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休日の駅前の南口は、人通りでごった返していた。昔ロータリーと二階建ての自転車置き場のあった場所には仮囲いの板がたてかけられ、重機がせわしない音をたてている。
駅の敷地と駅前の地面には高低差があるので、縦長にぐるりとめぐらされた囲いのなかで、資材を運ぶ人やトラックが出入りするのを、改札口の一番上の段から見渡すが出来た。再開発は急ピッチで進められてると、ネットの地域ニュースでも大きく取り上げられていた。
かわり映えのしない夏用ジャケットと、カーキ色のスラックス姿で現れた堂前さんは、相変わらず日差しの似合わない人だった。擦れてテカテカになったスラックスの右膝部分が、陽にあたると余計に目立って見える。身だしなみだけは常にきちんとしている人なのだが、いかんせん身につけているものはいつも安物で、着古したものばかりだった。
「おはようございます」私は頭を下げた。「眠いですか?」
「いいや、大丈夫だ」
まるで寝起きのような気の緩んだ顔が、眩しげに周囲を見渡している。
「ここが君の地元だね。若い頃に来たきり、あまりこの駅には下りたことがなかったが、ずいぶん様変わりしてるんだな。君の自宅は、どの辺かね?」
「私は北口のほうです。といっても、自転車に乗って十分以上かかるところですけど」
「ほう」
堂前さんは北口のほうへ足を向けて歩こうとする。
「いや、行かないですよ。場所は絶対に教えるつもりはありません」
ただでさえ、この付近で知り合いに見られでもしたら嫌なので、私はさっさと目的地に続く道路沿いの歩道へ促した。午前中からすでに、暑くなる予感を孕んだ、風のない晴天の夏日だった。
「南口は駅周辺こそ雑居ビルや飲食店が立ち並んだりしてますけど、南側全体は古くからの住人が多い土地というイメージが地元民のあいだにはあって、奥には多摩川に通じる小川がのびてるし、大きな神社や緑地庭園があり、静かで田畑も多くて、高台のところには大きい家ばかりの住宅街がずらっと広がってるんですよ」
大して愛着のある町でもないのに、地元のことになるとついつい熱弁を振るおうとするおのれを自制しつつ、堂前さんの道案内を続ける。
「で、そんな南側も、これからはどんどん開発していこうとしているわけか」
歩道の両脇の至るところに、赤いカラーコーンの置かれているのが目についた。
「みたいですね。駅の手前にあったロータリーをぶっ壊して、そこに高層マンションを建てる予定だそうで。そのマンションの向こうに新たなロータリーを再整備をする計画なんですけど、駅から遠くなっちゃうから地元住民のあいだでは数年前から避難轟々ですけどね。表立ってはいないですけど、高額納税者を誘致する政策みたいです。優遇するのは、地元民よりもご新規さんってわけです」
「高齢者にも安心快適便利な住みよい街をって書いてあるけどね」
鉄柵の貼り紙を見て、堂前さんは言う。
「ホームレス禁止のマークまであるな。ああそうか、カラーコーンは居座り防止のための対策でもあるのか。どうりで目につくわけだ」
「それはわたしも気がつきませんでした。言われてみれば、奥まった場所や空いたスペースなんかによく置かれてますね。さすが堂前さん、普段から見るとこ見てますね」
「やめたいんだがね。職業病みたいなもんだよ」
「いいんじゃないですかね」
「君、本当にそう思ってないだろ?」
「思ってますよ」
「昨日の店でも言おうかと思ってたんだが、感情のこもっていない言い方をするのは、君も同じだからな。言ってる本人が気がつかないだけで」
「お言葉ですが、私は本心ではそう思っているのに、表に出ないだけなんですよ。本心なのに、本心でないと思われることのほうが辛いとは思いませんか。平気で嘘をついておいて、さもそれを本心であるかのように見せる芸当は、私には到底できません」
「じゃあ、君も本心を出せばいいじゃないか。そんな面倒なことに神経を悩ませる暇があれば、楽しかったら楽しいって顔をすればいい」
「それが出来ないから悩んでるんじゃないですか。自分の尺度でしか物事を図れない、だけでなく、それ以外は一切認めない、そんなスタンスはもはや現代では完全なるサイコパスの入り口ですよ」
「少なくとも怒りの感情だけは、驚くほど素直に出るようだな。いつもそこが不思議なんだが。まあ、わかり易くてよろしい」
