『仁鳥くん家ってさ、チョーお金持ちらしいよ笑』

『お父さんが有名な大学の国文学の教授でー』

『庭付きの豪邸に住んでてー』

『外車が三台あるらしいww』


 ミケから来たラインの先入観を持ちながらグーグルマップを頼りに歩いていると、実物の仁鳥家を素通りしてしまうところだった。ミケから寄せられる情報はやはり、無条件で鵜呑みにしないほうがよさそうだ。


 確かに都心で一軒家を持つことは、収入が良くてもなかなか難しくて大変なことなのだろうと思うが、仁鳥の自宅はお世辞にも豪邸とは言えなかった。カステラを縦に並べたような敷地に、よく似た形の建売住宅がずらりと並んでいるイメージ、といえばいいだろうか。ちょうどその一列のカステラを五等分して、そのなかの一切れを取り上げた部分が、車一台停められるスペース兼お庭というわけだ。家自体は、コンパクトでとてもかわいらしい。


 実際に彼の父親は大学教授らしいが、ミケの友達は大学名を聞いただけで勘違いをして、変に尾ひれをつけてしまったらしい。でもそんなどこにでもありそうな家庭だからこそ、背後に渦巻く闇が引き立つというものである。私は自称心霊調査員として、身を引き締めた。


 インターホンを押したくなかったので、仁鳥にラインを送る。すぐに既読がついて、玄関のドアから仁鳥が顔を出す。「やあ。あれ、水無川さん制服じゃん。家に帰ってないの?」

「うん。学校の近くの喫茶店で時間潰してた」

「なんだ。そしたらもっと早く来たらよかったのに」

「いいよ。時間潰すの好きだから」


 事実、今日は仁鳥と学校で話をしたあとすぐに下校し、ほぼ半日喫茶店で過ごしていた。私には現実逃避の場として、そんなお気に入りの店がいくつかあった。今日利用していた店は学校の近くにある純喫茶で、商店街の人目につきにくい路地裏にあった。階段下には、なぜかとんかつ屋の古びた電飾看板がコードを巻き付けた状態で置かれていて、店の日替わりメニューも、階段の細い柱のスペースに小さなボードが引っ掛けてあるだけだった。客の割合は、ほとんどがこの界隈を良く知る会社員や肉体労働者で占めていた。


 一番会いたくないなと思っていた仁鳥の母親が、玄関にあがるなり居間からぬっと現れ、私の人見知りスイッチが発動した。仁鳥の背後に隠れようとするも、余計に挙動不審に思われたので、ぎこちない挨拶をした。仁鳥が私の紹介をしてやっと、母親は私に笑顔を向けた。母に「彼女?」と聞かれて、息子が「それは違う」と即答するくだりは、正直もういいよと心の中で舌打ちをした。


 一見して穏やかそうなその母親も、実は毒親かもしれない。対面に動揺しながらも、私はそのことを念頭に置くことだけは忘れなかった。


「そこのソファに座って待ってて。妹呼んでくるから」


 仁鳥が部屋を出たのをいいことに、周囲をつぶさに観察させてもらった。どこかに家庭の闇を知る手がかりがないものかと目を光らせる反面、めったに拝めない同世代の男子の部屋に興味津々だった。


 仁鳥の部屋は、私の部屋よりも綺麗に片付いていた。あるべき場所にあるべき物がきちんと収まっている印象を受ける。私の部屋のように、ありうべからざる場所にありうべからざる物を置いたりなんてしないのだろう。


 ロフトベッドの下に黒い合皮のソファがあり、その向かいに木製のテーブルと、壁際に自分で組み立てたような味のある机があった。レトロでかわいいデスクチェアーに、テーブルもヴィンテージ風で、壁紙は自分で貼ったのか、落ち着いた色調のもので統一されている。手作り感溢れる部屋は、どれもこれも整頓されていて、それは普段からいつもそうなのか、来客があるからなのか、私としてはそこが一番知りたいところだった。

 ソファの隣のにる本棚は参考書と漫画本とにきっちり区分けされていて、その上には、キャプテンアメリカのフィギュアが並んでいる。仁鳥らしいといえばらしい。カーテンは薄いブルーで、うっすらと雲の模様が描かれていた。


 机の上に、こげ茶色の兎のぬいぐるみが置いてあった。私に見せるために、事前に用意してくれていたようだ。

「これが、例のやつか」

 ひとりつぶやき、手に触れた瞬間だった。


 パチン!


