第四怪 首を長くして待てない

「ぎゃー!」

 ミケの叫び声が聞こえた瞬間、堂前さんは助手席のドアハンドルに掛けた手を、慌てて離した。「うそだよ。冗談でもやるもんじゃないな」堂前さんはそう言うと、後部座席に乗り込んだ。私も堂前さんのあとに続く。助手席に乗ったミケは、振り向くと堂前さんに舌を出した。

「さあ、出発するわよ」運転席の蓮岡ママが言う。半そでのポロシャツからのびる逞しい腕が、ゆっくりとハンドルをまわした。


 八月初旬の早朝は快晴だった。車は練馬から高速に乗り、宇都宮を目指す。予定では昼過ぎに、目的地に着くはずだった。


「堂ちゃん、昨日はちゃんと眠れた?」蓮岡さんが尋ねた。

「寝てないよ。依頼人があんなに酔いつぶれるとは思わなかったからな。お前が飲めって煽りすぎなんだよ。まったくほんとに、今日は眠い。茜くんの電話も、ひどいもんだよ。目覚ましより一時間も早く電話するやつがあるか」

 後部座席のシートを倒しながら、堂前さんは言う。いつもよりラフな格好で、大き目の黒いTシャツにジーンズをはいていた。

「念には念を入れておかないといけませんからね」と私。

「あたしは三十分前と五分前にモーニングコールしてあげたんだからね」

 ミケが怖い顔を堂前さんに向けた。助手席に乗ろうとしたことを、まだ根に持っているらしい。


「こういう機会でもないと、あんた遊びに行ったりしないでしょ」

 蓮岡さんはバックミラーに向かって言った。

「だめよ、たまには茜ちゃんを休ませてあげないと。こないだも酷い目にあったんだから、今日はその慰安も兼ねてね」

「ありがとうございます」

「茜くんは、気まぐれに来たり来なかったり、勝手に休んでるさ。貧乏暇なしなのはこっちだよ。今日だって、本当はまだやりかけの仕事が残ってたんだ。急ぎではないからいいんだけど」

 堂前さんは頭のうしろで手を組んで、今にも寝入りそうな体勢になっていた。


「今日行くところは、ママの知り合いのところですか?」

「店のお客さんの知り合いで、以前に怪談大会にも来てくれた人なの。その時にも、話してくれたんだけどね、でるらしいわよ、そこ」

「きゃああ、荒太さん、あたし怖い~」ミケが大げさに騒ぐ。

 ふふふ、と蓮岡さんは笑った。

「近くに曰くつきの廃道トンネルもあるみたいだから、怖い者好きがいっぱい集まって来るらしいのよ。付近はキャンプ場がいくつもあるし、経営も大変みたいだけど、心霊マニアで持ってるようなもんだって冗談めかして言ってたわ。まあ設備の充実したデッカイところでないと思うけどね」

「わたしはこじんまりしてるほうが好きですね」

「そう言うと思ったから、そこを選んだんじゃないの。堂ちゃんといい、茜ちゃんといい、二人ともまるでアウトドアに興味ないんだから。デッカイところも楽しいんだよ。今日はテント持ってきてないけど、広い原っぱにシートを敷いて夜空を見たり、カヌーに乗ったりするの最高だかんね。自然を肌に感じてさ、地球と対話しているみたいなの」

「それな。わかる~」ミケが言った。

「嘘つけ」

 目を瞑ったまま、堂前さんが吐き捨てた。


 車内には、ノリのいいEDMが流れていて、ミケと蓮岡さんは音楽に合わせて身体を動かす一方、後部座席の私たちは全くの無反応で、私は窓外を眺め、堂前さんは寝ていた。視界の半分が防音壁の外の景色は、代り映えのしない単調なものだった。


 途中のパーキングエリアで一度トイレ休憩に行っただけで、スムーズに宇都宮まで向かう。あっという間だった。堂前さんが寝てしまってからは、私たちは三人でガールズトークに花を咲かせた。蓮岡さんが、キャンメイクのマスカラ下地は持ちが半端なくて最高と言うと、ミケは早くも感化されて、今すぐにでもドラッグストアに駆け込もうとする勢いだった。

 宇都宮で餃子を食べて(開店直後だからか、路地裏のお店はすぐに入れた。もちもちしてておいしかった)、そこからさらに鹿沼市に向けて二十分ほど、途中の山中にそのキャンプ場はあった。だんだんと標高が高くなり、開けたところから見える街並みも遠くなると、私たちの気分は高揚した。


