第3話

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 翌日。

 雨は止み、雲の隙間から太陽が見え隠れするような天気となった。


 千雨の“体質”は、いつでも雨を降らせるというわけではない。

 基準ははっきりしていないが、千雨の経験則としては、雨が降ってほしくないなと思う時や、気持ちが落ち込んでいる時ほど雨が降りやすい。


 あくまで“降りやすいかも”程度なのであまり当てにはならない。


 教室では、今日は運動部も見れるかな、と話すクラスメイトたちの声が聞こえた。




 昨日の件について千雨は、少し強く言いすぎたかもしれないと思いつつ、あの様子ならもう黄麦は関わって来ないだろうと息を吐いた。


 これでいいはずだ。


 自分に関わった人は必ず不幸になる、なんて大袈裟なものではないが、少なくとも千雨は傷つくのだ。


 勝手に近付いてきて、勝手に仲良くしておいて、勝手に幻滅して、勝手に離れていく。


 おそらく千雨の偏った見方が入っているが、千雨からはそういう風に見えてしまう。


 だから、これは千雨自身が傷つかないための行動だ。


 雨で迷惑をかけないように、なんていうのはおそらく千雨の中にある建前だ。


 傷つくのが怖いから、多少傷つけてでも近付かない。


 これが、千雨の行動指針といえるだろう。



 と、隣の席に男子生徒が座る。


 千雨は手持ち無沙汰にならないようにしっかり本を準備してあるので、それを取り出して読み始める。


 これなら話しかけにくい上に、こちらから何もしなくても不自然ではないだろう。


 そう思っていたのだが。


「おはよー、ちさめちゃん」


「…」


 黄麦は普通に話しかけてきた。まるで昨日何事もなかったかのように。


 一旦、聞かなかったことにしよう。と、そのまま黙々と文字列を見つめ続ける。


 すると黄麦は、はっとしたような顔をして


「あ〜、ごめんそうだった、忘れてた〜」


 と言いながらノートと筆箱を鞄からごそごそと取り出す。


 黄麦はさらさらっと何かを書いて席を立ち、千雨の前方にまわってノートを開いた。


 千雨が本から顔を上げると、『おはよ〜』と丸っこい文字が書かれたノートを持ち、にかっと無邪気な笑みを浮かべた黄麦が立っていた。



 …生意気な小学生か、と千雨は思う。


 たしかに昨日は『話しかけないで』といったが、それは声を使うなという意味ではないことくらい流石にわかるだろう。


「あの、そういう意味ではなくて…」


「あ、話しかけてくれた〜。じゃあお返事はしてもいいんだよね」


「えと、何言ってるの…?」


「僕から話しかけれないから、お返事ならいいかなって」


「いやいや、そういう問題じゃ…」


「う〜ん、やっぱりいちいち書くのめんどくさいから普通に喋るね」



 千雨は頭を抱えた。まるで話が通じない。


「…あの、はっきり言うけど、私と関わらないで下さい…」


「なんで?」


 唐突に、黄麦の語気が少し真剣味を帯びた。


「なんでって、昨日も言ったじゃない…」


 人と話すのが苦手。昨日言ったその言葉は半分嘘だ。

 話すことでその人と近づいて傷つけられることが怖いだけで、話すこと自体が苦手なわけではない。


「…ふーん、そっかそっか。よ〜くわかりました」


「…」


 黄麦は頬を膨らませて不機嫌そうにして言う。



「やだよ」


「…え?」


「関わらないの、やだよ」



 黄麦は、まっすぐ千雨の目をみてはっきりと宣言した。


「…なんで」


「昨日言ったじゃん。なんとなくだよ」



 訳がわからない。なんとなく、という理由でそんなにムキになることがあるだろうか。


 少なくともいままでこんな変な人はいなかった。

 自ら人との関わりを拒絶している自分なんかに、わざわざ話しかけるような変な人は。


 黄麦と話していると、頑なに人との関わりを拒絶していることがなぜか馬鹿らしく思えてくる。


 なぜ卑屈になっているのか、忘れそうになる。



 キーンコーンカーンコーン、とチャイムが鳴る。担任教師が入ってきて、生徒たちに席につくように促した。


 黄麦はムッとした顔のまま自分の席に戻り、気怠げに椅子に座った。



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 ホテルの一室から外の様子を伺う。



 ごうごうと、雨が地面を叩く音がする。

 がたがたと、風が窓を殴りつけている。


 この天気は、私の心情描写なのだろうか。

 それとも、天気のせいでこんな心情になっているのだろうか。


 まるで鶏と卵みたいな問題だな、なんてどうでもいいことを考える。


 そうでもしないと、心がもたない気がしたから。



 ――ああ、私って意外と楽しみにしてたんだ。修学旅行。


 やっぱり、私の所為なんだろうか。

 私が楽しみにしていた所為で、こうなってしまった。私がここに来た所為で、こうなってしまった。



 台無しにしてしまって、同級生に申し訳ない?


 ――違う。


 私はそんな殊勝な人間じゃない。

 ただ単に、楽しみを奪られて駄々を捏ねているだけの自分本位な最低の人間だ。

 ただ単に、同級生に責められて、傷つけられて、また独りになるのが怖いだけの、臆病で根暗な人間だ。


 もう何もかも、関わるのをやめてしまいたい。



 そうしたらきっと、もっと楽に――


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