そうは言っても学校に行くのは緊張するから、週明けはミケと一緒に登校することにした。ミケ、相沢ミケは私のいわば舎弟みたいなものだった。下の名前は本名ではない。本名なんて知らなくてもいい。彼女は自分のことをミケと言う。ミケは三毛猫が好きだから、ミケだった。普段からめがねをかけていて、はた目には地味で大人しそうに見えるのだが、親しくなるとその名の通り、デレデレした猫みたいになる。


「水商売の源氏名だよ、要は」

 ある時、ミケはそう言った。

「バイトしてたの?」

「いくら茜ちゃんでもそれは言えないなあ」

「年齢的に無理でしょ」

「そうでもないんだな、これが。裏ルートがあるの」

「裏ルート?」


 ミケは辺りに誰もいないことを確認すると、私の耳に顔を近づけた。そして両手を添えて、私の耳たぶを咬んだ。

 私は思わず小さな悲鳴を上げた。ミケは声を立てて笑う。

「茜ちゃんって、かわいいねえ」そう言って抱きついて来た。


 ミケが学校でいじめられていることを知ったのは、そのときだった。彼女と強く接触してフラッシュバックしたのは、いじめの首謀者の顔だった。


 ミケはその明るい笑顔の裏側で、心では泣いている子だった。入学してまだ間もない頃だから、まだどんな子かわからなかったということもあるが、当初は私も彼女のグイグイ来る感じには少し辟易していた。クラスの誰とも打ち解けませんオーラを全開にしていた私に、平気で踏み込んできたのは彼女だけだった。


 ミケはすでに先輩の不良グループに目をつけられていた。告白して付き合った二年の男子生徒が、その不良グループとつながりがあったらしい。突飛なことを言う子ではあるし、同性に好かれるタイプではないとはうすうす感じていたが、いじめられているとまでは思わなかった。先輩の彼氏とはすぐに別れたそうだが、不良グループはそれ以降もしつこく彼女につきまとった。


 私はその不良グループの首謀者にある予言をした。アル中でリハビリしているそいつの父親が近いうちに急死するのを、胸倉を掴まれた時に「見えた」だけだった。これ以上相沢をいじめるとお前も殺す、と私は嘘で脅した。


 二日後、首謀者の父親は施設の浴室で死亡しているところを職員に発見された。心臓発作なのか、倒れて頭を強打したのか、それすら知らない。私は不良グループから逃れる際に、足を挫いて自宅でずっと寝込んでいた。だがそれ以来、ミケに対するいじめは止んだ。集団で襲われた時に携帯に撮られた自分の見られたくない写真も消去させた。ミケは私を姉のように慕うようになったが、その一方で、私に対する不正確な噂が学校中に広まるようになった。


「茜ちゃん」と今朝の呼びかけも、ミケは相変わらず元気だった。「あたし茜ちゃんの机毎日磨いてるんだからね。いつでも帰って来れるように。茜ちゃんのこと悪く言うやつにはね、ちゃんとメンメって言ってるよ。メンメ、ダメだよ!って」


 登校時間をずらしているとはいえ、通学電車の比較的混み合った車内における彼女のあけっぴろげさには、さすがに恥ずかしいものがある。

「ああ、そうなんだありがとう。でもいいよ、そこまでしてくれなくても。今日も教室行かないよ。保健室登校です」

「保健室登校でも、こうして茜ちゃんと一緒に行けるから、ミケはうれしいなあ。帰りはファミマでアイスでも買って帰りますか。堂前くんにも買ってってあげよっかなあ」


 ミケは堂前さんのことを堂前くんという。理由は、精神年齢が自分よりも下だから、だそうだ。グダグダと理屈っぽいところが、彼女には中二病男子に見えるらしい。


「こちとら、早く帰るかもしれないよ。ちょっと済ませたい用があるんでね」

「ええ、それは寂しいなあ。用って、ラインで言ってた仁鳥くんのこと? ミケね、仁鳥くんのクラスだと、あみぴとゆうこりんが仲いいから、仁鳥くんがどんな子かあたしが調べといたげる」

