第2話 2、三本の巣

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 4月になると川本三本は無事に嘱託教授を終え年金生活に入った。

嘱託時代に書き上げた最期の本も無事に出版し、毎日が日曜日の生活を続けた。

それは長い研究生活習慣を変えるのに必要な時間だった。

 一年と数ヶ月が経って川本三本は117回のロト7を購入し、8億円を獲得した。

1等の当選番号は変わっていなかった。

未来における状況は変わっても宝くじの当選番号は変わらないらしい。

三本は1億円を電気、水道、ガス、市民税、固定資産税などの生活の維持に必要な自動引落に使用している銀行口座に預金し、残りは放っておいた。

三本はこれまでの質素な生活を変えようとは思わなかった。

 (川本)千はそんな時に三本の前に現れた。

三本が家の横の畑でジャガイモの葉にホースで水をかけている時だった。

すでに畝(うね)の間には入る隙間もないほど葉が茂っていたので上から水を撒(ま)くしかなかったのだ。

三本はジャガイモの植え付けをゴールデンウイークに行い、収穫はお盆休みに行うことにしていた。

通常の時期からはだいぶ遅れた農作業だったが、それは三本の生活習慣に適していた。

 千は手に黒いアタッシュケースを下げ、ガレージ前の傾斜地前の柵の向こうに立って三本の後ろから声をかけた。

「こんにちわ、川本先生。」

三本はその声に振り向き、ホースでの散水を止めて言った。

「やあ、千さん。久しぶりですね。丁度水撒きは終わりました。涼しい室内で話しましょうか。農作業をする時にはいつも家のエアコンをつけているんです。とにかく夏は暑い。避難場所が必要です。」

「ほんとに暑い日ですね。」

 三本は畑を囲ってある柵を外して千の前に行き、千を連れてガレージを通ってから車庫を通り抜け、自宅玄関から屋内に入った。

三本の家には自動車を置いてある車庫が2つあり、家に近い車庫には使える自動車がおいてあり、その隣のガレージには使えない自動車とオートバイが置いてある。

ガレージには自作の保管所が繋がっている。

 屋内は涼しかった。

三本は下駄箱から来客用のスリッパを出し、千を三本の居室に案内した。

三本の居室というのは三本の巣だった。

7m5mの方形で、窓は西の道路側に二つと南の玄関側に一つあり、道路から来る訪問客を見ることができた。

窓際に大きな事務机があり、その両側に机面と同じ高さのファイルボックスがあり、重厚な椅子2脚が並んでいた。

机の上には大画面のパソコンと小さなテレビが並んで置かれ、端の方にはダイヤル式の黒電話が載っていた。

2台のプリンターはワゴンに載って机の周囲に置かれていた。

そこまでは大学での配置と同じだった。

 部屋の中央には目覚めた時に布団を跳ねあげた時のままの寝具が載った簡易ベッドと、その向こうの壁には5丁の銃が入ったガンロッカーが並んで置かれていた。

ガンロッカーの上には自作の長巻が壁に掛けられ、その横には改良されたボーガンが吊るされていた。

部屋の入り口近くには古いアップライトピアノが置かれ、小さな冷蔵庫とインスタントラーメンとスナック菓子を載せたスチールラックが壁に置かれていた。

石油ストーブと扇風機が並列に置かれ、その横には小型の掃除機がすぐに使えるようにむき出し状態で置かれていた。

窓のカーテンレールの片方には面体型の防毒マスクがぶら下がっており、もう片方にはおもちゃのグロッグ18Cが弾倉付きのホルスターに入って吊るされていた。

 「まあ、面白いお部屋ですね。」

千は居間に入ると最初に言った。

三本は椅子を千にすすめながら言った。

「ここは私の巣なんです。安心して過ごすことができるんです。この家は熊に襲われたこともあるんですよ。月の輪熊の成獣だったそうです。玄関の風除室が打ち壊されました。」

そう言って三本は冷蔵庫に行き、中からジンジャーエールとオレンジジュースとカルピスの小瓶を取り出し、冷蔵庫の横に置いてあった小型ワゴンのカバーを外して小瓶を載せ、椅子の近くに移動させた。

 「飲み物をどうぞ。他に桃のネクターとコーヒーとりんごジュースがあります。千さんの好みが分かりません。」

「ジンジャーエールをいただきます。」

「生姜(しょうが)がお好きなのですね。この家の近くには波自加彌神社(はじかみじんじゃ)という日本では珍しい生姜を祀(まつ)った神社があるんですよ。・・・ロト7は当たりました。千さんの話は実証されました。」

