第11話 森の番人

――時刻3時半。


 雨上がりの森林は独特な土の芳しい匂いをまとい、ますます闇を色濃く滲ませていた。


 そんな中、全く臆することなく柔らかに湿った土壌を踏みしめ歩を進める影が一つ。



「……あの、結局これは正面突破ですよね? 作戦があるとか仰っていたので口出しせず見守っていましたが……」


「いいんだよ、安全思考はとっくの昔に捨てた――それにタイムリミットもあるからな」



 彼には時間が無いどころか、今日の昼までに学長を暗殺せねばならないという厳しい状況である――それは分かりきっているものの、フラネーヴェは心配な様子で話し掛け続ける。



「……でも、この森には私たち生徒も見た事が無いような恐ろしい魔物が住んでいるとか……」


「へいへい、学生は噂話してなんぼだよな……っと、群れることしか出来ねぇ大人もそうか」



 ほんとなのに――と不満そうに呟くフラネーヴェの声を呆れたため息でかき消しながら、名無は足元の悪い道を止まることなく進む。

 

――ペキッ……!


 僅かに水分を含んだ細い枝がしっとりとした音を立てて名無の体重により折れた。



「――――!」



 突然ザワザワと音を立て始めた周囲に警戒を強めた名無は歩みを止め、鋭い目付きで辺りを観察する。


――ペキッ……ペキッ……


 隠そうともしない気配の枝を踏む音は学園の侵入者である彼を威圧しているようであり、迷うことなく真っ直ぐと向かって来ていた。



(……獣か? それとも警備員か……どちらにせよ、あまり派手に戦うのはまずいな)



 名無は今まで身に付けていた薄手のコートを脱ぎ捨て、背広の内ポケットから拳銃を取り出しそっと構える。


 何頭、あるいは何人いようと全員1発で仕留める――そう腹に決めた名無の頬を削るかのように、泥臭い風が荒々しく彼の正面から吹き付けた。


――ガサガサガサ!!



「――ヴヴ……!」


「……おっと……思ってたのと違うなぁー……」



 森の奥から現れたを一目見て、無意識のうちに後ずさりする名無。


 ハハッ、と冗談めかして笑うものの、彼の背中にはいくつもの冷え切った汗がとめどなく流れていた。


 前傾姿勢で顔だけを突き出したように二足歩行する様子は一瞬人かと思わせるが、目が月光を反射し口端からよだれを細く流す姿は飢えた獣のようでもあった。

 


(……パッと見5体か……闇で見えないくらい後方にも居たら分かんねぇけどな)



 獣でも人でも無い、どのカテゴリーに分類すれば良いのか分からないほど不気味で禍々しい容姿をした生物達は、特殊な言語をうめきながらにじり寄ってくる。



「――あれは『モリビト』です!! 森の番人と呼ばれ恐れられている……名前は森人モリビト守人モリビトが掛かっていて――」


わりぃ、今そういう洒落は要らん!!」



 突如思い出したように早口で語るフラネーヴェの声をさえぎり、名無は素早く焦点を定め引き金を引く。


――パァン!! とモリビト達の頭上にある枝の付け根に向かって正確に威嚇の1発を狙い撃つと、枝は僅かに煙を放ちゆっくりと折れて落ちた。



「――ヴヴヴヴヴヴ!!!!」


「……彼らは音に敏感に反応します、と先程言おうと思ってたんですが、アナタが説明を聞かなかったから……」


「…………マジ?」



 モリビト達は落ちた枝をしばらく見つめてから、伸びきった爪で激しく自身の皮膚を掻きむしり咆哮ほうこうを上げる。


 月明かりでうっすらと見える血で滲んだ土気色の皮膚――流れる血を夢中で舐め終えると、名無を激しく睨みつけ一斉に飛びかかってきた。


 全員の爪による攻撃をすんでのところでかわしながら距離を取ると、名無は臨戦体勢を整える。



「――っと!! 危ねぇ……が、残念ながら近接戦は俺の方が上手うわてなんだなぁ」



 モリビト達が目にしたのは、月光の影に隠れた顔の口元が空で沈み出した上弦の月と重なるように弧を描いてほくそ笑むところだった。


――バキッ!!


