第12話 お館様のお部屋

「通せ」

「入りなさい、白夜」

 白夜はよろけながら立ち上がる。

 ゆっくりと開かれたのは、大きなヤツデと天狗の横顔が描かれている襖である。

 白夜をいったい何人足したら天井まで届くのだろうか。てっぺんが狭まって見えるほど大きい。

 おそらく白夜ひとりの力で開けることはできないだろう。

 両開きの巨大な襖は音も立てずに開いてゆく。

 玉藻が開けているのではない。襖が勝手に動いているのだ。それもまた不思議な光景である。

 襖が完全に開かれると板張りの広い部屋が目に飛びこむ。

 もう日は真上にのぼっているというのに中は薄暗い。

 正面に伸びる通路を挟んで青い炎を灯した燭台がずらりと並び、その合間には錫杖を構える天狗たちの姿がある。翼は白いが顔は赤いし、鼻も長い。これぞ天狗といった風貌である。

 数はざっと二十ほどだろうか。

 なんとも物々しい雰囲気であるが、その中で最も異質だったのは天井に浮く大きな皿。

 皿といっても食事をする時に使うものとは全くもって異なる。

 左右に梯子がかけられ、天高く部屋の中央に位置しているのだが、白夜の住んでいた家がまるごとすっぽり入るくらいの大きさがある。

 あれはいったいなんだろう。

 ポカンと見上げることしばし。よくやく視線を前に戻した。

 正面には何十枚と畳の敷かれた上座があり、そこに黒天狗――御館様の姿がある。

 肘かけにもたれかかって酒杯をかかげ、くっと喉を上げて飲み干す。

 先導する玉藻のあとに続いて天狗たちの間を歩み、座敷の前で正座をすると御館様がぎろりと目を横に動かした。

 眉間にしわを寄せて、また不機嫌そうな顔をしている。

「なんの用だ」

 顔以上に不機嫌さが上乗せされた声である。

 初めて話した時からこうなので、白夜は特に気にしない。

 ただし余計なことを言って、これ以上不機嫌になられると困る。

「えっと……実は森の奥で桃を見つけたのです。大きくて甘い桃です。お腹が空いていたので少し食べてしまったんですけど。これを御館様にも召し上がっていただきたくて」

 できるだけ言葉遣いに気をつけて丁寧に桃を差しだすと、

「ぶっ」

 お館様がとつぜん酒を吹き出した。

 慌てて口まわりを拭い、驚いたような顔をしてこちらを見る。

 その隣では玉藻がすすっと視線を流して、何か言いたそうに御館様を見ていた。

「なんだと?」

 ゴホゴホとむせながら御館様が問いかけた。

 そんなに変なことを言ったかな。

「あっ、もしかして御館様は食べ物を食べないのですか? ぼくは半妖だからか、お腹が空いてしまって。そっか……やっぱりあやかしは食事とか必要ないんだ……」

「そうではない!」

「え? 違うのですか? あっ、一つしかないことを怒ってますか? 本当はもっとたくさんあったんですけど、色々あってこれしか残ってないんです。ごめんなさい……」

 やっぱり一つじゃ足りないよなあ。

 うなだれた白夜に御館様は目をひんむいた。

「違うわ、馬鹿者が!」

 怒鳴られて白夜の肩が跳ねる。

 じゃあ何を怒っているんだろう。

 御館様は桃が嫌いなんだろうか。

 桃を食べたらお腹を壊したり……するのかなあ?

 懸命に考え込んだら、眉間にしわが寄ってしまった。そこにやわらかな声が降る。

「白夜、あなたに確認したいことがあります」

「はい」

 尋ねてきたのは玉藻である。

 昨日、狐の子らをいじめるなと注意した時とは打って変わって穏やかな表情を浮かべていて、少しだけほっとした。

「あなたが桃を持ち帰ったのは自分で食べるためではなく、お館様に渡すためだったのですか?」

「はい、そうです。それと狐たちにもあげたくて。洞穴の前に一つずつ置いてきたので少なくなっちゃったんです」

「あの子たちの分まで?」

 玉藻の声が裏返った。一方でお館様は呆れたような顔をして白夜を見た。

「おまえは半妖だから腹が減るのだろうが。他のものに分けたりせずに、明日の分に取っておけばよかろう」

「明日また取りに行けば済みますから」

 場所は覚えているし、桃はまだ腐るほどある。それに、ここまで運んできたのはお願いを聞いてもらうためだ。

 今日がダメならまた明日。明日がダメならまた次の日。

 お館様の望みはよくわからないけど……桃くらいしか手渡せるものがないので、そうするしかない。

 迷わず答えた白夜に、お館様は手元の杯からだらだらと酒をこぼしたまま目を丸くした。

「おまえ……また行くつもりなのか?」

「はい」

「あんな目にあって、よく……」

「あんな目?」

「ごほっ、なんでもないわ!」

「白夜もこう申しておりますし、何か指南されてはいかがです? あそこには危険な鬼がおるようですし。こんなに傷だらけになって不憫だこと。桃など運ばなければ、こんなことにはらなかったでしょうに」

 すまし顔の玉藻にお館様は、なんとも言えない顔を浮かべた。

 ぱくぱくと口を開き、何かを諦めたように項垂れて、大きく息をつく。

 よくわからないけど、だいぶ情緒が忙しい。

 お館様が再び顔を向けた。

 竜胆色の瞳に白夜が映りこむ。

 ありがたいことに不機嫌さは抜けていたけど、眉間のしわは相変わらずだった。

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