返す言葉が見つからないので、「ああ、あっつい」と言ってバケット帽をかぶり直してごまかした。
堂前さんは帽子もかぶらず、きれいに整えた黒髪を風に揺らせている。よく見ると、後頭部にぴょこんとアホ毛があるのを発見した私は、鬼の首を取ったように心の中でガッツポーズをした。堂前さんには、そういううっかりがよくあった。以前にも依頼人が相談する真面目な席で、股間のチャックを開けたまま席を立ったり移動したりしていることがあった。見かねた依頼人が注意するも、本人はいたって冷静に「失礼」と言ってすましているあたりが、私にはおかしくてたまらなかった。
勾配のあるところが多く、ゆるやかな下り坂を抜けて橋を渡る。住宅地に挟まれた細い川がちらりと見えた。
「依頼主のご婦人は、独り身かね?」
「そうみたいですよ。お手伝いさんがいますけどね。ご主人を数年前に亡くして以来、ひとりで生活されているそうです。娘さんが二人いて、どちらも嫁がれているようですが、週末はどちらかが来て一緒に食事をされるそうです」
道路沿いから石垣のある家の角をまがると、このあたりからだんだんと上り坂になった。生垣に囲まれた家や、大きな木々が庭にある家が、ちらほら目につくようになる。先ほど通り過ぎた細い川もぐるっと迂回して、こちらから見渡せた。
川の河川敷には、緑の葉をつけた桜の木が並んでいる。マンション横の階段を上り、しばらく進んだところに依頼主の家があった。
大きな門構えのある現代造りの家だった。インターホンを押してしばらくすると、しっかり芯のとおった口調の老婦人の声が聞こえた。
「はい。ああ、昨日の方ね」
向こうはカメラでこちらが見えているのだろう。
「おはようございます。ご連絡した水無川です」
「お待ちしておりました。どうぞ、横の扉から入ってください」
門扉を開けて、少しづつ段差になった石畳を上り、両扉の玄関に入る。庭には綺麗に剪定されたツツジの奥に、立派な松の木やハナミズキなどが並んでいた。
堂前さんの事務所がすっぽり入ってしまうような玄関ホールに、昨日出会ったおばあさんが両手を前で重ねて立っている。ワイドパンツに、さらさらとした素材のプルオーバーと薄手のカーディガンという格好だった。
「ようこそ、いらっしゃいました。こちらが、小林さん?」
「はじめまして、小林です。よろしくお願いいたします」
「こちらこそ。急な用件にご即断していただき、誠に怖れ入ります」
「とんでもない」
「そのことで、お詫びしたい話があるんですけど、ここではなんですから、どうぞ」
「はあ、それでは失礼いたします」
通された大きな応接間は、昨日お邪魔した居間とはまた違う雰囲気だった。ソファーが長方形のテーブルの四隅に置かれ、壁際にワイングラスを並べた棚がある。奥には暖炉まであって、マントルピースのレンガの上に写真や記念品やアフリカの民芸品のようなお面などが飾られていた。
老婦人が入口手前の一人掛けに腰かけ、私たちはその斜向かいの長椅子に並んで腰を下ろした。クーラーが効いていて、とても気持ちがよかった。
老婦人よりも少し若そうなお手伝いさんが、お盆に飲み物を持ってきた。
「みなさん、冷たい紅茶でよろしかったでしょうか」老婦人が言った。
「いや、もうお構いなく。なんでも結構です」
「水無川さん、昨日はどうもありがとう。おかげで今日はすっかりよくなりました」
「足は大丈夫ですか?」
「ええ、もう。普段調子の良いときは杖もいらないくらいなんですよ。悪い日に出かけるものだからダメなんです。自業自得ですね」
老婦人は紅茶を少し飲んだ後、堂前さんを点検するように見ていたが、やがて口を開いた。
「小林さん、お詫びと申し上げましたのは、実は今回のことをお断りさせていただこうと思いまして。せっかく来ていただいて大変申し訳ないのですけど」
「はて、それはまたどうして。理由を伺ってもよろしいですか?」
「はあ。少し言いにくいんですけど」老婦人は俯きがちに言った。「やっぱり幽霊だの障りだのというのは、現代の感覚からいってもあまりそぐわないといいますか。水無川さんは昨日、私に何か感ずるものがあるとおっしゃいましたけれど、果たしてそれが本当に確証があるかどうかも定かではないですし。いえ、お二人を疑っているわけではないのですよ。私もこの苦しさから逃れたい一心で、藁にもすがる気持ちではいるんです。ですけど、本日冷静になって考えてみたら、そんな根も葉もないことを信じていいものかと」
