「そもそもさ」開口一番、堂前さんは言った。「なんで心霊調査やってること知ってんの? ホームページにも載せてないのに。うちは探偵事務所だよ」

「学校ではもうバレてますよ。わたしが変な力使えること知ってますからね」

「知ってるっつっても学校で使ってないでしょ。あのいじめ騒動以来」

「ええ。使ってもないし、そぶりにも見せてません。聞かれても否定します。でも、怖いですからね、噂というものは。本人たちが信じていないものでさえ、広まりますから」

「あさましいね」


 堂前さんはそう言うと、テーブルのコーヒーカップを手にした。「あ、やっぱゴールドブレンドのほうがおいしいね」と言いながら、インスタントコーヒーをすすっている。私の家のお中元で頂いたコーヒーギフトを、かっぱらって来たのである。堂前さんはいつもネスカフェの大きな瓶のコーヒーばかりを飲んでいた。今のような真夏だと、ホットコーヒーに氷を入れて飲んでいる。


 私は向かいのソファに座って、その様子を見ていた。変わり者であるには違いないが、見た目はただの中年に差しかかったおっさんだ。ユニクロに売っていそうな、特徴のない白いカッターシャツとグレイのスラックスという姿は、さっぱりとしていて小綺麗には見える。少し髭を生やして髪を無造作にすれば、世俗に疲れた大学教授だと言っても通用するだろう。はたまた、少し型破りで胡散臭い弁護士か。


 私が仁鳥の手紙を渡す前の堂前さんは、ソファに横になって、本棚の書籍をのんびり読みふけっていた。いつもはデスクでノートパソコンをパタパタ言わせていることが多いのに、今日は生活の心配もどこ吹く風、まるで他人事のように平気で暮らしている。どうせ予定していた案件がポシャったか何かしたのだろう。事務所の本棚には、古書のプラトンの箱入り上製本やユングの著書、岩波文庫の源氏物語や鈴木大拙や西田幾多郎など、古いものばかりが大きさも関係なく雑多に並んでいた。


 テーブル横のキャビネットに載せた首の短い扇風機が、のんびり首を振っている。一昔前の型の古いエアコンは動かしていなかった。故障しているわけではなくて、夏でもこのテナントビルは十分涼しかった。


「いい子じゃないか」堂前さんはそう言って、私に手紙を返す。「やっぱり君は学校に行ったほうがいいんじゃないのか?」

「あ、断ります?」堂前さんの問いかけを無視して、私は聞き返した。やはり心霊案件はお金持ちからしか引き受けないことが多いので、ダメだろうと思っていた。うちみたいな弱小事務所は、小さい案件を引き受けるには儲けのわりに手間もコストもかかりすぎる。


 が、堂前さんはきょとんとした顔をしていた。

「なんで?」

 あ、来たなと思った。会話が噛み合わないパターン。


「なんでって、断るんじゃないんですか?」

「べつに受けてもいいけどね」


 私にはわからなかった。ではなぜ、手紙をこちらに返したのだろう。


「え、じゃあ電話しないんですか?こんなの実際に会ってみないとわからないんじゃないですか。ぬいぐるみだって写真もないのに」

「わかるよ、こんなの。全部書いてあるじゃん」


 今度は私がびっくりする番だった。目の前にある番茶にゆっくり手をのばして飲む。落ち着いて、ソファの背もたれに身体を沈めると、私はふんぞり返って尋ねた。

「なにがわかるの?」


 敬語を忘れてしまうのはよくあることだが、そのうえ挑発的な態度までとってしまう。自分だけがわかっていないから悔しかった。


「茜くんは作家を目指してるんだろ? 考えて見なよ」

 グラスで濡れた手をジーパンで拭き、手紙をもう一度読み返した。一回目に読んだときと、印象はあまり変わらなかった。私はおそるおそる口を開く。


「ぬいぐるみにある煙草の跡ってのがちょっと気になりますね。焼印を使ったまじないなのでは?」

「え、そうなの?」

「いやいや、知りませんよ。そうなんですか?」

「よくわかんない」


 思わず頭を掻きむしりそうになった。この人と話していると、毎回イライラさせられる。冷静になれ、と自分に言い聞かせる。私はワトソンなのだ。冷静になって、今ある出来事を客観的視点で見つめなければならない。


 堂前さんは構わず言葉を続けた。

「まず、『あいつが憎い』と言っている時点で、ぬいぐるみは呪われていないと考えるほうが自然ではないだろうか。むしろそのぬいぐるみは、によって忌まれたものなのだろう」

「呪われしもの? 呪われしものってなんですか?」

 堂前さんはため息をついた。「君はあの手紙の何を読んでいたんだ? 霊障を受けて苦しんでいるのは一体誰なんだよ」

「あ、妹だ」

「そう。お祓いをしないといけないのは、妹さんだよ」


 堂前さんはコーヒーを飲み干すと、勝ち誇った顔をこちらに向けた。すでに負けている人間に対して、さらに追い打ちをかけようとするところが、本当に性格が悪い。


「ではなぜ、妹さんが呪われてしまったのか。妹さんは一体なにをしたのか。そこで出てくるのが……」

「お兄さんですか?」

「違うよ。ぬいぐるみの焼き印だよ」


 堂前さんは話にならないという風に首を振ると、コーヒーカップを持って立ち上がり、洗い場に消えた。簾の向こうに、堂前さんの姿がちらちら見える。しばらくすると、カップを手に再び戻って来た。カップには番茶が入っていた。私もグラスのお茶を飲む。


