第17話 お館様の褒美

 そうして桃を取っては腹を満たし、襖に挑んでは御館様に届けることを繰り返す。

 襖をらくに開けれるようになると、そのたびに御館様は褒美をくれた。

 ある時は新しい下駄をくれて、またある時は新しい衣をくれた。綺麗な薄青色の水干だった。その次は桃色の被衣かつぎをくれた。 

 おろしたての衣を着るのは初めてだったし、とても嬉しかったけど、その時ばかりはさすがに頬が餅のように膨らんだ。

「なんだその顔は」

「だって桃色って。これじゃ女の子みたいです」

「おまえは女子おなごのような顔をしているから、ちょうどよかろう」

「そんな顔してない!」

「鏡を見てから言え。馬鹿者」

 という流れで、致し方なくその被衣も着用している。

 その後は風呂に入れと言われたりした。

 このお屋敷のどこかに風呂があるのかと思いきや。

 またしても天狗につかまえられて空から落とされた場所は大きな湖で。

 そこで水浴びをした後は寝床まで歩いて帰らなければならなかった。

 寝床は山頂を挟んだ反対側にある。最初、あまりに遠くて帰るのに五日もかかった。

 おかげで、あの桃の他にも果実や木の実がなっている場所を発見できたけど、寝る間もあやかしが襲ってくるのではと気が気じゃない。

 そこら辺の木に寄りかかって寝ることもあったし、なんなら疲れ果てて獣道の上で大の字になって寝たこともある。

 できれば獣に食われて死ぬようなことは避けたかったけど、五日も寝ないで山を越えるなんて無理な話だ。

 そんな時は夢の中にお館様がでてきて、「こんな場所で寝るな、馬鹿者が!」と目をつりあげていた。あまりに現実味のある声だったので、何度か驚いて飛び起きたこともある。

 幸運なことに寝ている間に獣やあやかしに襲われることはなかったけど、目が覚めてしまえば、よく分からないあやかしから何度も襲撃されて、けっきょく帰るころには顔も衣も汚くなる。

 それに懲りてもう水浴びなんかしなくていいと断ったら、また頭に拳骨を食らって「半日で戻って来たらやめてやる」と言われ、また湖に落とされた。

「絶対いじめだ……」

 湖畔の真ん中でぷかぷかと浮かぶ白夜は込み上げる怒りを滲ませてつぶやいた。

 頭上では、いまにも落ちてきそうな大きな月が見下ろしている。

 あれからどれほどの年月が経ち、いったい何度落とされたのか。もう数えるのも億劫だ。

 寝床に帰るまでどれだけ苦労すると思ってるんだ。

 お館様のような羽があれば飛んで帰れるのに。できないとわかっていて褒美と称し、こんな場所に運んでくるなんて。

 そう思ったら、また怒りが込み上げた。

「お館様の馬鹿野郎――っ!」

 白夜の怒声が湖畔に響き渡った。

 そんな毎日を送っていたおかげか、以前に比べてだいぶ体力もついたし黒姫だって強くなった。

 いまでは飢餓草原の餓鬼なんて相手にならない。むしろ白夜を見れば逃げていくまでになった。

 先刻もまた湖に落とされて山を登ってきたのだが、びしょ濡れの衣で夜の参道を駆ける白夜は野生の虎よりも速い。水を吸って重くなった衣は風を切って走れば、いくらもしないうちに乾く。

 闇の堕ちた木々の合間を白夜と並行して走る複数の影がある。その数、軽く二十以上。

 白夜はすっと目を細め、小さく唇を動かした。

「黒姫」

 白夜の背後から黒い影が幾重にも伸びる。一本一本が帯のように細く長い。それが縦横無尽に木々を縫って影に襲いかかる。

 ぎゃっ

 あちこちから小さな悲鳴が聞こえた。

 しかし、すれすれで黒姫の攻撃を躱し、白夜の前に飛びだしてきたものもいる。

 大きさは大人の胴体ほどで体はぬめり気のある青。額には捻れたツノが二本生えており、顔は般若そのもの。手足は蟹のようで、先端には六つの鋭い鉤爪がついていた。

 湖畔近くに棲まう鬼、牛鬼である。

 幼いころは、こいつらによく殺されかけた。

 だが、いまは。

 白夜は駆ける足を止めず、真っ直ぐに右手を伸ばす。広げた手のひらに出現したのは漆黒の剣。これもまた黒姫である。

 迫り狂う牛鬼を目前にとらえ、白夜はさらに加速した。右手から一匹、左手から二匹、前に一匹。それらがほぼ同時に牙を剥く。白夜は地を蹴った。

 青く輝く上弦の月を背にして遙か眼下に牛鬼たちをとらえる。

 山をなでる風が白夜を煽り、長く艶やかな茶色の髪と淡い桃色の被衣がふわりと舞う。被衣が風で飛んでいきそうになったので「おっと」と薄桃色の唇で軽く咥えた。

 美しい水色の水干をはためかせ、ほんのひととき、ふわりと上空に浮いた白夜は、そのまま一直線に下降する。

 牛鬼たちは戸惑っていた。

 なにせあまりにも速くて、白夜が飛んだのが見えなかったのだ。

 天から下降した白夜が頭上に迫ったことを悟ったのは、びゅうびゅうと鳴る風切り音を耳にしたから。

 間抜けな顔をして上を見上げれば、一匹目の首がすぱっと切れた。

 その後は誰がどの順に切られたのかもわからなかった。

 ただし、まばたきをする間にすべてが終わったのは間違いない。

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