第二怪 楽園追放

「それでさ、その黒い飴玉を舐めた日の翌日、姉に『あの飴おいしかったね』って言うと、『え、なにそれ?』って返ってきて。こっちがどんなに祭りの中で猫を探したこととか、おじいちゃんのこととかを説明しても、『そんなの知らない』『行ってない』の一点張り。ほんとに悔しくてね。だから俺、学校終わってから、その家を探したんだ。近所の神社だから場所も近いし、人混みだったけどどういう風に行ったかとかちゃんと頭に入っていたから。神社の境内を抜けて、古い民家の塀伝いに坂を下りて例の崖に辿りついた。そしたら、おじいちゃん家に続く小道なんてなかったんだ。一面がびっしり竹藪に覆われていた。

 あとで聞くと、そこには以前に古井戸があったそうなんだ。水道が普及してからはもう使われなくなって埋めてしまったらしいんだけど、その井戸で事故死した人がいて。その人が高齢の男性だった。孫が井戸に落とした玩具を取ろうとして、誤って頭から落ちたんだって」

「えー、マジ怖すぎ―。てか、黒い飴イミフ―」


 蓮岡さんの店では、恒例の納涼怪談大会が行われていた。納涼とは謳いながら怪談収集は蓮岡ママの趣味なので、一年中季節を問わず行われており、怪談目当てに来る客もいる。

 煌びやかなカラオケタイムのあとで、見た目や性別や年齢の様々な人たちが狭い店のボックス席に卓を囲み、自分たちの用意した怪談を披露する様子は、恐怖そのものを裏返しながら真正面に向き合う不可思議な場をそこに提供していた。


 座談を取りしきる蓮岡さんの隣には、相沢ミケがぴたりとくっついている。

 一緒にいるゲイのお客さんも、蓮岡さんが女好きではないことを知っているから、いくらミケが愛想を振りまこうと平気でやり過ごし、またライバル視することもなかった。さらにはミケ自身がこの手の人たちと馬が合うのか、妙に好かれている印象を受けた。


「黒い飴玉は、おじいちゃんのキャン玉なんじゃないの?」

「あはは、何言ってんの。レディーの前でやめてよね」

「なんなのこのメガネブス! うちらのほうがレディーじゃないの」

「ぎゃははは。そうねそうね、そうだった」


 はじめに開店直後のその店のドアを開けたのは、私とミケだけだった。

 蓮岡ママは「あら、なんなの未成年者がそろって。店潰す気?」と言いながら、店内にどしどし私たちを招き入れ、ソフトドリンクを出してくれた。


「十時までには帰るから。ママお願いします」

 私はコンビニのスイーツを入れた袋を蓮岡さんに渡した。蓮岡さんは袋の中身を確認して、カウンターにいる店子のカズヤという人に手渡す。カズヤさんは明るい笑顔でこちらに一礼した。


「えーん、荒太さん、会いたかったよぅ」

 ミケはママを下の名前で呼び、両手をひろげた。

「はいはいミケちゃん。久しぶりじゃない。なんだか大人っぽくなったよね」

「今日は荒太さんに会えるから、気合いをいれてきたんだよ」


 そういえばミケのメイクは、朝会った時よりもばっちり決まっていた。メガネもいつのまにか黒ぶちのオシャレなものに変わっている。


「あら、嬉しいこと言ってくれるわね。あんた困ったことがあったら、遠慮しないで何でもあたしに言いなさいよ。いつでも相談に乗ってあげるから」

「じゃああたしと付き合ってー」

「それはむりー」


 そのうちに客も少しづつ増えてきて、ボックス席に集まる者らは怪談大会を始めた。

 私はひとりカウンターの一番端に座り、ずっとスマホのゲームをしていた。カズヤさんが時折話しかけに来る。ちくはぐな会話になって沈黙が続いても、彼は何も気にせずに雑用をして他の客の相手をしたり、ボックス席に向かって声を掛けたりしている。ひとりで静かに飲んでいたい人にも寛容なお店であることは知りつつも、自然に相手を気遣わせないようにしてくれることがなにより嬉しい。ましてや相手は未成年の高校生だ。商売的には何の利益にもならないから、ほっとかれているにしても、私にはむしろその方がありがたかった。落ち着いた雰囲気は、本場の新宿二丁目とは違う場所柄ということも、関係しているのだろうか。堂前さんがよくこの店に来るのも、単にママと幼馴染だという理由からだけではない気がする。


