第24話 雀星八天陣
額を抑えてなんとか立ち上がろうとしたが、頭がくらくらして目がかすむ。
立ち上がったとたん、足がふらついてまた後ろに倒れてしまった。
遠くから屋根を伝って飛んでくる二人がみえる。
(やばい。早く逃げないと)
そう思ったが体がいうことを聞かない。脳しんとうでも起こしたのか、うまく体に力が入らない。
ふらふらしていたら足が滑ってしまい、木の葉のように軒下に転がり落ちた。
なんとか目は開くものの、地べたでさえ三重四重となって揺れ動いて見える。
「こりゃ驚いた。あれをまともに食らって生きているとはな」
揺れる地面に四つの足が見えた。ひとつは草履、ひとつは
草履の上から顔が覗きこむ。男らしい顔立ちの
いっとき間を置いて、ぼっと顔を赤らめた。
全身の血がすべて顔に溜まったようである。鼻の穴からぽたぽたと血が垂れて、拭いもせずにいる。
隣にいた巴がそれを見て細い目を丸くした。丸くはなっていないけど、おそらく限界までは開ききったのではないだろうか。
「兼嗣。あなたぁ、何を考え……」
「巴。おれはこれほど美しい者を初めて見た……」
耳鳴りがしていた。遠くなったり近くなったり甲高い音が鼓膜を揺らしている。
しゃべることさえできずに、白夜は小さく聞こえる会話を耳にしていた。
「おまえ。名はなんという」
唇が小さく動いただけでやはり声にはならない。
「なに?」
兼嗣が唇に耳を寄せる。
「くそ……や、ろう」
腹から声を絞り出して、よくやく伝えることができた。
巴は「まあぁ! お下品!」と顔をゆがめていたけれど、肝心の兼嗣といえば、「はっはっはっ!」と笑いだし、
「おまえ、おれの嫁になれ!」
キンキンと鳴る耳に突き刺さる大声で、そう豪語した。
「冗談は顔だけにするのだな」
「まったくです。よくもうちの子をこんな目に遭わせてくれましたね」
屋根の上から不機嫌そうな声が降る。ぼんやりと霞む視界にとらえたのは、黒い羽と大きくうねる銀色の尾。
とたんに兼嗣と巴の顔色が変わった。
その場から大きく飛び跳ねて間合いを取る。その距離は白夜の時の数倍にも及ぶ。
彼らは知っていたからだ、この二人の恐ろしさを。
「おいおい。冗談だろ。黒羽山の総大将、黒天狗と九尾の玉藻のお出ましかよ」
兼嗣の額にひやりとした汗が浮かんだ。
「なぜ、この二人がここにいるのかしらぁ? あなたぁ、いまあの鬼をうちの子とか言いませんでしたかぁ?」
兼嗣も巴も鋭い眼光を二人に向けて一挙一動を見逃すまいとしていた。
「我らはそこにいる鬼を迎えに参ったまでのこと。あなた方に危害を及ぼすつもりはありません。命が惜しければ引くがよい」
狐の面をした玉藻が金色の目を巴に向けた。縦に伸びた瞳孔はいまにも攻撃をしかけてきそうなほど燃えている。気圧されて、巴はじりっと後ずさった。
「危害を及ぼすつもりはねえだと? 笑わせんな。おまえらの存在自体が大厄なんだよ。せっかくそっちから出向いてくれたんだ。こいつは好機だぜ、巴!」
唇を挑むようにつり上げて、兼嗣が印を切る。
「愚かな。やる気か」
黒天狗が兼嗣をぎろりとねめつける。同時に巴もまた胸の前で印を切った。現れたのは何十、何百という札である。
「
術が完成すると巴の前に重なっていた札が一斉に動きだした。一枚ずつ宙に固定しながら左右に開いていき、黒天狗と玉藻を円状に囲いこむ。すべてが在るべき位置に固定されると、円陣の中に七星の模様が金色に浮かびあがった。
「
続けざまに兼嗣の術が完成する。放たれた札から八羽の赤い鳥が飛びだした。一羽の大きさは白鳥ほどであろうか。しかし目も羽も長い尾も、すべてが炎に包まれている。それは巴が完成させた円陣の外側を旋回し、一定の距離を開けて位置を定めた。
低い兼嗣の声と巴の高い声が重なる。
「
兼嗣の放った朱雀と巴の放った金色の陣が結びつき、二つの陣の間に赤とも金とも見える炎の陣が完成する。円陣の中に描かれた金色に輝く七星の模様も炎を纏って激しく燃えさかった。
めらめらと燃える巨大な陣が都の空に浮かび上がる。
あやかしを捕縛、消滅を目的とした、兼嗣と巴の合わせ技である。
この陣はあやかしの妖力を弱体化し、拘束する効力をもつ。
さきほどの土蜘蛛であれば、巴の張った陣で塵と化していただろうが。
「顔色ひとつ変えないとはね」
兼嗣は皮肉まじりに呆れてみせた。
実際は面をかぶっているので表情など読めない。
二人の陣を重ねて効力を増幅させているのに、見た目に変化が起きないばかりか、黒天狗の口元には薄らと笑みが浮かんでいた。
「二重の陣か。よく我らの力を理解しておるようだな」
黒天狗のすぐ目の前には七星の模様を繋ぐ炎の道がめらめらと燃えている。
炎が風をあおり、漆黒の髪が波打った。
「たった一つでは失礼にあたりますから。この判断は正しいでしょう」
玉藻の横にもまた炎を纏った金色の道筋がある。
陣の中には無数に輝く金と赤の筋が乱雑に飛び交っている。そこらのあやかしであれば触れたとたんに炭となってしまうだろう。
玉藻は眉をひそめ、ひょいっと尾を引っ込める。
「正しいか?」
「一つでしたら、即座に首をはねておりました。礼儀というものは大事です」
「そうさな。では我らも相応の礼で返さねばならぬだろう」
「当然です」
「久しぶりに楽しめそうだ」
黒天狗は嗤う。横に引いた唇から白い八重歯をちらりとのぞかせて。
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