第11話 天からの助け

 

「ほう」

 その遙か上空にて、黒天狗は面白そうに目を細める。

 背中には白夜が見た時にはなかった黒い翼が生えており、ゆったりとした動きで彼をその場に留めていた。

 手にした羽団扇をさらりと扇いで高見の見物を決めこんでいるのである。

 ここ数百年、半妖は現れていない。物珍しさに興味をひかれたのもあったが、どうにもあの童が気になって見に来てみれば。

「餓鬼なんぞに、あそこまでしてやられるとは。だから来なければよかったのだ」

 眉間にしわを寄せて、ぶつぶつとごちる。

 なんとか攻撃を防ぐことには成功したようだが、餓鬼どもは躍起になって攻撃をし続けている。あれでは埒があかない。

 黒天狗は忌々しげに舌を打ち、

「くそ餓鬼どもめ、ね」

 羽団扇を横一線に凪いだ。

 その動きたるや、人の目では到底とらえることのできぬ速さである。まばたきをする間に羽団扇は胸の位置に戻っていたし、顔色ひとつ変わっていなかった。

 しかし行動は結果を生む。

 どこまでも続く宙に風の切れ目ができた。

 それは目に見えぬ刃のようである。よくよく目を凝らせば、弓なりになった風が一纏まりになって圧縮されているのが分かるかもしれない。

 手前にあった分厚い雲を真っ二つに切断し、その奥の、またその奥の雲を切って、宙に一筋の切れ間を作る。

 あっという間に雲の領域を抜けた風の刃は地を滑る。背の高い草花を綺麗に切断して撒き散らし、そこら一帯の色合いを変えながら速さを緩めることなく突き進む。むしろ、放たれた時より一段と速さは増しているようである。

 ぐんぐんと進んで、ついに餓鬼の背後に迫った。

 ぎゃっ

 餓鬼たちが残した声はそれが最後だった。

 風の刃は餓鬼どもを一匹残らず腹から真っ二つにした。あまりに綺麗に遮断したため、しばらく胴体は繋がったままであった。間もなくして胴と足がずるりと崩れ落ちる。刃は、ひゅるっと風の中に紛れて消えていった。



 お屋敷の門には二匹の天狗が並んで立っていた。

 牛車を牽いていた天狗とよく似ているけど、二匹とも同じ顔なのでよくわからない。

 なんとかここまで辿り着いたのは良かったけど、もうしゃべることすらままならい。

 狐たちの寝床に一つずつ置いて数を減らした桃はあと数個。それを後生大事に抱えて門の前でドサリと腰を下ろした。

 全身についた傷は絶え間なく痛みを与え続け、じわじわと体力を奪う。

 一度ついた腰をあげるのは一苦労しそうだった。

 あの後、どういうわけか黒煙が防御を解いたと思えば、目の前に鬼の死体が無数に転がっていて、真っ青になった白夜は悲鳴をあげながら逃げてきたのである。

 ここに来るまでの上り坂は、そんな白夜にとどめを与えてくれた。

 体力が回復するまで少しここで休ませてもらおう。

 そう思っていたら、

「キイッ」

 突然天狗が鳴いた。

 お屋敷の方を見上げ、ひとつ頷いて白夜に向きなおる。

 キョトンとしていると脇をつかまれた。

 完全に気を抜いていた白夜は一瞬何が起きたのかわからなかった。

 背後から聞こえる羽音、遠のきだした地面。全身に風が当たって髪が後ろになびき、桃がぽろぽろと転げ落ちる。

 屋敷の入り口が開き、白夜の体は宙ぶらりんとなったまま突入。呆気に取られていた白夜が気を取り直したのはその時であった。

「えっ? ちょ、ちょっと待って! 桃がっ!」

 かろうじて一つだけ留めることができたけど、天狗は構わず飛び続ける。荷物のように白夜をつかんだまま右へ左へ。お屋敷の廊下を飛んで進み、とある場所まできて突然手を離した。

「いたっ!」

 尻から落下した白夜は小さく悲鳴をあげた。涙を浮かべて飛び去ってゆく天狗の背中を恨めしそうに睨みつけていると、

「何か用ですか、白夜」

 冷めた声が頭上から降った。

 そちらに目を向ければ、金色の目を細めて白夜を見下ろす玉藻の姿がある。

「あ。えっと、お館様お会いしたくて」

「お館様。白夜がお目通りしたいと」

 白夜が言い終わるか否か。玉藻は間髪入れずに襖の奥に声をかけた。単調で義務的な声色。

 ぼろぼろの白夜を見ても顔色ひとつ変えない。

 なぜなら――


「あの馬鹿が! ろくに妖力も使えないくせに、のこのこと飢餓草原に入っていきよって。欲を出して桃なんぞ持ち帰ろうとするから餓鬼に狙われるのだ! そんなに桃が欲しいか!」

「よほど腹が減っていたのでしょう。距離もありますし、数日もたせるために持ち帰ったのではありませんか?」

「そうだとしてもだ! 命がけで桃を守る馬鹿がどこにおるのだ!」

 夜も明ける前からどこへ行ったのかと思えば、帰ってくるなり目をつり上げ、まくし立てたお館様の相手をいましがた終えたばかりであった。

 そこに白夜が到着し、「何の用だ、あの馬鹿が! 運んでこい!」と天狗に命令していたので、もはや玉藻が尋ねるべきことは何もなかったのである。





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