第4話

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 放課後。

 初めての授業日でだいたいオリエンテーションの授業を終えて、生徒たちは各々教室を出ていく。



「ちさめちゃん、いくよ」


 軽そうな鞄を肩にかけながら黄麦が言った。


「…行くって何処に?」


「いいからいいから、ほら!」


「へ?え、ちょっ――」


 黄麦はいきなり、千雨の腕を引っ張って教室を出ていく。

 早歩きでぐいぐいと引っ張られ、足がもつれそうになる。



「ま、待って。ちゃんと着いて行くから…」


「ほんと?じゃあ、はい」


 黄麦は千雨の腕から手を離す。


「ごめんね、痛くない?」


「…いえ、大丈夫ですけど…これはどこに向かってるの…?」


「んふふ〜、ついてからのお楽しみ!」


 はにかんだ笑顔でそう言うと、黄麦はまた廊下を歩き始めた。



 それからしばらく、階段を下がったり上がったり、渡り廊下を歩いたりして、教室からだいぶ離れた所まで歩いて来た。


「もうつくよ〜。…ほら、ここ!」


 黄麦が指し示した先には、『地学教材室』と書かれたプレートがある。

 2階の端っこで、地学教室に用がない限り前を通らないような位置にあった。


 黄麦は、コンコンとノックしてから扉を開ける。

 

「部長さん、連れてきたよ〜」


 と言いながら黄麦は中に入っていく。それに続いて、千雨も部屋の中に足を踏み入れる。


 地学教材室という割には棚の中はあまり物が入っていない。そのせいか、普通の教室より狭いにも関わらず、がらんとしているように感じる。


 黄麦の呼びかけに対して、奥にある窓際のデスクの前に座ったメガネの男子生徒が振り返った。


「ああ、君か。二人ともどうぞ座って」


「は、はい…」


 勧められたパイプ椅子に座り、男子生徒とは二つ並べられた長机を挟んで向かい会う形になる。黄麦も隣に座った。


「部長さん、この子が昨日話したクラスメイトの、晴佐久ちさめちゃんです」


「ど、どうも…」


 つい会釈をしてしまったが、全く状況が掴めない。

 部長さん?昨日?話した?と、いろいろよくわからない。


 男子生徒はメガネのブリッジを指でくいっと上げながら言う。


「天文気象部部長の江野だ。二人とも、入部希望ということで良かったかな?」


「はい!」


(はい???)


 元気よく返事をしたのは黄麦。心の中で驚愕の声を上げたのは千雨だ。



「では、部活の資料と入部届を職員室からもらってくるから、少し待っていてくれ」


「は〜い」


 黄麦がゆるく返事をすると、江野は地学教材室を後にする。



「…ちょっと、これ…どういうこと?」


「えっと、昨日結局ヒマでさぁ、学校探検してたんだよね」


 一人でまわるくらいなら帰るんじゃなかったのか、と心の中で突っ込む。


「そしたらここ、見つけたんだ〜。ちさめちゃんってほら、名前に『雨』って入るしいいなって思ったんだよね、天文気象部」


 はっきり言ってしょうもない理由に千雨は、はぁ、とため息を吐く。

 

「なんで勝手に入部希望とか話したの…」


「うーん、ちさめちゃんを逃がさないため?」


「…」


 どうしてそんなに執念深いのだろう。千雨は親の仇か何かなのだろうか。


「まあまあ、いずれどっかの部活に入んなきゃいけないんだし、いいじゃん」


「それはそうだけど…」


 見たところこの部活はあまり活発に動いていないようだし、忙しくなるような事はなさそうだ。

 しかし、ここは天文“気象”部。奇しくも千雨が最も嫌っている、いや正確には嫌われているものが含まれている。


「やっぱり、無理だよ…。なんとなくとか、そういう軽い気持ちなら、私はやめといた方がいい…。多分、あなたが望んでいるような面白いものは、私にはないよ…」



「あのさ、ちさめちゃん」


「…?」


 少し真剣な目をして、黄麦は笑みを浮かべた。


「僕ね、引かれると押したくなるの。だから、今回はちょっと本気めに押してる。僕がこんなに動くこと、なかなかないよ。自分でもびっくり」


 黄麦から今までのようなゆるい雰囲気は薄れ、どこか自嘲気味に苦笑いをしている。


「だから、これは本気の質問」

 

 黄麦は体を傾け、千雨の顔を覗き込むようにしながら言う。



「ちさめちゃん、本当に、もう関わらないで欲しい?」



 真っ直ぐ見つめてくる双眸には、陰鬱そうな表情をした女子生徒が写り込んでいる。



 ――傷つくのが怖い。


 傷つきたくない。傷つけたくない。傷つけられたくない。


 自分なんてどうせ根暗で陰鬱で臆病な雨女で、いずれ見捨てられる。いずれまた独りになる。

 ならば最初から関わらない方がいい。そうすれば、傷つく事はない。


 今までそうやって逃げてきた。全て諦めていた。


 でも――



「もう…いいよ。好きにしたら…」



 本当は関わりたかった。望んだ分だけ遠ざかってしまう気がして、心の奥底に仕舞っていた。


 だから、これは望んだんじゃない。諦めたのだ。


 猫冢黄麦という、なぜだかしつこく自分に関わろうとする変な人間を振り払うことを。


 過去の経験に対して意地を張って、卑屈な自分を作り出すことを。


「そう、わかった。そうするね、ちゃん」


 そう言って黄麦は、にかっと笑った。


「…さめ?」


「さめちゃん。あだ名だよ、いいでしょ?あ、僕のことはちゃんと名前で呼んでね。こむぎって」


 …距離の詰め方が急過ぎる。完全に陽の者のそれだ。

 しかし、今し方いろいろと諦めたところなので、もう突っかかることはしない。


「はぁ…」


 呆れたように吐いた溜息とは裏腹に、千雨の口許はいつもよりも僅かに緩んでいた。

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雨と猫 yháma (ヤマ) @yhama

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