エレベーターで一階に降り、外に飛び出して通りを見回しても、ついさっき事務所を出たばかりの藤沢の姿が見当たらなかった。まだ五分も経っていないから、通りのどちらか一方を歩いていてもおかしくないはずである。堂前さんは、藤沢がいないことに気がつくと、私の腕を取ってビルの物陰に隠れた。

「あの男は事務所を出ると、しばらくこちらのドアに聞き耳を立てていたよ」

 植込みの隙間から通りの様子を伺いながら堂前さんは言った。寺に続く商店街の通りは、暑さで通行人の数もまばらだった。

「え、なんでそんなことをしてたんですか?」

「さあ、わからない。でもなにか、あの男には性格と行動がちぐはぐな印象を受ける。話をしている時も妙に変な勘が働くから探りを入れてみたんだが、やはりおかしいね」

「黒い煙のようなものも見えましたよ」

「黒い煙? いつから?」

「入ってきたときからずっとです。関連はわからないですけど」

「お、出てきたぞ」

 藤沢が堂前さんのビルから姿を現した。スマホを見ながら、あたりをきょろきょろしている。通りを一旦西に進もうとするも、急に方向転換して東のほうへ歩き出した。私たちも物陰から出て、彼の後を追う。


「たった今ビルから出てきたということは、それまでビル内のどこかにいたってことですよね?」

「階段のところに潜んでいたのかな。我々が見つからなくてよかったな。向こうもまさか自分がつけられているとは思っていないだろう」


 尾行というものを、私は生まれてはじめて経験した。でも、ドラマや映画にあるように、怪しい人物が振り返るとあわてて電柱に隠れたり、人だかりのなかに紛れ込んだりすることは皆無で、わりあい容易く尾行できることが自分でも意外だった。周囲の通行人も、こちらをじろじろと見てくることもないし、むしろこちらに無関心だった。


「でも尾行したところで何かわかります?」

「さあ、こっちも手探りだよ。平日のこの時間帯に事務所にやってきてお菓子を買って知人に会うんだろ? 今日はそのまま会社に戻らないんじゃないのか」

「知人と言っても仕事かもしれないですよ。取引先の相手かもわからないし」

「取引先の相手なら、プレゼントとは言わないだろう。しかもスイーツだと当人は言っていた」

「ああ、そっか。たしかに、親しい人にあげる感じがしますね」

 藤沢はときおり顔を上げながら、きょろきょろしつつ前を進んでいる。スマホの地図をみながら、歩いている様子である。

「自分はせっかちだと言いながら、のんびり歩きますね。帰り道を迷っているわけじゃないですよね?」

「営業をやっている人間がうちの事務所に来れたのに、自分の来た方向もわからないなら、他の仕事を探したほうがいいんじゃないのか。明らかにここは、違う目的地を探して歩いていると考えるほうが自然だろう」

「違う目的地?」

「まあ、もうしばらく見てみよう」


 商店街通りを途中で折れて、駅とは反対方向の住宅街に入る。私でもあまり立ち入らない、地元の人しか利用しないようなところだった。真夏の直射日光が、じりじりとアスファルトを焼いている。

「こんなことしてると、自分がなんだか幽霊みたいな気分ですよ。取り憑かれたりなんかするのも、尾行されてるのとあまり変わらない気がしますね。知らないあいだに、背後にぴったりくっつかれるなんて嫌だな」

「真っ昼間に尾行をするという行為が、普段の日常とはおよそ逸脱しているからな。探偵とはそういう仕事だよ。社会の歯車と全くかみ合っていないところに自分がいる。ゆえに社会に実在しないも同然だ。要するに幽霊だな」

「社会不適合者ですね、私たち」


 無関心な通行人は、私たちのそばを何の反応も示さずに通り過ぎてゆく。みんなそれぞれの目的にだけ頭がいっぱいで、それ以外のことには目もくれないといった様子だ。藤沢のようにゆっくりきょろきょろと歩くものもいないし、私たちのように跡を追うものもいない。そういう意味では、藤沢も私たちも同じ次元に住むものだった。違う次元にいるのは通行人であり、普通に日常を送る人々であり、同じ空間に、私たちは次元の違うもの同士、パラレルに存在していた。


 しばらくすると藤沢が立ち止まった。建物の敷地内を覗いている。スマホを見ながらきょろきょろする動作は先ほどと変わらないが、明らかにわざとらしく見えた。一旦先に進んだかと思うとまた戻ってきて、その敷地の方で立ち止まる。こちらのほうに来るかと思うとまた踵を返して、同じところでスマホを見ている。立ち止まっているだけでも暑いのに、一体何を見ているのだろう。見つからないように距離をとっているので、こちらからははっきりとわからなかった。しばらくすると気が済んだのか、藤沢はまた歩き出した。私たちはその建物の前まで来る。


 そこは保育園だった。小さな運動場には誰もおらず、室内で先生の弾くオルガンの音楽に合わせて、園児が歌を歌ったり、元気に走り回っているのが見えた。室内は外から見ているよりも、はるかに騒がしそうだった。もうひとりの先生が、頭に何かを被った児童を必死に追いかけている。そのために引き起こされる子供たちの笑い声も、叫び声かと思えるくらい大きかった。