 七時過ぎになって、ようやく堂前さんが顔を見せた。投げキッスを送るミケとママに軽く会釈をして、私の隣の席に座った。

「いやあ失敬失敬、ずいぶん遅くなってしまったね。出先でちょっと急な依頼があってね、その話を聞いてきたところなんだ」

「堂前さんお茶割りでいいの?」とカズヤさんが尋ねる。

 堂前さんが二本指を揃えて頭上で振るジェスチャーをした。おそらくオッケーという意味なのだろうが、普通にダサい。


「心霊案件ですか?」

「いや、浮気相手の調査の依頼だよ。こういうのは最初から黒だとわかっていて依頼してくるのがほとんどだからね。資料も揃っているし、詰めれば証拠なんていくらでも手に入る。あとはさっさと片づけるだけだよ」

 堂前さんはブリーフケースを隣の椅子の上に置いた。

「お忙しいところ、すいません」

 私は頭を下げる。

「それより、君の今日の出来事を聞こうじゃないか」

「はい」


 私は手帳をめくりながら、堂前さんに報告する。

「今日の午後、自宅の最寄り駅周辺の交差点で信号を待ってたんです。結構人通りが多くてごちゃごちゃしていたんですけど、ふと向こうの道路で信号待ちをしているおばあさんが目に入って、なんとなく不思議だなあと思ったんです」

「はい」

 堂前さんがいきなり手を挙げた。

「はいどうぞ」

「年はいくつぐらい?」

「さあ、六十歳くらい? いや七十越えているのかな」

「服装は? どんな格好だった?」

「どんな? そこまではメモしてないですけど、えーと、なんだったっけな。白い麦わら帽子を被っていて、かわいいなあと思ったのは記憶してます。紺色っぽいワンピース姿だったかな。あ、そうそう、胸のところに花の刺繍が入っていました。あとトルコ石の指輪も印象的でしたかね」

「指輪はどっちの手のどの指?」

「えー?」話が進まないので少々苛々したが、心を落ち着かせる。

「わたしが左手で肩をこうしたから、右手ですね。指まではわかりません」

「ふむ。では、続けて」


 私は堂前さんに目をやった。テーブルに頬杖をつき、目の前に置かれたお茶割りのグラスをじっと見つめている。


「おばあさんは腰が曲がってるのか、少し前傾姿勢気味で杖をついて立っていたんですけど、道路を隔てたこちら側から見ていても、そのおばあさんの上半身だけがなんだかふらふら揺れているように見えたんです。大丈夫かなと思って注意していたら——」

「はい」

 ふたたび堂前さんが手を挙げた。

「なんなんですか、もう。……はいどうぞ」

「杖ってなに? 傘の柄みたいなステッキかい? 材質は?」

「現代のよくあるT字の一本杖ですけど。ロフストランド杖でもありません。材質はアルミです。今どきステッキって」

 腹立ちまぎれに、私は言い捨てた。

「ふらふらってどんな感じ? 横揺れ? 縦揺れ? 陽炎風?」

「陽炎風です」

「あ、じゃあもう取り憑かれてるね。お憑かれさまでしたー、なんつって」


 私は手帳をパタンと閉じて、堂前さんを睨みつける。憤怒で血圧があがりそうだった。


「どうして先に結論を言っちゃうんですか? これから筋道立てて状況を説明して、その状況を踏まえた上で要点に近づこうとしているのに。まだ触わりのところだけで、こっちはなんにも話を始めてないんですよ」

「それで、君はそのご婦人に触れて何が『見えた』のよ?」

「はあ? 導入部分を端折って、もうそれを話すんですか」

「いいから」


 堂前さんが不敵な笑みを浮かべて見つめてくる。心からこの状況を楽しむその顔を見て、奈落の狂人もかくやと思われた。この人は一体なんなのだろう。


 私は大きくため息をついた。

「男の人です」

「え? 聞こえない」

「男の人です! 最初に顔のアップが見えて、次に身体全体をアングル引き気味で。六十代ぐらいの痩せぎす。髭アリ髪汚い、生えぎわ若干後退。服もボロい、何も食べてない感じで頬もゲッソリ、以上!」

