第16話 黒天狗のぼやき
「あいつめ。せっかく教えてやったというのに、馬鹿だのクソだのと罵りよって」
天空から黒姫が餓鬼を倒した様子を眺める黒天狗は、言葉とは裏腹に満足そうに唇をつりあげた。
玉藻は袖口で口元を隠して笑いを押し殺す。
「本当に誰かとそっくり」
「誰のことだ」
「さあて。でもよかったではありませんか。ずっと力の使い方が下手だと嘆いていらっしゃいましたものね」
白夜が屋敷に向かって走っていく。その顔は明るい。
やっとできた! そんな声がかすかに耳に届く。
その顔は自信に溢れ、褒めて貰いたくてうずうずしているように見えた。
玉藻は微笑みを浮かべて眺めていたが、黒天狗の眉間にはしわが寄る。
「防御は自分で身につけたのだ。攻撃もすぐできるようになるだろうと思って黙って見ておれば。馬鹿の一つ覚えで一向に身につかん。天性の武があるのだろうと期待したのが間違いだったな」
「そうでしょうか。わたしたち、あやかしとは生い立ちが違うのです。コツをつかめば化けるかもしれませんよ」
「ふん。これで護衛からは解放だ。酒でも呑むぞ、玉藻」
「勝手にしていたくせに」
ぼそっとつぶやくと、黒天狗が睨みをきかせて玉藻を見た。
「何か言ったか」
毎朝毎朝、白夜の後を追っては桃を食べる様子を眺め、その帰りにたまたま見かけた餓鬼が鬱陶しくて殺してきたなどと話すくせに、あいつはいつになったら攻撃を覚えるのだ! と癇癪を起こしてやけ酒にはしる。
なんだかんだ言って心配だったのだろう。
あやかしに人間と同じような食事は必要ないのに、届けられる桃は毎度綺麗に平らげているし。
あれは恐らく、「今日もよく頑張った」という労いの表れなのだと玉藻は見ている。
けれどお館様が桃を手にする前に白夜がいなくなるので、まったく伝わっていない。
本当に不器用な方である。
玉藻はこっそりと吐息をもらす。
「いいえ、何も。ささ、帰りましょう。あの機嫌のよさも襖の前までですから。また白夜が怒り心頭でやってくる前に、今日はお祝いに料理を作ってあげないと」
意気揚々と声を弾ませた玉藻に、羽ばたかせた翼をとめて黒天狗が振り返った。
その瞳には憐憫の色が滲んでいる。ついでに哀愁すら漂っていた。
なぜこのような顔をするのか玉藻には見当もつかない。
「おい、おまえ。本気で祝うつもりがあるなら、飯と汁に桃を入れるのはやめておけ」
「おや。なぜですか? あの子の好物ではないですか」
「あれは人が食うものではない」
ぴしりと言い放って、黒天狗は逃げるようにその場を後にした。
残された玉藻は表情を固め、かっと目を見開く。
「失礼な!」
その後、また肩で息をしながら襖を開いた白夜に出されたのは、油揚げの入った味噌汁とご飯であった。玉藻の好物だったのだが、白夜は油揚げも好物だったらしい。ご飯も味噌汁も何杯もおかわりして、腹一杯で帰って行った。
その後の戦いは一段とらくになったようである。防御もできるし攻撃もできる。一度攻撃の仕方を覚えた白夜は、まるで水を得た魚であった。
餓鬼は白夜が数度全滅させたら姿を現さなくなったし、お館様も早起きすることはなくなった。
ただし……
「ふんぬうううっ! また重くなってる!」
お館様の部屋に続く襖の前で今日もまた白夜が奮闘している。
その裏では、玉藻が襖に妖術を施した葉を飛ばし、貼りつけていた。
白夜がらくに襖を開けれるようになると一枚葉を増やす。またらくに開けれるようになると、また一枚。
これは玉藻が襖の前に立たなくなってからずっと続けていることである。
「お館様。ご存知だとは思いますが、これ一枚で米俵一つ分はあるのですよ。もう五枚目です。まだ続けるのですか?」
「ふん。たかが五枚であろうが。あの襖が葉で埋まるまで続けるぞ」
「あの襖が埋まるまで、ですか……」
いったいどのような怪力に仕上げるつもりなのか。
襖の奥で奮闘する白夜に、玉藻はひっそりと同情するのであった。
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