「信じるもなにも、実際に原因不明の苦しみが足腰以外にあるんですよね?」
「そりゃありますけど、もう年なんでね。ガタがくるのは仕様がないものと、半ばあきらめています」
「失礼ですが、お年は?」
「師走で七十五になります」
堂前さんは軽く頷いたまま黙っていたが、しばらくして口を開いた。
「そうですか。では非常に残念ではありますが、我々は山岡さんがお断りになるということであれば、特に異存はありません」
「誠に相済みません。それではご足労をおかけしたので、交通費だけでもお渡ししますね。少々お待ちください」
老婦人は腰をいたわりながら、ゆっくりと立ち上がろうとする。
私は堂前さんにアイコンタクトを送るが、堂前さんは全くそれには反応せず、神妙な面持ちで座っている。私は立ち上がった。
「ちょっと待ってください。霊障はさておき、お話だけでも聞かせてもらえませんか。話をしているうちに、お力になれることが出てくるかもしれないですし。ねえ、堂前さん」
「いや、もういいんじゃね」
「だって」
あんなに金を欲しがっていたくせに、この急変ぶりはなんなのだろう。怒りを通り越して、呆れかえってしまった。
「あの、ひとつだけ伺ってもよろしいですか?」堂前さんが言った。
「なんでしょう?」
「その右手の指輪は、どうして中指にされているのですか?」
今まで温和だった老婦人の表情が急に硬くなった。老婦人の右手には、昨日と同じトルコ石の指輪がある。
「どうしてって。特に意味はありませんよ」
「そうですか。ならいいんですけど」
堂前さんは目の前のグラスに手をのばした。老婦人はその様子をじっと見つめながら言った。
「なんですかいったい、持って回ったような言い方をされますね。言いたいことがおありなら、どうぞ遠慮せずにおっしゃってください」
「いや、別に大したことじゃないんです。ただ、誕生石を中指にするのは魔よけの意味合いがありまして。根も葉もないことだといいながら、そういうことに関してはお信じになるのかと、ふと疑問に思っただけです」
「あなたの言い方、気に入りませんね」
場が一気に凍り付いた。私は身動きがとれなくなった。
「気に入ろうと入るまいと、どちらでも結構。そんなものは私にとって痛くも痒くもありませんし、あなたにとって毒にも薬にもならんでしょう。あなたはこの件に関しては、全く心当たりがないとおっしゃったそうですね。私が言いたいのはですね、そういう霊の仕業だのなんだのがあるかどうかは別として、それを隠そうとすること自体がかえって、なにか原因になるような心当たりが、山岡さんご自身でお持ちなのではないかと思うのですが、いかかです? 違いますか」
老婦人は唇を硬く結んで堂前さんを見つめていた。今まで他人に面と向かってこれほどずけずけと物を言われたことは、なかったにちがいない。
「私はね」と老婦人が口を開いた。「近所で変な風評がなされることが何よりも嫌なんですよ。こっちは何にも疾しいことなんてしていないのに、近所の住民は平気であることないことを、面白おかしく言いふらします。主人が生きていた時は、羽振りがよくて目立ったこともやっておりましたから、近隣住人の積年の妬み嫉みなどもそりゃあるのかもしれません。けれど、今はもう、私はひとりです。ひとりになって、できるだけ波風たてずに余生を送りたいと願っています。これ以上、何かを言われたり、変な目で見られたりしたくはないのです」
「それは大変お気の毒です。何の事情も知らない外部の者が、とやかく言いましたことをどうかお許しください。ですが、我々が話を伺い、場合によっては除霊師の手配をさせていただくことになるのですが、それのどこがあなたのおっしゃるような風評に繋がるのか、私にはわかりかねます。唯一考えられるとすれば、それは土地がらみのこと以外にありえない」
老婦人のそれまでの硬い表情が緩んで、ふふと笑みがこぼれた。
「さすが探偵さんでいらっしゃる。感服いたしますね」
老婦人はじっと一点を見つめたまま黙っていたが、やがて堂前さんを真正面から見据えると言った。
「わかりました。あなたの力をお借りしましょう。助けてください。ご案内します」
「案内?」
「ええ。半年前にちょうど整備した土地が近所にあるのです。そちらにご案内いたします」
そうして老婦人は、おもむろに席を立った。
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