「ミケは顔が広いね」

「えへへ。でもそのかわり、あたしとゲイバーに行くんだよ」


 車内の大人が幾人か、こちらを見るのがわかった。


「蓮岡さん、蓮岡おじさんのお店だよね」と私は誰に言い訳するでもなく、疾しいことは何もないことを強調して言った。「ミケちゃん、その話は電車降りてから話そうよ」

「行くの? 行ってくれなきゃ嫌だよ。だってずっと前から約束してたもん」

「行くよ行くから。でもおじさん、忙しいみたいだから、ね」

「おじさんおじさんって言うのやめてよ。いつもそんなこと言わないじゃない。荒太さんはミケにとって天使さまなんだよ?」


 私はあきらめてスマホに熱中するふりをした。ミケは終始私のブラウスの袖を引っ張って「ねえ、ねえ」と呼び掛けて来たが、まもなく電車を降りるまで、知らない変な人に絡まれているていでその場を乗り切ることにした。



 一時間目の休み時間に仁鳥のクラスに向かい彼を呼び出すと、仁鳥は笑顔で応じた。さすがに人目もあるからどこかで話をしようということになって、職員室の前を私は指定した。ここなら二人の関係を変に詮索される心配はない。

 思えばこの前の手紙は、下駄箱で受け取ったのだった。出席日数を稼ぐために久々にみっちり授業を受け、補習のプリントを頂戴し、ミケと一緒にさあ帰ろうとしたところで、仁鳥が待ち構えていた。ミケが「キャー」と私と仁鳥を交互に見たが、仁鳥は真顔で「いえ、違います」と即答した。


 私たちの高校の職員室は、二階の中央の奥にあった。階段を上がってすぐの廊下の角で、私たちは立ち止まる。すぐ先に見える職員室の扉からは、生徒がひっきりなしに出入りしていた。


「水無川さん、どうもありがとう。あれからすぐに小林さんから電話があってさ。こんなに早く返事が来ると思わなかったから、びっくりしたよ。まさか妹がそんな儀式をしていたなんて。妹もこっちから切り出すと観念してさ、素直に僕の言う通りお祓いに行ったよ。おかげで、夜中にうなされることもなくなって、眠れるようになったらしい。妹もお礼を言っていたよ」


 堂前さんが先回りしていることは想定済みだった。性格は悪いが、相手の困っている原因を突き止めておきながら、そのままにしておくほど冷たい人ではない。


 こうして仁鳥と対面し、いざ話をするとなると、言葉が出て来なくなりそうだった。意気揚々と学校に来てみたものの、やはり話し慣れない人間と会話をするのは、毎回身の竦む思いがする。私は相手に悟られぬよう、息を大きく吸い込んだ。


「堂前さんは、お祓い以外に何か言ってなかった?」

「お祓い以外? ああ、依頼料は要らないって言ってたな。ほんとに助かったよ」

「儀式のことについては?」

「なんか自分の一番大切なぬいぐるみを使って、呪いをかけるんだろ? 妹に問い詰めたら、突発的にやってしまったみたいだし、まあしょうがないかなと思ったよ。とりあえず言われた通りにぬいぐるみも一緒にお祓いしておいた。妹はぬいぐるみが捨てられるのかと思ってびくびくしてたみたいだけど、神主さんに大丈夫だと言われて安心してたよ。あいつはもともとあまり自分で意思表示する奴じゃなくってさ。幼い頃も、父の古くなった電気カミソリを壊したことがあって、それを言うのが怖くて、一年近くも黙って隠し持っていたんだぜ。おかしいだろ? 父親もそんなのとっくに忘れていたのに。今回のことだって直接言ってくれれば最初から力になれたんだ。呪いのこともSNSの友達に教えてもらったらしい」

「実はそのことについて、もう少し詳しく話をききたいなと思って、今日は来たの。ほら、電話だとなかなか伝わりにくいから」

「詳しく? 詳しくって?」

「家庭のこととか。……無理?」

 仁鳥は二時間目の準備に駆け足で教室に戻る生徒たちを目で追いながら、言った。

「それはどこかでじっくり話をするっていうこと?」

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