 火花のような閃光が弾けて、思わず手をひっこめた。一瞬、病室のような映像が脳裏をよぎる。私は床に落ちたぬいぐるみを見た。

——あれ、ぬいぐるいはお祓いしたんじゃなかったっけ?

「どうしたの?」

 ドアを開けた仁鳥が言った。彼の背後には、妹と思しき女の子が顔をのぞかせていた。


「ううん。なんでもない」私は仁鳥の妹に笑顔を向けた。「こんにちは」

 妹は落ちたぬいぐるみに向かって一目散にかけていき、両腕に抱きかかえた。

「落としてごめんね」

 妹は首を振りながらも、ひたすらぬいぐるみを撫でている。

「カエデ。こっち来て座って」仁鳥がクッションを置いた。私はソファに座り、仁鳥はラグマットのうえにそのまま胡坐をかいた。


 カエデはどこか掴みどころのない雰囲気のある子で、感情の起伏があまりなさそうに見えた。二人が並んで座ると、鼻筋や目のあたりがどことなく似ていた。

「ほら、お姉ちゃんにちゃんとお礼を言わないとだめだよ」

「ありがとうございました」


 きちんと正座してお辞儀をするので、こちらも改まってお辞儀をした。「いやいやいや」と仁鳥が私に言う。お互いの挨拶が終わると、カエデは正座を崩した。彼女は半そでの部分にフリルのついたブラウスに、ショートパンツを履いていた。


「ねえカエデちゃん。お祓いしてからはどう?なにも起こってない?」

カエデは「はい」と頷いた。素直に返事をしてくれたので、内心ほっとした。こちらを見るのが恥ずかしいのか、目線をあまり合わせようとしない。

「呪いの儀式の相手は、お父さん?それともお母さん?」私は単刀直入にきいた。

「ママです」


 予想はしていたものの、やはり驚きだった。こんなに大人しそうな子が、自分の大事にしているぬいぐるみに、母への呪詛を込めている姿を想像することは難しかった。言葉を選んでいると、カエデのほうが口を開いた。

「ママが怒ったからです。いつもは怒らないことで怒られたから、魔が差してつい。気がついたらもうこの子の喉にハサミで穴を開けちゃってた」

 カエデは言い訳するようにそう言うと、ぬいぐるみの首に手をやって、ゆっくりと円を描いた。


「なんかスマホでゲームしてたら注意されたらしくて」と仁鳥が弁解するように言う。そんなことでと思うのは簡単だが、実際にどういう経緯の積み重ねで、そこに至るまでになったのかは、やはり当事者でないとわからないことだろう。

「呪いの儀式って言うのは、実際にはどういう風にするの?」

 気を取り直して、私は尋ねた。


「ぬいぐるみの首に穴を開けて、綿を取り出して、紙に呪いたい人の名前を書くと、それを入れて閉じます。三十日間、ぬいぐるみを月の光が当たらないところに置いて、呪いが完了したら土に埋めるんです。でもたぶんちゃんとやってても、あたしは土に埋めてなかったと思う。だってこのぬいぐるみがいなくなるのやだもん」

「その兎、もう一度貸してもらっていい?」

 カエデが差し出すものに、おそるおそる手を触れてみたが、今度は何も起こらなかった。


 ぬいぐるみの毛はどちらかというとチクチクするような肌触りだが、不快なものではない。もともとの素材の香りなのか、古い家屋の埃っぽい匂いがする。プラスチックの黒い目に、耳の中はピンク色の生地が貼り合わせてあった。