 車から降りた瞬間に、空気がひんやりして、とても澄んでいることがわかった。体中が洗われるようだった。

「やっぱり東京とは全然違いますね」背伸びをしながら私は言った。

「当り前じゃないの。だからあんたも若いうちに、本ばっか読んでないで、こういうところに来て、五感を働かせないとダメ。ドンスィンクッ、フィールよ」

 蓮岡さんはエロティックに唇を動かす。

「やめてくれ」堂前さんが片手をあげて言った。

「ほらね。こういう男がいるから全部ぶち壊しなのよ。あんたたち彼氏選ぶ時は、こんなの絶対選んじゃだめだからね」


 罰として堂前さんには、蓮岡さんが持ってきたキャンプ道具を入れた重いバッグを持たせることにして、私たちは各自の荷物を手に受付に向かった。

 受付はログハウス調の木造小屋で、傍らにある大きな切り株を模した看板には、「バンガロー&キャンプ ムーンフォレストパーク」と書かれていた。文字の横には、三日月のマークがある。


 受付小屋のカウンターにある呼び鈴を蓮岡さんが鳴らすと、小屋の奥から髭を生やした長髪の男性が出てきた。年齢は五十手前だろうか。

「おお、ママー、待ってたよ」

「細野さ~ん、やってきましたよー、お元気ー?」

「相変わらずっすよ。それにしても久しぶりだなあ」

「そうね、もう一年近くになるんじゃないかしら。紹介するわね。こちらうちの旦那と、娘二人です、ってそんなわけないじゃない」

「ママー、言うねえ」

 楽しそうに細野さんは笑った。


 私たちは改めて自己紹介する。細野さんは隣りにいる奥さんと一緒に、にこやかに挨拶をした。長髪の細野さんとは対照的に、ショートカットのよく似合う元気のいい奥さんだった。年齢的には細野さんよりもずいぶん若く見える。二人とも程よく日焼けしていて、アウトドアに慣れた人といった印象を受けた。


「奥さん、旦那がゲイバー来てても、責めないであげてね。ただの怪談好きのお茶目なおっさんだから」

「ええ、知ってますよ。私も行きたいなーと思ってたんで」

 はきはきとした口調で、奥さんは言った。

「ホントに? それはゲイ目当て? それとも怪談?」

「もちろんゲイです。心霊って、私全然怖くないんですよ。だってリアルの方が怖いことっていっぱいあるじゃないですか」

「まあ一理あるわね。こういう商売してると、特にそんなことばっかよ。でも心霊も奥が深いのよー。うちの店は女の子がお酒飲むだけでも楽しく飲めるところだから、ぜひ来てね」

「よろしくお願いします」奥さんは笑顔で答えた。


 キャンプ場は夏休みのシーズンということもあって、駐車場も程よく埋まっていた。フリーサイトとバンガローの区画に分かれていて、鍵を渡された私たちは、バンガローの方へと向かう。細野さんが案内してくれた。


「トイレはそこのコインシャワーのところにあります。その隣が炊事棟。バンガローは屋根付きのBBQ設備があるので、そっちでご飯は作れますよ。洗い物は、炊事棟で洗ってください」

「細野さん、奥さんの前だと言えなかったけど、見ないあいだにけっこう瘦せたんじゃない?」

 細野さんは弱々しい笑顔を浮かべた。

「そうなんすよ。先々月にちょっと入院して……。非結核性抗酸菌症つって肺炎の一種なんですけど、一時マジでやばかったすね」

「え、知らなかったわ。今は大丈夫なの?」

「今は病院に検査には言ってますけど、大丈夫ですよ。でも原因がわかんないらしくて。浴室のカビなんかから感染することがあるみたいですけど、家族もいるのに自分だけなんでだろうって。うち、幼稚園の娘が二人いるんすよ」

「そう、小さいお子さんもいるのに……。気をつけてね」


 バンガローは、室内に木の板が敷いてあるだけの簡素なものだった。コンパクトだが、エアコンも完備していて、四人で寝るには十分の広さだった。窓が一方の壁の上部にひとつだけついている。隣にバルコニー風の屋根付きのBBQスペースがあり、室内からドアを開けて行き来できるようになっており、そこにはかまどと木の椅子が備え付けで設置されていた。


「薪が一束、オプションでついてるんで」

「いいわね、意外にそういうサービスってないかも」

「そうでもしないとうちは客来ないんでね。夏休みはそこそこ来ますけど、それでも他所に比べたら、全然すよ。心霊スポットで有名になってもね。普通のお客さんがもっと来てくれたらいいんですけど。まあでも——」細野さんは、ポケットからスマホを取り出した。「お客さんが撮った心霊動画があるんですけど、見ます?」

「え、見たい見たい!」ミケが真っ先に手をあげた。

「ガチで映ってるけど、大丈夫?」と細野さんは真顔で尋ねる。

ミケは少々怖気づいたようだった。

「だ、大丈夫です!」


 スマホを渡された蓮岡さんを中心に、私とミケがその両端で動画を見た。


 若い男女三人が暗い部屋の中で、懐中電灯の明かりだけでとりとめのない話をしていた。アルコールが入っているのか、話し方がやや浮つき、二人の女性のうちの一人は、なぜかずっと笑っている。夜中だから三人とも、声は抑え気味だ。


