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藤沢たくみが事務所にやってきたのは、その日の午後一時頃だった。細めのスーツを着こなした、いかにも仕事ができそうなその若者は、このオンボロ事務所の一室には明らかに不似合いな感じがした。ソファに寝転がってスマホで動画を見ていた私は、衝立の向こうから覗く顔と目が合い、飛びあがって応接する。夏休みが始まり、学校に行かねばならない焦燥感からも解放されて、私は堂前さんの事務所に入り浸っていた。
「ようこそ、こちらにおかけください」
デスクで一日前の新聞を読んでいた堂前さんも、彼の姿は意外だったようである。実に興味深そうに依頼人を眺めながら名刺を受け取り、彼をソファに促す。堂前さんはその向かいに座った。
「それでは藤沢さん、ご用件を伺いましょうか」
「はい」と言いながら、藤沢はお茶を出している私のほうを見て、なにやら気になる様子を示した。それを察した堂前さんが言う。
「アルバイトの雑用係です。お嫌なら、席を外させますが?」
「いいえ。大丈夫です」と彼は手を振り、私に笑顔を向けた。並びのよい、白くてきれいな歯が垣間見える。
私は固定していた扇風機の首振り機能を解除して、キャビネットの傍らにある丸椅子に座った。スマホを見るふりをしながら、相手の観察は常に怠らない。さきほどから藤沢の周囲に漂う黒い煙のようなものが気になっていた。
「実は私、通信事業の会社で営業をやっている者なんですが、最近オンラインでミーティングする機会が増えたので利用していると、必ずといっていいほど不具合が起こるようになったんです」
「不具合? 具体的にはどういったものでしょう」
「自分がホストとして会議を開くと、必ず一人知らない者が紛れ込んでいるんです。通常参加者はホストから招待メールをもらい、そこにあるIDを入力しないと参加ができないことになっているんですが、明らかにメールを送っていない、つまり招待していない者が入り込んできて、画面上に現れるんです。普通、そんなことはありえないはずなのに。
最初大人数でやっているときには気がつかなったんですけど、取引先や社内の者と二人や三人でミーティングをしているときに、あれこれ誰だ?というふうになって、みんな不審に思うようになりました。参加者の氏名も空欄で、そこに表示される画面も、なんだかとても気持ちが悪いというか……。
画面は真っ暗であることがほとんどなんですが、たまにそこから赤ん坊の笑い声や泣き声のような異音が漏れてくるんですよ。その声といったら、本当に聞くもおぞましいもので、思い出すだけで鳥肌が立ってきます。他の参加者なら削除したり待機室に飛ばしたりすることもできるんですけど、その画面だけはなぜかコマンドが効かず、そのことにも二重の恐怖を覚えます。ほかの者のアカウントでやると全く何も起こらないのに、どうして私のアカウントだけそういう風になるのか見当がつかなくて」
「私はウェブ関連に疎いんで、あまりよくわからないんですけれど、ほかの者のアカウントでやるというのは、あなたのパソコンから他人のパスワードで行ったというわけではないんですよね?」
「ええ、そこまではやっていないです」
「つまり、『ほかの者のアカウントでやって何も起こらなかった』というのは、誰かが主催者として行うミーティングに、藤沢さんが参加者として参加した場合は、という意味ですよね」
「そういうことです」
「他の人のパソコンで、あなたのアカウントを使用したことは?」
「それもないですね。そもそも自分がホストとしてミーティングする機会が少ないから試してなかったということもあるし、やるとしてもオンライン会議は基本自宅でしかやらないですから。試しに会社の自分のパソコンでやってみたら、同じように変な感じにはなりましたけど」
「ああ、では自宅のパソコンだから怪異が起こった、というわけでは特になさそうですね。なるほど。ちなみに、そのパスワードは今、わかりますか?」
「それがですね、私も確かめてほしくて用意したつもりなんですが」
自分の通勤カバンを開けてのぞき込む藤沢は、豪快に手を入れて中を引っ掻き回しはじめた。その動作が端正な見た目に似ず、いかにも雑然としていたので、少し見苦しく思えた。
「今日はそのために来たんですよ。解決できるかどうかというよりも、とりあえず見てほしいなと思いまして……。パスワードを普段と違うものにしていて覚えられないから、紙に書いておいたんですけど。えっとどこにいったんだよ、……クソ、おかしいな」
今にも中身全てをぶちまけそうな彼を、堂前さんは止めた。
「いや、いいですよ。よくあるんです、用意したものがないとか。心霊案件の依頼人は、たまにそういう目に遭われる方がいらっしゃいます。覚えていたものを急に忘れたり、肝心のものを紛失したり。とくに珍しいことではありませんから、ご安心ください。わかり次第、こちらに送ってもらえませんか?」
「はあ」
あっけにとられたような様子で、藤沢は答える。
「ではそうします。どうしても小林さんには確かめていただきたかったのですが」
カバンを脇に置いて気を取り直した藤沢は、来た時と同じように姿勢を正した。
「それにしてもよく私の事務所をご存知でしたね。人づてかなにかで聞いたんですか?」
「え、ここの事務所のホームページがありますよね? それを見てきました」
「あるにはありますが、あくまでそれは探偵事務所としてのものです。心霊調査というものは、表立っては知らせていませんよ」
藤沢は困惑した顔を浮かべた。
「おかしいな。じゃあネットかなにかで見たのかな。最近は心霊サイトとかでも、書き込みが多いですからね」
「そうですね。そのことに関しては、私も困っているところです。……わかりました、それについては、まあ、いいでしょう。では次に伺いたいのは、通信会社にお勤めということですが、この問題について会社側は何と言ってるんですか? この手の問題なら、真っ先に対処しようとする企業に思うのですがいかがでしょう? そんなことはないのかな」