「そもそもこのぬいぐるみって、親が買ったものなのか、それ以前のものなのかよく知らないんだよね」仁鳥が言った。


 調べてみたかった首元の一点に触れる。そこだけ丸く溶けて、プラスチックのように硬くなっていた。


「この部分は、何を使って閉じたの?」

「煙草です。パパの部屋にあったのを持ってきて使いました」

「吸ったの?」

「口の中に煙を入れて、すぐに吐き出しただけです。昔、おじいちゃんが、そうすれば肺がきれいなままだって言っていたから。舌が苦くて、すぐに歯を磨きました」

「その、どうして煙草を使おうと思ったの? そうしないといけない理由があったとか」


「呪いの儀式を辞めるときは、火を使って閉じるようにって、ラインの友達に教えてもらったから。儀式にもいろんなやり方があるみたいだけど、一番あたしができそうなやり方しかやりたくなくて。ぬいぐるみに生き物のはらわたを入れたり、背中を裂いて赤い糸で縫ったりとか、そんなのやりたくないし。クラスでも、いろんなやり方が流行っています。みんな知ってるよ。こっくりさんとか、ひとりかくれんぼだとかもみんな面白がってやってます」

「まあ私たちの時だって、こっくりさんや藁人形はあったもんね。でもさすがに、実際にやろうとは思わなかったけど」

「あたしもやるんじゃなかったって思いました」

「そうだね、本当にママに呪いがかかったら大変だもんね」


 カエデは返事せずに下を向いた。言い方がまずかったのかと少し気をもんだが、そうではないようだった。しばらくの沈黙の後、彼女は意を決したように口を開いた。

「それもあるんですけど、あたし、ほんとは儀式なんて全くやってないの。ぬいぐるみに穴を開けて、煙草で閉じることしかやってない。それ以上は恐ろしくてどうしてもできなかったんです」

「え? じゃあ、どうして霊障があったの?」


 私は仁鳥に目をやる。仁鳥も驚き顔で、それは知らないという風に首を振った。カエデは言葉を続けた。


「ぬいぐるみのなかに、実は紙がもう入ってたんです。綿を取り出した時にそれを見て、恐ろしくなってやめちゃったんです。でもその紙を見ても、嫌な感じは全然しなかった。なんだかお守りのような神聖なものに触れたような気がしました。だからあたしは罰が当たっちゃったんだと思います。もともとここに大事にしまってあったのを、何も知らないあたしが平気で開けてしまったんです。怖くなって、そのまま紙を元通りに戻して、煙草で封印したつもりだったんだけど、その夜から金縛りが始まって……」


「どうしてそれをお祓いのときに言わなかったんだよ」

 仁鳥は妹に怖い顔をした。


「言ったら気持ち悪がって、ぬいぐるみを捨てちゃうと思ったから。お祓いが終わったあとも、私どうしても捨てたくなくて。このぬいぐるみは私のお守りだったの」

「儀式をしていないのに、霊障が起こったということは、なんらかの封印をカエデちゃんが解いてしまったということなのかな。それで、紙にはなんて書いてあったの?」


 カエデは突然立ち上がって、部屋を出ていった。私と仁鳥は顔を見合わせる。ふたたび戻って来たときには、彼女はメモ用紙の断片を持っていた。


「これです。意味はよくわからないけれど、書きうつしておきました」

 

 目には見て手には取らえぬ月の内の楓のごとき妹をいかにせむ


「楓とかあたしの名前が書いてあるから、このぬいぐるみはもともとあたしに関係したもので、開けちゃいけないやつだったんだと思って」

「でもこれは和歌だよね。万葉集っぽい」スマホの検索画面を見ながら、私は答えた。「このぬいぐるみ、どこで手に入れたかとか両親に聞いたことない?」

「ないです。小さな頃からそばにあったから、あたしのものだと思ってました」

「仁鳥、お母さんに聞いてきてもらえる?」

「わかった」

 仁鳥は立ち上がって、部屋を出ていった。

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