「世間は夏休みだというのに、先生も大変だなあ」

「こんなところであの男はなにをしてたんだ?」

「面白いから見てたのかな。外から見てても、園児のはしゃぎっぷりはけっこうな見物ですよ」

「見失わないうちに、先を急ごう」

 角を曲がると、藤沢が遠くの方にいるのが見えた。スマホも見ずに、足取りも先ほどよりスムーズに歩いていると思ったら、目の前にあるコンビニに吸い込まれるように入っていった。私たちは小さな神社の境内入口の階段に座り、草むら越しからコンビニを眺めた。草刈りの時期はもう少し先のようで、階段横の土手には夏草が十分生い茂っている。まだそれほどの距離を歩いてないのに、二人とも汗だくだった。この前の公園巡りのことを思い出した。


「いや、もう暑いです。熱中症になりますよ」

「まだせいぜい十五分も経っていないよ。君は戻りたまえ。俺はもう少しねばってみるから」

「じゃあちょっと、せめてそっちの日陰にいきませんか?」

 階段の木陰のある位置に、私たちは座り直した。

「茜くん、君はあの男の霊障をどう考える?」

 草むらからコンビニの見える隙間を探りながら堂前さんが言った。それにつられて、私もコンビニのほうに目をやる。

「奇妙な話ですよね。わざわざあの男が嘘をついてまで事務所にやってきたとは思えませんが、オンラインを経由して、霊が出てくるなんて聞いたことないですよね」

「霊と電波は親和性があるとはよく聞く話だがね。電子機器に異常がきたすこともしばしば起こることだ。テレビのモニターが勝手についたり、電話から変な声が聞こえたりというのも、昔依頼人から相談を受けたことがある。たいていそれは、その場所に関係していたり、どこかの障りのあるものに触れたりしていることが多い。最近、蓮岡から聞いた話では、スマホに撮った覚えのない写真が保存されていて、明らかにそれがスマホの画質ではありえない古い画質のものだった、という人がいたそうだ」

「不思議ですね。そういえば、ユーチューブでS区の某マンションが取り上げられているのをミケが発見してですね、さっき見てたら明らかに堂前さんのビルなんですよ。そこでも機材トラブルが起きてました。堂前さんも映ってますよ。良かったですね」

「そういえば夜中に変なやつに会ったな。事務所に戻ったら確認してみるよ。やっぱり場所柄、変な来訪者を引き寄せてしまうのかな。賃料が破格なのも考えものだ」

「藤沢は自宅のパソコンで起こったことが、会社でも起こったといってましたね。ということは、藤沢の自宅というよりも藤沢自身に問題があるんじゃないですか。黒い煙といい、やっぱりあの男は変ですよ。今、後をつけてみてそれが改めてよくわかりました」


 堂前さんが草むらの向こうを指さす。藤沢が店から出てきて、入り口でペットボトルの水を飲んでいた。一気に半分くらい飲むと、カバンに入れて歩き出した。半そでのワイシャツの袖で額の汗をぬぐいながら、ふたたびスマホを手に、淡々と進む。私たちも後を追った。

 中高一貫の養護学校の校舎を通る。藤沢はそこのグラウンドでも、フェンス越しになにやら探すような仕草をしたが、立ち止まることなく通り過ぎた。グラウンドでは、夏休みに場所の貸し出しをしているのか、小学生が野球の練習をしていた。


 藤沢の小さな背中が、とある曲がり角でふっと消えた。私たちがそこまで行くと、藤沢の姿が見えなくなっていた。急いでその次の角を曲がると、道の中央で立ち止まる藤沢を発見して、私たちは安堵する。少し勢いこんで角を曲がったのだが、彼はこちらに気がつくこともなく、先ほど保育園の時と同じように建物の敷地内を一心に眺めていた。

 楽しげな園児の声が、私たちのいる角のところまで聞こえてきたので、おそらく今眺めているのも保育園だろう。藤沢は一旦隣の住宅の塀まで進んだかと思うと、電話をしてる格好で、また引き返してきた。そして保育園の敷地が見える真ん中の地点で通話を終えると、スマホを見る動作をする。こちらからはスマホを見ながら園内に向かい合う藤沢の姿が見えたが、そのスマホの構え方が、少し不自然だった。しばらく藤沢はそのままの動かずにじっとしていると、またスマホを耳につけてその場を後にした。藤沢が去った後に、その場所までくると、私たちはその目的を理解した。敷地内は、おしゃれな白い木の板を水平に渡した塀で囲まれていたが、板の隙間を覗いてみると、青いシートを張った簡易の屋根の下で、水着を着た幼児がビニールプールではしゃぎまわっていた。


「あれは完全に撮ってましたよね」

「もしかしたら、このためにうちに来る時間帯も合わせていたんじゃないだろうな。真夏の暑い盛りの、園児がお昼寝前に身体を動かすような時間帯に。知人に会うと言っていたから、何か手がかりのようなものが見つかるかと思って来てみたが、思わぬものに出くわしたな。でもまあ参考にはなったよ。暑いし疲れたから帰ろう。どこかで涼んでから戻ろうか」

「じゃあ喫茶店行きましょうよ。レスカが飲みたいです」

 念のために藤沢が去った進路を辿ってみたものの、長い道路の先に彼の姿はどこにも見当たらなかった。私たちはあきらめて、引き返すことにした。


 喫茶店で一休みして事務所に戻ったころには、堂前さんのパソコンに藤沢からメールが届いていた。メールは例のZOOMアカウントのIDとパスワードが記載されていただけではなく、彼が一か月前に会った女性のことにも触れられていた。その女性は出会い系のサイトで知り合った女性らしく、堂前さんに聞かれたあと気になって連絡をとってみたが、結局繋がらなかったという。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る