第9話 桃園にて
暗かった空がしらじんできたころ、白夜は寝ぼけ眼をさすって洞穴からもぞもぞと這い出た。
他の狐たちはまだ寝息を立てているけど、玉藻の姿はない。
「お腹が空いた」
ぐうぐうと鳴る腹をさすって辺りを見渡す。
あやかしってご飯とか食べるんだろうか。
あんまり必要なさそうだけど、誰かが用意してくれるとは期待しない方がよさそうだ。
近場に食べれそうなものはなかったので、山を探索することにした。
寝床の場所をしっかりと覚えて木々を抜ける。
そういえば目覚めてから水を飲んでいない。けれど不思議なことに喉の渇きはいくぶんか良くなった気がする。体力がないのは相変わらずだが体調は悪くない。
半妖となって少し体が変わったのだろうか。
でも、こうして腹が鳴るのは半分人間だから?
人間であったころでさえ何日も食べ物を口にしていなかったのだから、お腹はとっくに限界だった。
白夜の家の周辺は田んぼと畑しかなかった。それも日照り続きでほとんど枯れ果ててしまったし、盗みを働こうにも盗めるものがどこにもない。
都に入れば東や西に大きな市が開かれることもあり、食べ物に限らず衣服などの生活品も手に入る。重い徴税によって飢えと闘う人々の中には、そこを狙って盗みを働くものもいた。
しかし令外官(いまでいう警察)が見回っているので命がけである。
つい先日も近所の親父さんが捕まって打ち首になったばかり。一家も皆殺しにあった。
その首は見せしめに羅城門の外壁に三日間吊るされ、周辺の者たちは門に近づくことさえ嫌がった。
それを見た小春に盗みだけはしてならないと耳にタコができるくらい言われたものだ。
生きるために盗みを働いて殺されるなんて、なんて理不尽な世界なのだろう。
白夜は小さくため息をもらし、腰ほどまである草を掻き分けて進み続けた。
鬱蒼と木々の生い茂る森を抜けると、開けた場所にでた。
所々に少し背の高い木が生えているだけで、赤や黄といった花々が雑草の中に埋もれているような大草原である。足もとはぬかるんでいないし、もっさりとした草以外は歩むのに苦労しなさそうだ。
東の稜線から黄色い朝陽が射しこむ。横顔を照らされながら、ずんずんと草花をわけて進んでいく。
しばらくすると少し遠くに点々と色の混じった木々が見えた。それもたくさんある。
近づくにつれて甘い匂いが流れてくる。吸い込めば吸い込むほど腹の音が大きくなり、涎が垂れた。
(絶対に何かの木の実だ!)
白夜は顔を輝かせる。
自然と歩みは速くなり、最後にはつんのめるようにして走った。
木のふもとまで辿り着いたころには、ぜいぜいとした呼吸が肺を抜けていたが、上を見上げれば疲れなど吹き飛んだ。
空を覆い隠さんばかりに悠然と広がる枝に、大ぶりの桃が鈴なりになっていたのである。
赤みの強いもの、黄色いもの。白っぽいものは、やや小ぶりだった。
燦々とした陽に照らされ、光り輝く桃はまるで宝石のようだった。そのまわりを蜂が飛びまわっている。
きっと白夜と同じように、この芳醇な香りに誘われたのだろう。
ここら一帯が桃の樹なのだろうか。
あっちを見てもこっちを見ても、見渡す限り天に輝く桃の姿。
「うわあ……」
夢のようだった。
あの都でさえも、これほど見事な桃は滅多にお目にかかれない。
ひとしきり感心したあと、白夜は自分の腰回り以上も太い幹に手をかけた。
しかし筋力がないためかすぐに力尽きる。
何度かよじ登ろうと試みたが、いくらもいかないうちにずるずると滑り落ちて、地べたに転がってしまう。
背丈が足りず、手を伸ばしても飛び跳ねても桃に手が届かない。
目の前に立派な桃がなっているのに。
体中を甘い匂いが包み込んでいるのに。
何をどうしても届かない。
腹の音はひっきりなしに鳴っている。
お腹が空いた。お腹が空いた。あれが食べたい。お腹いっぱい食べたいのに!
恨めしそうに桃を見上げていると背後からから黒煙が伸びた。
天に向かって、するすると上へ上へとのぼっていく。
先日、白夜の首に刺さった刃物を引き抜いた時のように先端が桃に巻きついた。
それから軽くひねって桃を取り、またするすると落ちてきた。
目を丸くする白夜の前に、ぽとりと桃が落ちる。
取ってきてくれたんだ。
白夜は嬉しさのあまり涙を浮かべた。
「ありがとう」
ごしごしと目をこすりながら礼を述べて、桃にかぶりついた。
桃は信じられないほど甘かった。
歯を立てたそばから、だらだらと甘い果汁が顎を伝う。ほどよい歯ごたえと口いっぱいに広がる芳醇な香り。噛めば噛むほど甘い果汁が溢れてくる。
ひとつ食べ終わっても、まだ腹が鳴る。
物欲しそうに天を見上げると、また黒煙が伸びて熟れた桃を取ってきてくれた。
それを何度も繰り返して、やっと腹がふくれた。
こうして満足いくまで食べたのは、いつぶりだろうか。
もしかしたら初めてのことかもしれない。
腹も心も満たされ、ごろんと仰向けに寝転がった。
空が青みを増していた。
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