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「堂前さん、あんなこと言っちゃって大丈夫なんですか? 哀れなお年寄りなんだから、むきになって相手にすることないですよ」
老婦人の家から駅へと戻る道すがら、すたすた先を行く堂前さんに向けて、私は言った。ちょうどお昼を迎えようという時間帯になり、暑さはピークに差しかかっていた。
「年寄りだからとか若いからとか、そんなものはただの付随する属性であって、本質には一切抵触しない。それに、俺は別にあのご婦人を懲らしめてやろうなどという気持ちは一切ないからね。自分の仮説が正しいのか、正しくないのか、もしくは、このやり方が自分にとって相応しいか、相応しくないか、興味があるのはそれだけだ」
「意味がわかりませんね。自分の仮説を確かめたいのは理解できますけど、相応しいとか相応しくないとか、一体そんなものが、仕事とどう関係あるんです?」
「君ね」堂前さんが私の歩調に合わせてくる。「どうして俺が三日という期限をわざわざ設けたのか、わかっているのか? 三日などと言わず、老婦人と穏やかにことを進めていれば、あるいは普通に依頼を受けてゆったりとした時間と経費で調査することができたかもしれないのに? それは自分にとって、この仕事が自身との勝負でもあるからだ。自分に負荷をかけないと、さらなる飛躍にはたどりつけない。アスリートがそれを証明してるだろ」
あんた狂ってるよ、という言葉が喉元まで出かかったが、なんとかそれを飲みこめたことは、今日一日における自分の一番の功績だった。
「君、腹は減らないか。公園でランチでも食べよう」
「このクソ暑いのに、外ですか? 嫌ですよ。ファミレスか、マックに行きましょうよ」
「じゃあ、君はファミレスかマックに行きたまえ。俺はコンビニでおにぎりでも買って、公園に行くから。人が多いところが苦手なんだ」
「私も苦手ですけどね」
結局、公園でマックを食べるという折衷案に落ち着いたものの、敗北感は拭えなかった。堂前さんが支払いを全て済ませてくれるから、それについて文句は言えなかったが。
しかしそこでも、まだ終らなかった。ようやく、いざ、公園に行こうという段になって、私が知っている公園に案内すると、ここは小さすぎて周囲の目につきやすいだの、ここはゴミ箱がないだのと、堂前さんはいちいち難癖をつけてきて、食事をする場所がなかなか決まらない。どこでもいいからとりあえず座りたいと思っている私と、公園にも奇妙なこだわりを持つ堂前さんとの間で、醜い小競り合いが続いた。
さすがに業を煮やして、ひとりで帰ってやろうかと思った矢先に、屋根付きのベンチがある公園を見つけ、そこにしようと堂前さんは言いだした。私は体力が消耗して、へとへとになり、怒りすら湧かなくなっていた。
住宅と木々に囲まれた、やや大きめの静かな公園だった。向かい側の日陰の奥にはベンチがありトイレもあったが、暑すぎて公園にはひとっこ一人見当たらない。
私はベンチにへたばって、しばしのあいだ茫然自失の態だった。さすがに堂前さんも汗だくになっていて、ジャケットをベンチにかけると、ワイシャツの袖を捲くった。それから、ブリーフケースから大き目のタオルを取り出して、顔面や首周りを念入りに拭いたあと、そのタオルを首に引っかけた。
堂前さんは休む間もなく、マックの袋をがさごそと開け、二人の間の空いたスペースに食事を手際よく配置していく。
「今頃、老婦人は涼しい快適な部屋で、豪華な昼食でも食べてるんだろうなあ」
私は泣き言を言った。
「あのご婦人だって、お茶漬けぐらい食うさ。十年以上前になるが、当時首相だった麻生総理は野党にカップラーメンの値段を聞かれて、『えらく安かったと思うが、四百円くらいか?』と答えたそうだ。金持ちってのはそれぐらいの人を言うんだよ」
「今ならコンビニに四百円のラーメンくらいあるんじゃないですか? でもそういうことを言いたいわけでもないし、めんどくさいから、もういいや」
水分補給のために飲む、コーラゼロの吸引力が凄まじい。Lサイズを注文しなかった自分が悔やまれた。
堂前さんは私の話を聞いているのかいないか、公園のほうに目を向けたきり、なにか考え事をするように一定の方向を凝視している。大口を叩いた老婦人のことで、さすがに頭がいっぱいかと思われる。
「堂前さん、今回の婦人の霊障は、お稲荷さんとは関係ないのでしょうか」
「ないね。それは最初からわかっていたよ。話を聞くうちにもそう思ったし、だいいちお稲荷さんは基本的に女性の神様だからね。五穀豊穣の神は、女性の神様が多い。君の見たのは男性だろう?」
「え、お稲荷さんって狐の神様ではないんですか?」
堂前さんはため息をついた。
