最終話 巧美と俺のリスタート

「……あたしも、悪かったと思ってる。事前に聞いておけばすれ違わなかったのに。でも、聞いちゃったら変に未練が出ると思って、聞けなかった」


 巧美がうつむく。嫌な沈黙が過ぎる。


「タクミ……ごめん、俺。ほんと」


 今更になって独りよがりだったことを痛感する。

 俺は自然と彼女の元に足を運んでいた。罪悪感と、たぶん愛おしさが混ざった胸中からそっと近づき、そして抱きしめようとして――股間に鈍痛。


「ぐがっ!?」


 巧美の振り上げた足が俺の股に食い込んでいた。

 衝撃と共に崩れ落ちる。


「とりあえずこれで許したげる。これまで連絡取らなかったから焦ったろうし、反省すんだね」


 上から目線の巧美は、股間を押さえて悶ている俺を見下ろしながら腰に手を当てている。

 こいつほんと何なんだマジで痛みと惚れた弱みで反撃できねぇだけだからなちくしょう!


「……これからはちゃんと話して。でないと、せっかく付き合っても不安でしょ」


 憤りは、ボソリと呟かれた言葉で霧散した。

「なんだって?」俺は股間を押さえながら立ち上がる。


「もう一度言ってくれ」

「き、聞こえてたろ!」

「聞こえてない。ちゃんと好きだって言ってくれ」

「言ってなくない!? ってか股間押さえながら来んな気持ち悪い!」

「これはお前のせいだろが!」


 俺と巧美はギャーギャー言いながらプールサイドで暴れる。というかじゃれ合いに近い。

 夏はずっとこんな調子だった。懐かさに頬が緩む。

 だけど、その感慨も次の一言に邪魔された。


「言っとくけど、一年経ったら徳島行くから」


 俺の胸を手で抑えていた巧美が、最後通牒のように告げる。

 俺は、言われたことがすぐには飲み込めなかった。


「行く、って……だって、帰ってきたんだろ?」

「完全にはママを説得できなかった、ってこと。実はママさ、実家に帰ってまっとうな仕事でやり直したいみたい」


 俺からそっと離れた巧美が、腰の後ろで手を組む。


「そこは娘として応援してあげなきゃ。だから折衷案として、高校三年生までは残る、ってことにした。ママもあと一年残して転校させることは後悔あったらしいし」

「じゃあ、その後は……徳島に戻る?」


 巧美は小さく頷く。

 奈落に突き落とされた気分だった。何なんだこの展開は。

 巧美と一緒にいられるのは、バンドを組めるのは、あと一年しかないって言うのか。


「どうする? 遠恋とかしちゃう?」


 どこか試すような言葉に、俺は声が出ない。

 急に提案されてもまるで現実味がなかった。ただ大きなショックを持て余している。


(遠距離……それか俺が徳島行く……? わかんねぇ。でも、それだとバンドは――)


 行き当たった瞬間、急に思考がクリアになった。

 俺は重要なことを忘れていた。


「それは、駄目だ」


 はっきりと、巧美の提案を否定する。


「遠距離だとバンドができなくなる。俺がそっち行くとしても、学生やるのか仕事するかで、続けられるわからない」

「だったら、どうするの?」

「――そんなの、決まってんだろ」


 巧美とずっとバンドを組み、一緒に居られる方法。

 大人の思惑や環境の制約から離れ、自分の意志で生き方を決められる方法。

 つまりそれは、金を稼ぎ自立して生きていくということだ。

 今の、子供の俺たちで手が伸ばし掴めるとしたら、一つ。


「「プロになる」」


 俺が発した言葉に、巧美の声が重なった。

 驚いて目を見開く俺の前で、彼女は嬉しそうに笑っている。


「やっぱそうなるよね。ユーキならそう言うと思ったよ」

「……なんだよ、それ」


 俺は鼻をこすりながら顔を逸らす。ニヤケ面を見られたくなかった。

 試されたのは少し不満だが、同じ気持ちで嬉しいのは本当だ。


「安達にも挑発されてるしさ。ここで逃げたら後悔すると思うし」

「一年でプロになる、か……時間はあんまねぇな。現役高校生でデビューするのも難易度高い」

「でもあんたの目と、あたしの声がある」


 どこか興奮した台詞に、俺は心の中で同意する。巧美もきっと、そうした具体性があるからこそプロを目指そうと考えたのだろう。

 普通の手段を使えば、バンドでプロデビューなんて夢のまた夢だ。では普通じゃなかったら、どうだ?