 「先生の第3の人生は決まりましたか。」

「できれば色々な物を見ることができる人生を送りたいと思いました。後はなり行き次第ですね。私の『なり行き次第』という性格は変えることができないようです。」

「その方が面白いと思います。最初の『見たいもの』は何ですか。」

「恐竜を見たいんです。千さんは銀河系の内情をご存知だと聞きました。銀河系にはまだ恐竜が住んでいる惑星もあるのではないでしょうか。千さんの宇宙船には搭載艇があると思います。安全な場所から恐竜を見物したいと思います。推測と想像の知識では知っていても巨大な体を実際に見てみたいんです。なぜ我々人間はこの大きさなのかを考えたいと思います。」

 「恐竜が今も生きている可能性がある惑星は宇宙地図を調べなければ分かりません。時間速度が遅い銀河系の中央部分ではまだそんな星があるかもしれません。今のところ、地球では恐竜時代の方が人類よりも長いわけですから。」

「時間速度ですか。そんなことが大宇宙では問題になるのですね。」

「はい。でもたかが一つの銀河星系内での話ですから大きな違いは出てきません。時間速度が問題になるのは大宇宙の辺縁です。」

 「千さんはホムスク国が大宇宙の辺縁にあるとおっしゃいました。ホムスク星の時間進行速度は地球より早いのですか。」

「1000倍ほど早いと思います。ホムスク星の夜空では星は全天の半分しかありません。もちろんホムスク星は自転していますから星がない場合も全天が星で満たされる場合もあります。ホムスク人はホムスク星が大宇宙の辺縁にあることを自覚しております。」

「私の大宇宙に関する時空間の認識はまだ未熟みたいですね。少し考えてみましょう。千さんは私の第3の人生をどのようにして成就(じょうじゅ)させるおつもりですか。」

 「先生は大宇宙の旅行のためにこの家を留守にすることになります。長期に家を留守にするのは良くありません。この家には先生と同じ姿のロボットを置いておこうと思います。良くできたロボットですから外見では違いはわかりません。外との対応が少しくらい悪くても本人がいるわけですから問題となりません。姿が老人ですから許容されます。」

「そうですね。世間にはボケ老人はよくいます。」

 「先生はこの家から宇宙船に直接行くことができます。『転送機』と言って物質の瞬間移動を可能にする装置です。電話ボックス程度の大きさです。この部屋に設置してもいいですね。部屋の中に電話ボックスが在ってもこの部屋とはマッチします。」

「要するにこの部屋は異常だと言うことですね。」

「趣味に溢れた部屋のように見えます。」

 「銃と弾薬は返却した方がいいですね。銃砲の検査は毎年ありますから。」

「それがいいと思います。代わりにコピーを作って差し上げます。本物と同じ物です。コピーの方を返却しても大丈夫です。」

「お札のコピーもできるのですか。」

「もちろんできます。でも本物とコピーの番号は同じですから100枚か1000枚単位でコピーする方がいいですね。硬貨なら問題は生じません。」

「ホムスク国にはお金はないのですか。」

「ありません。」

 「千さんの宇宙船のトイレはウォッシュレットがついておりますか。シャワーの設備はありますか。食べ物はどうやって作っているのでしょうか。」

「第一の人生における先生は直径が4㎞もある宇宙船を建造されました。万様もその宇宙船で生まれ育ったそうです。その宇宙船の上半分はこの家を中心とした団地と半径2㎞周辺がコピーされていたそうです。人工の太陽もあり、雲も風もあり、ときどき雨も降っていたそうです。私の宇宙船はそれほど大きなものではありません。直径が500m、長さが1000mのカプセル型です。でも十分な空間があります。先生の家とその周辺をコピーして設置することは容易です。もちろん電気も給排水の設備付きです。先生はそこで生活することができます。」

 「家だけの方がいいですね。周囲のコピーは必要ありません。千さんは宇宙船ではどのようにお過ごしですか。」

「宇宙船ではこれまで長期間を過ごしてはおりませんでした。地球の適当な場所に居着(いつ)いてそこで暮らしておりました。」

「それではいろいろな事があったでしょうね。」

「はい。いろいろな事がありました。」

「地球の80万年間の歴史の生き証人ですね。どうでしょう。千さんの家を私の家の隣に作りませんか。息子の嫁の家と舅(しゅうと)の家が隣り合っているのはよくある事です。」

「それも面白そうですね。」

 「食べ物は水耕栽培ですか。・・・あっ、愚かな質問でした。家や銃をコピーできるのなら食物もコピーできますね。後はペーストすればいくらでも食物が作れる。一流店の料理でもコピーすれば美味しい食事ができることになります。・・・コピーとペーストの原理はどのようなものですか。」

