第三怪 霊は電波にノッテ

 エレベーターの扉が開いて、画面はビルの薄暗い廊下を映し出した。小さなテナントビルの廊下で、深夜をまわっているため、すでに消灯時間は過ぎていた。エレベーター内の明りが通路に漏れているものの、その先はひっそりとしていて、うら寂しい雰囲気に包まれている。


「はい、では三階にやってまいりました。四階建てということで、あともうワンフロア行かないといけないのが苦痛なんですけど、トッシー、大丈夫?」

 金髪の若い男が画面の背後にいる人物に向かって言う。

「大丈夫じゃない。例によって、機材トラブルです」


 横長の画面の下に、(バッテリー満タンにしたはずの照明がなぜかつきません汗汗)というテロップが出た。


 二人の息遣いから画面の緊迫感が伝わってくる。


「ここまできたら、例によってというより、幽霊の『霊』によって、だよね」

「うまいこというね」


 パチパチパチという場違いな効果音が入り、緊迫感が一瞬だけ緩和された。

 しかし、そこで画面が暗転し、

(だがこの後ふたりは、とんでもない体験に遭遇することになる)という文字が画面中央に表示された。動画はさらに続く。


「ではめげずに、また先ほどと同じように廊下を往復して戻ります。進みましょう」

「ん?」

「どうした?」

 若い男がふり向く。

「なんか聞こえない?階段のほう」

 画面がエレベーターを出てすぐ脇の階段に向けられる。若い男がペンラントをあてた。


……コツコツコツコツ


 確かに足音が聞こえる。


「うわ、マジやばくないか。こんな暗いところに、人なんているわけないよ」

「やばいよ。投稿にあった濡れた女の幽霊じゃね。え、近づいてきてない?」

「きてねえよ」

「きてるって。ほら」


……コツコツ、……カッ……カッ……カッ


「あ、たしかに、下りてきた」

「やばいって、逃げよう」

「いや、逃げてどうすんだよ。ここで撮らないと何のために来てんだ」

「じゃあ、エレベーターは開けとこう。すぐ逃げられるように」

「そうだな」


 カッカッカッと音が聞こえるのに、いつまで経っても下りてくる気配がない。そのうちに音がふっと消える。


「あれ、音がしなくなったぞ」

「お前、階段あがってきて」

「え、俺一人で行くの。まじかよ」


 画面内が動き出し、階段の真下に来る。手元が小刻みに震え、男性の息遣いだけが聞こえている。ペンライトの弱い光では、数歩先の階段しかよく見えない。徐々にカメラが舐めるように上にあがる。すると、踊り場のところで二本の足がぼんやりと映り込んでいた。


「ぎゃあああっ‼」


 断末魔のような叫びとともに、画面がブレて不鮮明になり、次の瞬間にはもうエレベーターの中で、「閉」のボタンを押し続ける指が映っていた。

「早く閉めて閉めて!」

「まじでやばいってここ!」


 動画はもう一度先ほど足が見えたシーンをリプレイで流し、スローモーションにして繰り返した。そのバックには、おどろおどろしいBGMが流れる。

 最後に(霊道があると呼ばれるこのビルで、霊は我々をあの世へとひきずり込もうとしていたのだろうか?)という言葉で、動画は締め括られた。


 動画を見ていた堂前さんがノートパソコンから顔を上げると、私に言った。

「俺の足だな」

「ですよね」


 事務所は今日も涼しかった。

 デスク裏の網戸からは、真夏の生暖かい風が吹き込んでいた。その風は背の低いオンボロ扇風機の首振り機能によって、室内の隅々に届けられた。普通なら生暖かい空気は蒸し暑さを感じるはずなのに、この事務所ではなぜかその攪拌過程において、湿度と温度がぐんと下がるため、体感温度は快適さを感じる範囲内に落ち着くことになる。

 この建物がそんな造りになっているのは、なにも設計構造上の理由からではない。実は私もあまりよくわかっていない。しいて言うなら、このビルが有名な心霊物件だからだろうか。


「『S区環七付近の霊道マンション』か。確かに気になるタイトルですね。とうとうここにも、ユーチューバーが来るようになりましたか」

「事務所のソファでうっかり寝てたら、真夜中過ぎててね。帰ろうと思ったら、なんだか下が騒がしいから、行っていいものか階段でちょっと迷ってたんだよ。そしたら足元見て逃げるからさ」

「あ、すごい。一週間で五万回以上視聴されてる。よかったですね。わたしもいいねボタン押しとこ」

 私は自分のスマホの画面下にある、グッドマークをクリックした。


「ネットでも住所だけは特定されていないのに、よく見つけてきたな。オーナーもさ、ここのビルの鍵貸しちゃだめだよ。次から次に来られたらどうするの」

「ただでさえ、依頼人はここの場所が気持ち悪いってうすうす感づいてますからね。心霊スポットとして知られたら、お客さん来なくなりますよ。心霊案件は増えるかもしれないですが」

