第21話 はぐれあやかし
白夜は鼻がきく。それを自覚したのはだいぶ昔のことだ。
幼いころから鬼の棲まう山で命がけの暮らしを送っていたせいか、敏感になってしまったのかもしれない。
それに黒姫が言うのだ。あちらにいるよ、と。
言葉ではなく感情の伝達で、魂にささやく。
それが相乗効果となって察知できるのだ。都くらいの範囲ならば迷うことはない。
「白夜。まあた、お館様に怒られるよう」
「帰った方がいいんじゃない?」
「玉藻様も怒るよう」
白夜のまわりを走る三匹の妖狐が口々に鳴く。
辻参りに行く度に白夜が列を抜け出すことはいつものこと。それにくっついて行くのもいつものこと。白夜が飛んだのと同時に妖狐たちも動いていたのである。
「おまえ達はお帰り。玉藻が心配する」
白夜がまた屋根を蹴って宙を飛ぶ。続いて妖狐たちも屋根を蹴った。
「玉藻様が心配しているのは白夜だよう。置いて帰ったら、ぼくたちが怒られちゃうよう」
「まぁた、拳骨が落ちるよう」
「大丈夫。すぐに連れて帰るし。――あそこだ」
白夜は少し先にある家を見据え、屋根から下りて地を走り出した。目当ての家の前で足を止める。戸は閉ざされていたが、耳を澄ませば中から何やら音がする。
会話ではない。人たる動作の音でもない。濡れた水音を含む妙に心をざわつかせる不快な音だった。
戸口に手をかけ、ゆっくりと開く。
つんと血の匂いが鼻をつく。暗い家屋の中に数体の骸が転がっていた。
その一角からばりぼりと音がする。
目を凝らしてみると赤子ほどの大きさをした蜘蛛が口を裂いて死体に牙を立てていた。
頭に短いツノが二本、体には赤い斑点がある。
「土蜘蛛か」
「あれは白夜を襲ってくるよう」
「仕方ないだろ。なんとか捕まえよう」
「でも、もう人間食べちゃってるよう」
「人間を食べたあやかしは強くて怖いんだよう」
「ここに置いてたらまた犠牲者が出る。これ以上殺させないようにしなくちゃ」
たとえ山に連れて行っても土蜘蛛の性質は変わらない。再び邂逅したその時は迷わず刃を向けるだろう。
だけど都で生まれ落ちたあやかしに白夜は同情せざるを得なかった。
姿形は違えど己がそうであったから。
ここで生まれ落ちるあやかしは人の怨念から生まれるのだ。
そう、お館様に教わった。
人が生み出す哀しみが、嘆きが、恨みが。彼らを生み出す。
大きく募ったそれらは一つの怨霊となって、そばにあるものに宿るのだそうだ。
ならば白夜がそうであったように、一度は山に連れていこう。
そう決めていた。
土蜘蛛が白夜に気づいて血肉を牙に引っかけたまま振り向く。
――人間だ。
土蜘蛛が口を開いて飛びだした。
「行くよ」
白夜も飛ぶ。妖狐たちも同時に動いた。
たんっと壁を蹴って膝を溜め、部屋の真ん中に浮遊した土蜘蛛の横腹目がけて飛び出す。
剛毛がびっしりと生えた腹に手が触れるというところで、白夜の目の前を光るものが横切った。慌てて手を引っ込め、土蜘蛛の腹を蹴る。後方に数度回転して床に着地すると、また光るものが目の前を横切った。
「糸……?」
暗くてよく見てとれないが、角度によって光るそれは蜘蛛の糸であった。
「白夜!」
妖狐が叫ぶ。ハッとして天井を見上げると妖狐が一匹、蜘蛛糸に絡まってぶら下がっていた。
「これ、べたべたしてるよう」
嫌そうに身をくねらせて必死にもがいている。その背後から、また別の土蜘蛛が牙を剥いているのが見えた。
「黒姫!」
白夜の背後から幾重にも黒い筋が伸びた。刃のように細く鞭のようにしなる。
その一本が妖狐に絡む糸を切り落とす。
くるくると回転しながら着地した妖狐は、あちこちに伸びる蜘蛛の糸を避けながら白夜のもとに戻ってきた。
「見てえ。いっぱい、いるう」
足にすりつく妖狐をなでて、白夜は天井を見上げる。
よくよく見れば、土蜘蛛は全部で十体いた。
妖狐の体は土蜘蛛の倍はあるのに、それをたった一本の糸でぶら下げるなんて。
思い起こせば、白夜もあれにとらわれて何度もぶら下がったものだ。
少し強くなってからは苦戦しなくなったけど、ここは山とは違って狭い家屋。
十匹もいたら、あっという間に蜘蛛の巣を張られてしまう。
「ぼくが糸を切るから、おまえ達が捕まえて。いいね」
「わかったあ」三匹の声が重なる。
だけどこちらは三匹。手が足りない。妖狐たちはするりと変化を遂げた。
見た目でいえば十ほどの
そろって白い水干を纏い、目尻には桜の花弁に似た赤い模様が入っている。
人型になっても尾は隠れていない。一人前になれば、きちんと尾も隠すことができるそうだけど。
じゃあ玉藻も半人前なんだねって言ったら目をつり上げて、わざと出してるんだって怒られた。
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