いちいち頷きながら話を聞いていた藤沢が苦笑する。
「えーと、それがですね、会社というのは本当に頭が硬いというか薄情というか、何なんだろう。通信会社だからこそ、非合理な物事に対処する術を持ち合わせていないといいますか。私がいくら実際にこういうことがあると目の前で見せて、上司に報告していても、確認段階で根本から否定されてしまいます。こんな事例はどこを調べても載っていない。載っていないからあり得ない。その文句が繰り返されるだけです。だいだい私自身にしか起こっていないから、私のほうこそ何か細工をしてるんじゃないかと、逆に疑われるくらいなんです。だからもう、臭いものには蓋をする方式で会社側も見て見ぬ振りをして、上司も自分が責任を被りたくないから、同僚にも余計なことは言わぬようにと口止めをしてきて、結局自分が体験したこともうやむやのまま、なかったことにされてしまいました。早い話が、自分がホストとしてミーティングすることは以後禁止され、違う仕事をさせられるようになったんです。ですが私としては納得いかないし、事実何も解決していないですから、どうにかして原因を探りたいと思って、こうして個人的にご相談に伺ったというわけです」
「なるほど。よくわかりました」
ひと通り話し終えた藤沢は、黙って周囲を見回した。
「さっきから、なんか変な音しませんか?」
「しますよ。家鳴りですから、気にしないでください。この建物も古いんで」
堂前さんの答えに返事をしつつも、藤沢は不安な眼差しで耳を澄ます。
「では実際に、そういう変なことが起こるようになったのはだいだいいつぐらいだったか教えてください?」
「えっと、ちょうど一か月前です」
「そのころに、なにか気になる点はありませんでしたか? あなた自身が普段とは違うことをしたとかされたとか、思いつくことだけでも結構なんで」
「気になる点? ないですねえ。普段通りのことをしてた気がしますね」
「そうですか。では失礼を承知でお聞きしますが、あなたが今日これから買おうとされている手土産は誰に渡す予定なのですか?」
「え、どうしてわかったんですか?」
藤沢は目を丸くした。声のトーンが一段階高くなる。堂前さんは、相手の反応も意に介さずに淡々と続けた。
「いえ、先ほどあなたがカバンを開けたときに、洋菓子店のポイントカードが、内ポケットの一番取り出しやすそうなところに見えただけですよ。アカウントのメモもそこに入れていたんでしょう? 用意周到なあなただから、そういうものもちゃんと事前にセッティングされているのかと推測したまでです」
「なるほど。いや、ちょっとびっくりしました。でも、ほんとそうなんですよ。いつもカードは財布に入れてあるんですけど、会計する時にもたつくのが嫌だから、すぐ出せるようにカバンの内ポケットに入れてるんです。こう見えて自分、結構せっかちなんで」
藤沢はカバンからハンカチを取り出して額の汗を拭い、それからグラスのお茶を飲んで、ふうと大きく息をついた。
「スイーツは……、これは、知人にプレゼントしようと思っているんですけど」
「彼女の方ですか?」
「彼女ではないですけどって、え、こんなことまで言わないといけないですか?」
「ではちょうど、一ヶ月前に会った方はどんな方だったか教えてもらえませんか?」
「いやですよ」藤沢がきっぱりと答えた。「なんでそんなことまで教えないといけないんですか。関係ないでしょ」
「その人は霊感が強かったり、変なものが見えたりする人ではなかったですか?」
「ないです。普通の女性です」
藤沢は断固とした口調で言った。
「わかりました。変なことを伺いまして大変失礼しました」
「いえ、わかってもらえたらそれでいいんです」
堂前さんが頭を下げているときに、藤沢は私のほうをちらりと見た。
思わずスマホから目を離して二人の問答をがっつり眺めていた私は、あわてて顔を伏せる。
「えーと、今回のことはですね、実際にあなたのおっしゃる不具合を私がこの目で確かめてみないとわからないことなんですけど、それがわかった上で、あなたはどうされたいのですか? この問題を解決されたいのか、その原因を知りたいだけなのか」
「原因を知りたいですし、もちろん解決もしてほしいです」
「もしそうなら、ある程度の情報をこちらに提供してもらえないと、こちらとしてもなかなか解決は難しいですね。我々も魔法使いではないので、杖を回しただけで犯人発見みたいなことはできないのですよ」
「原因は現時点でわかったんですか?」
「ある程度は」
藤沢は堂前さんを見つめた。二人とも口を閉ざしたまま、しばらくその状態が続く。先に沈黙を破ったのは、堂前さんだった。膝を両手で打ち合わせると、堂前さんは立ち上がった。
「わかりました。とりあえずじゃあ、パスワードだけでもこちらのメールに送ってみてください。実際の映像を見てみますよ。それからどうするかはあとで決めましょう。調査料はまだいただきませんから」
「わかりました。じゃあそうします」
立ち上がって堂前さんに礼をする藤沢は、私のほうにも笑顔で、「ありがとうございました」と言った。それは何か意味ありげな笑顔に、私には思えた。
藤沢が出ていくと、堂前さんは閉じたドアのレンズから外を覗いた。
「なにやってるん——」
堂前さんは人差し指を口に当てた。
また静かにレンズを覗きこむ。
「……よし、向こうに行ったな。君、あの男どう思う?」
「え、なんかちょっと変な感じがしましたけど。でもそれより『アルバイトの雑用係』はないと思います」
「君、そんな雑念に囚われてるから鈍るんだよ。じゃあ、行こうか」
「どこ行くんですか?」
堂前さんがジャケットを羽織ってドアを開けた。私はわけがわからないまま、あわててスマホをポケットに入れて堂前さんについていった。
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