「やだよ。稼げないのに」


 堂前さんの事務所は、地下鉄丸ノ内線の某駅から歩いて十数分のところにあった。繁華街からはずいぶん離れているが、昔ながらの金物屋さんやお蕎麦屋さんなどの商店が立ち並び、古いオフィスビスもちらほらと目につく。環状道路が少し離れた通りにあるので、車の行き交う音は遠くからひっきりなしに聞こえてきた。近所に厄除けのお寺があり、墓地も比較的多いから、ここの土地もそのむかしは墓地だったか、刑場だったかで因縁があったと思われる。もともとこの近辺が、幽霊の目撃情報の多いと住民に噂されている場所でもあった。


 だが、堂前さんのテナントビルが近年ネットで騒がれてるのは、その土地のことではなく、ビルに出ると言われる水に濡れた女性の幽霊の怪奇現象だった。堂前さんの知り合いの霊能者曰く、ここは噂通り、霊の通り道と言われる霊道になっているらしい。霊道と水場は密接な関係があると言われている。だからここに出現すると言われる女性の幽霊もあながち信憑性がないわけではなかった。私はまだ見たことがなかったが、不思議な気配や変な音はしょっちゅうここで体験しているから、おそらく何かがいるのだろう。あえてそれを確かめてみようとは思わないけれど。


「いやいや、こんなことをしてる場合じゃないんだった。仕事しなきゃ」

 ユーチューブの画面を閉じて、堂前さんが言った。

「そうですよ。本当に『出る』か実証してみないといけませんからね」

 堂前さんは、ZOOMアプリをクリックして立ち上げた。メモしたメアドとパスワードを入力し、サインインする。新規ミーティングで進めると、画面いっぱいに堂前さんの顔が映った。

「つくづく嫌になる顔だな」

「そんなことないですよ。死相が出てるだけです」


 こんなブラックユーモアが許されるのも、堂前さんだからこそである。本人は何食わぬ顔をしているが、そのうちにブチ切れられるかもしれない。

「そしたら、君の死相も見てみるとしようか」

 堂前さんが招待メールを私のスマホに送る。私は送られてきたメールに記載されたURLから、IDを入力しミーティングに参加する。画面が二分割されて、私と堂前さんの顔が表示された。

「出てますか?私の死相」

「ばりばり出てるね」屈託なく笑う堂前さんを見て、この人も冷酷な人だったなと気づかされる。「それだけじゃないぞ、君のまわりはオーブだらけだよ」

 確かに、自分の画面だけ小さく丸いものがうっすらと、ほこりのように浮かんでは消えて、あたりに舞い飛んでいた。


「いや、でもこれはこの部屋の現象ですよね。藤沢のものとはまた別ですよ」

 堂前さんの画面の左下には、藤沢たくみという名前があった。それが今回の依頼主の名前だった。彼がぜひ確かめてほしいと言っていることが実際に起こるかどうか、今実地で確かめているのだ。

「ユーチューブの動画ならここで、これから二人はとんでもないものを目にすることになる、とかでるんだろうな」

「ほんとですね」


 そう言って二人でへらへら笑っていると、絶妙なタイミングでミーティング画面が三分割された。私以外に誰も招待していないはずのルームに、もうひとつの画面が追加される。


「きた」堂前さんは、パソコンを持ち上げて画面に顔を近づけた。

 三つ目の画面は真っ黒だが、そこに呻き声のようなものが混じっている。

「やっぱり参加者の削除もできませんか?」

「うん。ミュートもなんにも、ボタンを押しても全く反応がない」


 正体不明の画面は、非表示モードで黒画面になっているのかと思ったが、よく見ると、ときおり白いものがふっと現れては消えている。ということは、カメラを向けたどこかの空間が映し出されているということなのだろうか。


 ……いぃぃいいいぐぃあががああむぅうううなああああいいっぃいいでえええぇ


 不気味な呻き声は、遠い地響きのようだった。

 画面から白いものが現れては消えた。まるでそれは水の底から浮上して、沈んでいくようにも見えた。

 ためしに自分のスマホ画面と、堂前さんのパソコン画面を見比べてみると、面白いことに、私と堂前さんが映る画像は二つのデバイスで若干の時間差があるのに、正体不明の画像のほうには、そのタイムラグが全くなかった。


 ……いいいいいいいいぅうううゔゔゔ……ぐぐぐぅあぁうゔゔぅぅぁぬううああぇぁああいいいいでええぇぇゔぅんんん


 ……ぃぃいいいいああぇぁああええぇぇぐぐううううぐううう……なええああああぇえぇんんん


「ん、なんか言ってません?」


 よく聞くと同じような音節を繰り返してるように思える。私は有線のヘッドフォンをカバンから取り出し、スマホのコネクタにつないだ。音量を大きくする。


……いいぃぃいがああぅんんんなあああいいいぃいでええええ


「いがああないいで。いがないで。行かないで! 堂前さん、この人『行かないで』って言ってるんじゃないですか?」


 その瞬間、画面から白い顔が大きく浮上した。

 私たちは息をのむ。


 それは水に濡れた女性の顔だった。

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