「窓を見ててくださいね」細野さんが言った。


 三人の後ろの上部に窓はあった。この部屋と同じような、カーテンのない小さな窓だった。窓外のほうが月明かりで室内よりも明るく見える。

 しばらく注意してそちらを見ていると、窓の右手から白い顔のようなものがふらふらと出てきて、くるりとこちらを向いた。


「ぎゃー!」とミケが叫ぶ。動画の撮影者の男性が叫ぶのと、ほぼ同じタイミングだった。

「イタイタイ、ミケちゃん痛いって」

 自分の腕にしがみついてくるミケに、蓮岡さんが言った。

 カメラはふたたび窓に向けられるも、その時にはもうその白い物体は消えていた。


「へえ、完全に映ってるのね。珍しい」

 蓮岡さんはそう言うと、スマホを堂前さんに渡した。

 堂前さんはスマホに顔を近づけて、動画を再生する。

「顔だよ顔」ずれたメガネを直しながら、ミケが言った。

「暗いから何とも言えないよ。でもなんかこっちを振り向いている感じはするね」

 白い物体には陰影があって、見ようによってはそれが顔に見えなくもなかった。


「動画に撮れたのはこれだけですけど、他のお客さんも見たって人が結構いてね」

 細野さんはどこか浮かない表情だった。

「どうしたの? 嬉しくなさそうね。わたしなんか幽霊がいるかもというだけでわくわくするのに」

「お客さんはママみたいな心霊好きばかりじゃないんすよ。心霊スポット目当てでうちに来てくれるのは大変ありがたいですけど、うちが心霊スポットになっちゃうと話が全然変わってくるわけで。だからちょっと困ってるんですよ、そういうことじゃないんだと。それに、最近娘も変なものを見るようになって」

「変なもの?」

 細野さんが頷いた。

「娘は五歳と四歳なんすけど、五歳のほうがね、キャンプ場の敷地内で白い人が歩いているが見えるっていうんですよ。全身が真っ白でぼんやりしていて、服を着ているかはわからないけれど、それが人間の形をしていることだけはわかるみたいなんです。で、その人には首がない」

「え、首? しかも白? こ、これじゃん、この動画の顔じゃん!」ミケが騒いだ。

「ね? やばいすよね」


 細野さんの話によると、娘さんの見る「白い人」の目撃情報は他にないが、「白い首」のほうはネット投稿でも寄せられているらしく、動画が撮影されたのと同じくらいの時間帯に、外で空中を飛んでいたとか、物陰に吸い込まれるところを見たとかいう人が後をたたないのだそうだ。


「動画の部屋はこの部屋なんですか?」私は尋ねた。

「いや、こことは別の一棟なんすけどね。四つあるバンガローがあるうちの、ひとつだけぽつんと離れたのがあるんですよ。知り合いの霊感ある人に聞いてみたら、方角的に良くないんじゃないかって言われましたけどね。確かにこのキャンプ場を中心に見ると、鬼門の方角にその部屋があるんでね。今はちょっと閉めてますけど」

「えーなんで。そこに泊まらせてよ」と蓮岡さんが言うと、ミケは「いやー、絶対にいやだー!」と言って抗議する。

 細野さんが笑った。

「いやあ、妻も開けろって言うんすけどね。せっかくお客さんがくるのに、もったいないって。あの人自分が何も感じないから平気なんですよ。私にしたら信用失うと、それこそ大変だし」


 こうして私たちが話をしているあいだも、堂前さんは動画を繰り返し見ていた。

映像の叫び声のところだけを何度もリプレイしているので、絶叫が起こるたびに私たちの注意がそちらに向いてしまう。映像の音量も先ほどより大きくしているようだった。


「堂ちゃん、さっきからちょっとうるさいんだけど」とうとう蓮岡さんが言った。

スマホを耳に近づけて聞いている堂前さんは、あらぬほうに目をやりながら答える。

「いや、叫び声のあとに鈴の音のようなものが聞こえるなあと思って」

「本当?」

 嫌がるミケ以外の全員で、もう一度動画を確認する。

 すると確かに、絶叫した後にチリンチリンという金属音が微かに聞こえるような気がした。


「はじめて気がついたっすよ。でも小さすぎて、よくわかんないですね」

「言われてみれば聞こえないこともないけど」

 蓮岡さんも首を傾げる。

「白い首となにか関係があるんですかね」私は言った。

「……でもね、白い首の話には、実はまだ続きがあるんですよ」

「まだあるんですか?」

「近くに心霊スポットがあるって言ったじゃないですか。廃道トンネル。そこに地蔵があるんすけど、その地蔵もね、最近なくなったんですよね。首が」

 細野さんはそう言うと、自分の首を手で横に切る仕草をした。

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