 俺の魔眼を使えば注目を集めることができる。大きな宣伝効果を生み出せる。

 ただしそれだけじゃまだプロにはなれない。この力は直接相対していないと発動しないという欠点がある。ライブは盛り上げられても、音源を聞いただけの相手はファンにはできない。

 つまり実力が必要だ。俺にその実力がないことはわかりきっている。

 だけどこいつには、数藤巧美の歌声には、人を感動させる力がある。

 逆に巧美の声がいくら凄かろうと、数多の実力者に埋もれてしまう可能性はある。

 それを掬い上げるのは俺の魔眼の役目だ。

 俺たちの力は、一つだけじゃ無理でも、合わさることで道が切り開ける。


「だけど、ユーキは本当にいいの?」


 一転して巧美が気弱な声を出してきた。

 まだ何かあるのかと不審に思っていると、彼女は俺に近づき、真正面から伺うように見上げてくる。


「今回のことでよくわかった。魔眼の力は凄いって。それを使えばいくらでも大成できる……なのにあたしに人生捧げちゃっていいのかなって」

「なんか誇張してませんか」

「商売に使えば大儲けできそうじゃん。詐欺師を捕まえられるくらいだから、探偵とかになっても面白そうだし」


 俺のツッコミを無視して巧美が勝手に仮定を述べる。

 ため息を吐き、俺はやれやれと首を振る。


「つまり俺はどうなったってやり直しが効くってことだ。たとえ失敗しても俺の方は全然大丈夫、気にする必要はない。な?」

「な? じゃねぇよ包容力ある体のクソ最低台詞じゃねぇか!」

 

「心配して損した」と巧美はぷりぷりしながら腕を組む。俺は笑いながら、彼女の頭にぽんと手を置く。


「ま、失敗なんてさせないって。お前とバンドをやっていきたいからな」


 そう言うと巧美は柳眉を上げ、次いで上目遣いでニヤニヤと笑い始めた。


「ユーキってさ、実はあたしのこと結構好きだよね?」

「……は?」

「あたしを引き止めるために倒れるくらい頑張ってくれるしさ。今だって離れたくないとか。そんなに好き? ねぇ大好きって言ってごらん?」

「ば、馬鹿……! ボーカルの力量を認めてるってのを忘れんな……!」


 しかしそう言い訳しても相手はニヤニヤを止めない。

 ちくしょう、この生意気な女に何かやり返してやりたい。


「――あ、そうだ。さっき俺のこと蹴って迷惑かけたことチャラとか言ってたけど、お前だって事情を聞かなかったって非を認めてたよな? 両成敗といこう」

「うわー小せぇ。そういうとこほんと可愛くない」


 何とでも言うがいい。ここで弄ばれて恥ずか死するよりはマシだ。いやマシか? 微妙なところだな、うーん。

 少し躊躇っていると「ったくしょうがないなー」巧美は呆れたように呟き、そして俺の頬に手を添えた。

 そっと、唇が重なる。

 時間にしてほとんど一瞬のことだった。

 巧美がぱっと離れたので温もりも感触もわからなかった。

 でも、魔眼にかかったあいつじゃない、巧美自身からの初めてのキスだった。


「これで勘弁しなよ?」

 

 そう言った巧美は俺に向けてはにかむ。どこか幼さがあって、耳まで真っ赤なくらい照れていて、でも凄く嬉しそうな笑顔なのに、言葉と表情がまったく違う。

 本当にこいつは、素直じゃない。


「さーって、またギターとベースの二人に戻っちゃったね」


 巧美は晴れやかな様子でうーんと伸びをする。今日も乳がでかい。


「まずはメンバー探しから始めよっか」

「……だな。一年しか時間ないし」

「じゃあ軽音部の連中に声をかけよう」

「なんでそこで軽音部なんだよ」

「あたしの実力を認めて仲間にしてくださいって頭下げてくると思う。むしろそれが見たい」


 きひひ、と巧美が唇を釣り上げる。最初の目的に戻っていた。


「そんなうまくいかないと思うぞ……」

「じゃあ賭ける? 壁組とか、今度こそあたしと組みたいって言うぜ?」

「おーし。それなら俺は、お前が怖くてやっぱり無視され痛い!」

「どんな理由だてめー! 絶対憧れられてるつうの!」


 怒った巧美が大股で入口へと歩いて行く。

 俺は蹴られた尻を撫でながら、また一悶着ありそうな気配に苦笑いした。


「ほんと、お前と一緒だと、退屈しなさそうだ」


 冬の空に向かって呟き、俺も後を追い掛ける。


 了

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生意気で素直じゃないヤンキー美少女は、俺が見つめないと歌えない 伊乙式(いおしき) @iotu_shiki

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