「私は実際に使っておりますが原理は詳しくはわかりません。その時の空間を見る実時間観測をし、その情報に従ってナノロボットが作ると聞いております。」

 「ナノロボットですか。3Dプリンターのインキみたいですね。」

「少し頭のいいインキです。丁度話が出てきましたからナノロボットをお見せしましょう。今日私は転送機を持って来ました。私が持って来たこのアタッシュケースがその転送機です。全てナノロボットでできております。」

「先ほど転送機は電話ボックスの形をしていると言いましたね。そのアタッシュケースの重さはどれくらいですか。」

「先ほどから床が抜けるのかと心配しておりましたが、重さはおよそ1000㎏です。」

 「そのアタッシュケースの大きさは10㎝30㎝50㎝程度ですね。15000㎤か。全部金だとしてもおよそ300㎏。どうやらナノロボットというのは特殊な素材と特殊な構造をしているのですね。しかも1トンのそれを千さんは軽々と持っていた。千さんは力持ちなのですね。」

「はい、私の筋肉は強く、正確に制御できます。」

「それは5倍体人間の特徴ですか。」

「分かりません。多倍体人間は私一人だけですから。それから普通のナノロボットはこんなに重くはありません。転送機関係のナノロボットにはルテチウムとローレンシウムの1:1合金が含まれています。比重500というとてつもなく大きな比重を持った合金で7次元空間にも顔を出しているそうです。超空間通信機を作るナノロボットにも同じように重いナノロボットが含まれています。」

 「私の知らない合金です。後で調べておきます。7次元ですか。それも勉強しておきます。・・・あっ、ばかでしたね。勉強はできませんね。誰もかってな想像をしている分野ですから。考えておきます。それにそんな合金は地球には無いのですから調べても無駄ですね。」

「置く場所は後で決めることができます。とりあえずここで組み立ててみますね。」

千はそう言ってアタッシュケースを床に寝かせ、ケースの蓋を開いた。

アタッシュケースの内側は黒い金属らしいもので埋まっており、中央に赤ボタンが埋め込まれた凹みがあった。

千は「それでは始めます。危険はありません」と言って赤ボタンを押した。

 アタッシュケースは溶けるように形を崩し、1m方形の板になり、板の周囲が次第に盛り上がっていった。

そして10秒も経たないうちに立派な屋根付きの公衆電話ボックスができあがった。

電話ボックスはアルミサッシのような銀色の柱にはめ込まれた透明な板で囲まれ、中には緑色の大型電話機と電話帳が置かれていた。

「すごい。」

三本はそれしか言えなかった。

 「転送は簡単で、電話ボックスの扉を閉めてから受話器を取って0、1、1、2、3、5、8とダイヤルしてください。そうすれば先生は電話ボックスの中身ごと転送されます。この部屋に戻るときは逆の8、5、3、2、1、1、0とダイヤルして下さい。」

「8までのフィボナッチ数列ですね。了解。・・・電源はいらないのですか。」

「いりません。原子電池を内蔵しております。」

 「元のアタッシュケースに戻すことができますか。」

「電話ボックス天井の中央に赤いボタンがあります。背伸びしてそれを押せば元に戻ります。」

「押してみてもいいですか。」

「どうぞ。危険はありません。」

 三本は扉を開けて電話ボックスに入り背伸びして赤ボタンを押した。

電話ボックスは天井から融解し、三本を乗せたまま方形の板になってから閉じた形のアタッシュケースになった。

三本はアタッシュケースから降りて持ち手を握ってアタッシュケースを起こそうとしたがアタッシュケースはビクともしなかった。

次に三本はアタッシュケースを開けようとした。

アタッシュケースは軽々と開けることができ、中央には赤いボタンが埋まっていた。

 「納得。千さん、このアタッシュケースを部屋の隅に運んでくれませんか。私には重すぎるようです。」

三本はアタッシュケースを閉じて千に言った。

千は微笑みながら「了解」と言いながら軽々とアタッシュケースを持ち上げ部屋の隅においた。

三本は「確かに3Dプリンターのインキよりずっと頭が良かった」と呟(つぶや)いた。

 転送機は確かに便利な装置だ。

だがその運用は相互の信頼性に依存している。

三本にとっては自分の巣に千が自由に入ってくることを許すわけだし、千にとっては千の宇宙船に何が転送されて来るのか分からないわけだ。

相互に完全な信頼がなければとても設置できるものではない。

 「千さん。この転送機は千さんの宇宙船で私を受け入れる準備が整うまでこのままにして置きます。ご安心ください。」

「ご配慮、ありがとうございます。今日はこれで失礼いたします。先生の冒険の準備が整ったら再度訪問しようと思います。」

「ワクワクしながら待つことにします。」

千は帰って行った。

千の滞在時間はそれほど長くはなかった。

たとえ千の訪問が団地の誰かに見られていたとしても問題にはならない時間だった。

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