周回したのち、大河の三日月湖のほとりに多数の自動車が集結しているのを発見した。
車群は数種大小の自動車で構成されており、どれも頑丈そうな自動車で無骨なタイヤを履き前部には太いフロントガードが着いており、オープンタイプの小型車にはロールバーも付いていた。
中の数台には後部に重機関銃らしきものが装着されていた。
「どう見てもあの自動車は狩猟用ですね。恐竜でも狩るんでしょうか。」
三本は画像の自動車を見ながら言った。
「そのようですね。どんな生物がそれをしているかが問題だと思います。それなりの防御服を着ていなければこの惑星の大気に対して免疫を持っているということです。」
「あの宇宙船と関係があるんでしょうね。」
「そう思います。」
「がぜん面白くなりましたね。どんな人間だろう。・・・人間とは限りませんね。でも自動車は地球でも見られそうな形だから少なくとも腕と脚はありそうですね。」
「すぐに分かると思います。」
「千さん、ホムスク人は異星に行ってその星の支配生物と出会ったはずです。意思の疎通はどのようにしていたのですか。」
「通訳機を使っておりました。大航宙時代の初期の通訳機は未熟なもので現地に行って相手の会話を聞き、それを蓄積、推測して会話ができるようになっておりました。大航宙時代は何万年も続いた時期です。その時代の終わり頃にはずっといい通訳機が出来上がりました。脳と脳との間で会話するのです。ホムスク語で言葉を発するとその概念は脳波として相手の脳に入ります。その概念に基づいて相手の脳の中で相手の言葉が形成されるのです。逆も同様です。ですから互いに相手の言葉を脳の中で聞くことになります。しばらく会話を続けていれば語彙が蓄積し耳からの声が同時に聞こえるようになります。」
「便利ですね。それなら巨大恐竜が言語を持っていたら恐竜と話をすることができますね。」
「恐竜が言葉を持っていればできると思います。」
「たとえ言葉を持っていなくても私の考えを相手に伝えることができますね。」
「そうだと思います。」
「動物を従えることができた神様はそんな通訳機を持っていたのかもしれませんね。」
「そうかもしれません。」
「これで一つ疑問が解決されました。ずっと昔から動物を従えることができる神様の方法が分からなかったのです。優れた科学を使う者は神のように見えるのですね。」
「そう思います。」
「この宇宙船で使われている物は最終型の通訳機ですか。」
「そうです。私の通訳機はヘアバンドタイプで、先生のはヘルメットタイプです。」
「了解。頭は大切です。」
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