「上出来だ。描写力もさっきより断然いい。よく覚えているじゃないか」

 堂前さんは軽く手を叩きながら言った。


 怒りに任せてまくし立ててしまったが、相手の悪口のようにも聞こえて、なんとも言えない複雑な気持ちになる。カズヤさんが作ってくれたクリームソーダが溶けはじめていたので、黙してそれを頂くことにした。甘いものを摂取せねば、この怒りはどうにもおさまらない。


 ボックス席では誰かが怪談を話し終えたらしく、弾けるような笑いが溢れていた。ミケの笑い声が一際甲高かった。


「ねえ、堂前さん」

 しばらくすると何も知らないカズヤさんが、グラスを拭きながらこちらにやってきた。

「ん」

「ママから聞きましたよ。堂前さんってママとキスしたことあるんでしょ?」

「あるね。高校生のとき」


 驚きでストローの中身を吹き出しそうになった。初めて聞くことだった。二人は全く、どういう学生生活を送っていたのだろう。だが爆弾発言をした当の本人は、涼しい顔をしてお酒を飲んでいる。


「どうなるのかと思って試してみたんだけど、なんともなかったね。やっぱり俺はノンケなんだなあと、その時に思ったよ」

「堂前さんが、ママの恋人だったんですか?」

 私は思わず尋ねた。

「ちがうよ。当時は蓮岡にも彼女がいたからね。それで試してみたんだよ。あいつは俺と違って『いける』と思ったらしい。だが残念ながら俺はタイプじゃないみたいなんだな。恋人として好き、とまではならないらしい」

「でもノンケの人は、自分でノンケって言わないんですよー」

 カズヤさんが冷やかし口調で言う。

「そうかい。じゃあ、ひとつ試してみようかな。君で」

 カズヤさんの目の色が変わった。

「騙されちゃだめですよ」と私は間に入る。「今のは完全に感情がこもってない言い方でした。普段からこの人の言動を見てる身として、忠告しておきます。でまかせです。人非人です、気をつけてください」


 語調が強すぎたためか、カズヤさんは口をぽかんと開けていた。

「茜ちゃんが言うと、なんだか説得力あるわね」

「それは良い意味で受け取ってもいいんですよね?」

「茜くんは、固定観念に縛られすぎなんだよ。もうちょっと思考に柔軟性に持たせないと、立派な探偵にはなれないよ」

「ならないです」


 ふたりに怖い顔をして見せると、カズヤさんは笑いながら逃げるように他の客のもとに向かった。

 私は気を取り直して、ふたたび手帳を開く。ちょうど堂前さんがお酒を飲んでいるうちに、やるべきことをちゃっちゃと済ませておきたかった。


「おばあさんは山岡澄子さんと言います。心配だったので山岡さんが帰宅するのをお手伝いしたらご自宅に案内されまして、事情を伺えばここ半年くらい霊障に悩まされてるとのことでした。頭痛、軽い吐き気、肩がずっしり重い。病院で処方箋や湿布をもらっているものの、改善する気配はなく、お医者さんも首を傾げています。金縛りにあうと、私が『見た』その男らしき人に首を絞められていることが三度ばかりあったそうです。一度目は、五月ごろ。二度目はその一か月後。三度目はつい昨日。金縛りに遭った次の日は、体調を取り戻すのに一日かかるが、昨日はどうしても外出しなければならない用があったために、家を出たようです。本人に心当たりは全くありません。私の住んでいる町でも、古くからある高級住宅地の区画で、大きくて立派なお家です。山岡さん曰く、解決してくれるのなら、お金はいくらでも出す、とのこと。どうです、やりますか?」


 堂前さんは最後の一文を聞くと、飲んでいたグラスをコースターに叩きつけた。

 私は身を引いた。カズヤさんとカウンターにいる客も、音にびっくりしてこちらを向く。

「やらない手はないでしょう」と堂前さんは言った。

「あ、了解でーす」

 私はカズヤさんに両手を合わせて謝り、おしぼりで周囲に飛び散った雫を拭きとった。


 次の日の朝、私たちはさっそく駅前に集合することになった。

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