「君はさっき、俺の説明の何を聞いていたんだ? お稲荷さんは、稲荷神という神だって言ったじゃないか。狐はその神の使いだよ。まったく説明する気も失せるな」
「そんなに落胆しないでくださいよ。あとでちゃんと復習しておきますから。それじゃあ、婦人を苦しめる現象は、婦人に恨みを持つ男性の可能性が高いということなのかな。こう言ってはなんですけど、あの婦人に恨みを持つ人は、たくさんいるような気がします。旦那さんのことを悪く言ってましたけど、近所の外聞が良くないのは、なにも旦那さんだけのせいではないのでは、とまで深読みをしてしまいました。もしかしたら、いろんな悪い霊を引き寄せているのかもしれませんね」
「まあ、他人にどう思われようと、その人はその人なりに自分の生き方を全うしてきたんだろう。自分が正しいと思う生き方しか、人はできないからね。そういう意味では、ご婦人も俺も似たようなもんさ」
堂前さんはバーガーを片手に、ポテトをポイポイ口に放り込んでいる。
「ヒントを教えてください。だいたい検討はついてるんでしょう?」
「君のほうこそ、もうだいだいわかってきたんじゃないのかね? 人に聞いてばかりいないで、自分でも考えてみたまえよ。あの婦人の空き地は、人目につきにくく、木々が生い茂り、とても過ごしやすい場所だった。俺はあの時、ただ歯の浮くようなお世辞を言いたかったわけじゃないんだよ。昼寝でもしたいところだと言ったのは嘘じゃない。治安もきっと悪くないはずだ。周囲の環境を見れば、それはわかる。そして今、俺がなぜこんな炎天下に、しとどに汗をかいて駆け回り、公園を選んでいたのか。君は俺を好き好んでこんなことをしている、頭のおかしいやつだと思ってたのか?」
「思ってるわけないじゃないですか」と激しく否定したが、余計に怪しく思われそうだった。
それでも私にはまだわからなかった。堂前さんが何を探していて、何をしようとしているのかを。
食事を終えて話すこともなくなり、互いに沈黙のまま時間だけが過ぎた。蝉の声とうだるような灼熱が時間にまとわりつき、経過の速度がやけに鈍く感じる。もともと持参していたお茶のペットボトルも、そろそろ底をつきかけていた。堂前さんはまだマックのソフトドリンクを手に、公園を眺めていた。
やがてしばらくすると、堂前さんがなにやら反応を示す。目線の先を追うと、自転車に乗ったおじいさんがふらふらとした運転で、公園にやって来るところだった。
おじいさんは、位置的に木々で遮られて見えなかった私たちに気がつくと、自転車を止めて一瞬躊躇した。しかし、私たちを見て大丈夫だと判断したのか、またペダルを漕ぎだして、ゆっくりと園内に入って来た。
入ってくるなり堂前さんは「よし、来た!」と小声で囁き、私に笑顔を向けた。
それはホームレスのおじいさんだった。
上半身が裸で黒々と日焼けしていて、自転車には大量の空き缶が前と後ろの荷台に結びつけられている。
おじいさんは、ゴミ箱の近くで自転車のスタンドをよっこらしょと立て、ゴミ箱の中を物色し始めた。
「ちょっと、俺の荷物を見ておいてくれよ」
そう言うと、堂前さんは立ち上がった。
首にかけたタオルで顔を拭きながら、何気なくトイレに向かうと思いきや、直角に折れてゴミ箱に近づき、おじいさんに声をかける。
おじいさんは最初は警戒しているようだったがしだいに言葉数も多くなり、堂前さんが聞き役に回っているのが、こちらから見ていてもわかる。
笑い声も混じるようになり、二人とも話が弾んでいるようだった。
最後に堂前さんは頭を下げると、こちらに戻って来た。おじいさんがこちらを見て笑っている。
「裏をとれたんですか?」
「いいや。でも糸口は見つけたよ。これから明日にかけて、忙しくなりそうだな。俺は浮気調査の仕事もあるから、同時進行で行うつもりだ。なに、もう一方のほうは、時間を見計らって張り込めばなんとかなるからね。君は三日目に駐車場を開けておいてもらうよう、ご婦人に連絡をしておいてくれ。除霊師を呼ぶよ」
堂前さんはジャケットを羽織ると、ブリーフケースを持った。
「ちょっと待ってください、どこに向かうんですか?」
「君はもう帰っていいよ。あとは俺がお膳立てをしておくから。さあて、どうなることやら。三日後に駅前で会おう。楽しみに待っていたまえ」
堂前さんはそう言うと、軽快な足どりでおじいさんのところに再び向かった。おじいさんは自転車のスタンドを上げて、堂前さんを待っていた。二人は一緒に歩き始め、和気あいあいと話をしながら公園を出ていった。
マックの残骸と、うだるような暑さの中にひとり取り残された私は、今いる自分の状況を処理するのにさらなる数分の時間を要した。
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