「おそらく妹さんは、このぬいぐるみを使って呪いの儀式を行ったんだろう。中に腐ったものや呪いたい人の名前を書いた紙を入れて土に埋めたり、人目につかない所に置いて効果があるまで待つとか、そういうのよくあるだろ? 呪いの儀式は、一番自分が大切にしている人形でないと効果を発揮しない。だから自分のお気に入りの兎のぬいぐるみを使って、それを行ったんだ。だが、何らかのことがあって、その儀式を途中で放棄せざるをえなくなった」


「何らかのこと? 何らかのことってなんですか?」

「さあ、そこまでは手紙だけじゃわからない。怖くなって気持ちが変わったのか、誰かに教えてしまったのか。確かなのは、その呪いが妹さん自身の身に降りかかってきたということだ。たばこの跡はまじないではなくて、儀式を行った後の処理の痕跡だよ」


 堂前さんはそこでゆっくりカップを持ち上げたが、間髪入れずに私は問いかけた。


「だったらその処理は、別にたばこの跡じゃなくてもよくないですか。糸で縫ったりとか」

「火を使うってのは呪いを解くうえで古来から重要なものだ。火焚きは浄化作用もあるし、逆に物忌みの火は穢れがあるとされていたりするから、なにかそういうことに関連しているのだろう。もしくは、妹さんが知った呪いの情報には、焼いて塞ぐよう書いてあったのか。まあ、いずれにしても——」

「解けていなかったんですね、呪いが」

「そう。解けていなかったんだ。中に入れたものを取り出して、開けた箇所をたばこで塞いでも、それでもダメだった」

「呪い返しというやつですか」


 私はもはや二人掛けソファーの上に、胡坐をかいて聞いていた。悠然とお茶を飲む堂前さんを眺めながら、まだ半信半疑だった。


「ほんとかなあ」


 堂前さんは、私の言葉には頓着せずに立ち上がった。


「はい、これで心霊調査ごっこはおしまい。仁鳥くんにはこっちのお金はいらないから、それで妹さんをお祓いに連れて行ってあげるように連絡しておいてくれ。念のために、ぬいぐるみも一緒に除霊してもらうといい」

「ちょっと待ってください。なんか変なんですよね。おかしい気がする」

「なにが?もういいじゃないか。あとは些末なことばかりだよ」


 私はテーブルの上を這う小さな蜘蛛を見ながら、腕を組んで考えた。人差し指を近づけると、蜘蛛は一瞬身を硬くしたが、ぴょいと私の指先に飛び乗った。


「おお」と堂前さんが楽しそうに言う。

「妹さんは、どうして親に言わないでって言ったんですかね」

 指先の蜘蛛を眺めながら、私は言った。


「どうしてって。そりゃ、どうしても知られたくなかったんだろう。呪いの儀式をやってること自体、誰にも言わないものだからね。だから兄にも相談しなかったんだろ?」

「たとえそうだとしても、子供が苦しんでいる時に、最終的に援助を頼むのってやっぱり親じゃないですか。そこまで自分が追い詰められても、言わないものなんですかね。自分なら言ってしまいますよ。もし言えない理由があるとしたら、そんなの……、え、……あっ‼」蜘蛛が驚いて、どこかに飛んだ。「まさか、呪いの相手って」

「茜くん。わかったら、この話はもうこれで終わりにしよう。俺らの仕事は、ただでさえカツカツでやってるんだから、心霊調査ごっこくらいがちょうどいい。そのうえ、児童相談所みたいなことまでやるつもりはないよ。本業のほうの依頼もいつ来るかわからないんだ」

「わたし学校行きます。行っていいですか?」

「行っていいもなにも、それは君の自由だろ? だが、行ってどうするつもりなんだ。変なことに首を突っ込むんじゃないだろうな」

「突っ込みません。真相を知りたいだけです。それに、堂前さんの推理が百パー合ってるとも限りませんからね。それを確かめる目的もあります」

「あれだけ学校行くのが嫌だって言ってたのに、こういうことになるとすぐに飛びつくんだな」

「それが取り柄だと言ってくれてもいいんですよ? 陰キャのコミュ障の不登校児が、唯一積極的になれる瞬間。どうです、なかなか使える助手ではないですか?」

「どうだか。言っておくが、君を助手に雇った覚えはないよ。勝手に転がり込んできただけなんだからな。あくまで君は雑用だ」


 そう言いながらも堂前さんは自分のカップだけでなく、私のからのグラスまで持って行き、一緒に洗おうとする。堂前さんはあまり人に頼るということをしない。私も独りが好きだから、その気持ちはとてもよくわかった。


「堂前さんは、あげたことあるんですか」

 簾の奥に向かって、私は尋ねた。

「なにを」

「手紙。好きな人とかに」

「ない。あんなもんはほら、いくらでもうまく取り繕えるものだから」

 やはりこの人は、何を考えているかわからない。

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