 名無は真正面に飛んで来たモリビトの顔に迷わず拳を左に流すようにして打ち込み、反射的に顔を手で庇うようにして睨みつけたモリビトの横顔を容赦なく蹴り飛ばす。


 その反動で庇っていた手の爪が何本も根元から折れ、多量出血は免れない様子であった――仲間の戦意喪失を見て、一部始終を観察していたモリビト4体が怒りのままに名無を囲むようにして襲ってきた。



「危ない!!」



――ガキンッ!!!!


 フラネーヴェの焦りを多分に含んだ声は、モリビト達の爪同士が激しくぶつかる音で瞬く間に消える。



「……何回も言わせんな、俺を誰だと思ってる? 俺は死神――どんな奴でも殺すのが俺の仕事であり特技だ」



 爪の痛みに耐えながら呆然と立ち尽くすモリビト達の中心に、屈んで攻撃を避けた名無が不敵な笑みを浮かべながら拳銃を構えていた。


――パァン!!


 先程まで歩いていた進行方向に立っていたモリビトの心臓部を近距離で撃ち抜く。


 名無は黒々と濁り腐敗臭のする返り血を浴びながらも、倒れ込んで僅かに手を震わすモリビトの腹を踏んで囲いから脱出した。


 後ろから残りの3体に追われながらも、彼は止まることなく追い風を受けて森を駆け抜ける。



「ちょっと、アナタ物凄い追われてるわよ?!」


「いいから、耳を澄ましてみろ――!」



――ドォォォ……!!



 枝葉が激しく踏まれる音と名無の荒い呼吸に混じって聞こえてきたのは、力強い水流のとどろき



「これは……もしかして滝?!」


「あぁ……進行方向の左奥から聞こえる――ということは!!」



 名無が足を止めた目の前には、今回の任務地である聖オリンポス学園の校舎が一望できる崖が広がっていた。


 そして彼の読み通り、数キロ先には轟々と露出した岩を削りながら水を落とす滝が見える。


 カチャリと彼が素早くズボンのベルトを外したと同時に、追いついたモリビト達が舌なめずりをしながら目と鼻の先まで近づいていた。



「じ、冗談でしょ?! アナタ正気?!?!」



 名無の意図を完全に理解したフラネーヴェは、これからしようとしている彼の危険をかえりみない行動に、緊張と怒気を孕んだ声で鋭く問う。



「正気かなんて関係ねぇ――ただ、俺はだ」



 名無が通る口笛でモリビト達を挑発すると、興奮しきって目が血走った様子でモリビト達は彼の身体を引き裂こうと大きく振りかぶって襲う――が。


 名無は迷うことなく崖から飛び降り攻撃を躱すと、怒りを剥き出しにした本能で彼の影を追ったモリビト達が為す術なく落ちていく。



「ヴヴヴァァァ――!!!!」



 その悲痛な叫び声は、重力で自身の体と共に寸分の狂いもなく遠のいていった。


 名無はそんな彼らの様子を、崖の岩肌から飛び出す木の根にベルトで体を固定し眺めて安堵の息をつく。



「本当に、アナタという人は……命がいくつあっても――」


「――足りねぇ…………」



 名無がそう呟くと、フラネーヴェは自分のお小言が彼の耳に入っていない様子に気付かず戸惑いながらも声を発した。



「えっと……分かってるなら、良いんです?」


「違ぇ……今落ちていったモリビトが、1体足りねぇ――――!!」

 


 崖の上から何者かの気配を感じ取った彼が恐る恐る顔を上げると――



「……ケケケケケケ……!」



 満足そうに醜悪な顔を更に歪めたモリビトが、名無を見下ろし嗤笑ししょうしていた。

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名も無き旅 甘雨 霞 @kan-u_kasumi

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