第10話 殺し屋も黙る死神

「――アナタ正気なの?!?!」


「うるせぇ、この方法が最短ルートだったんだよ!」



 線路に沿って従順に車輪を回転させる寝台列車の最奥の個室で、窓を全開にして身を乗り出す名無を咎めるフラネーヴェの声がした。


 時刻は午前2時。


 窓からしんと静まり返った世界を眺める名無に吹き付ける冷たい風は、冬の香りを微かにまとっている。



「走行中の列車から飛び降りるなんて、脳筋にも程があるわよ!!」


「走行中じゃねぇ、もうすぐ目的地付近の駅で連結器を切り離すタイミングがあるから、そこで降りるんだよ! てかなんだ脳筋って!!」



 フラネーヴェの声は周囲にどれほど影響があるのか定かではないが、名無は当然ながら生身の人間である以上下手に騒げない。


 必死に空気を喉で押し潰しながら、しっかりと彼女の煽りに小声で噛み付くのであった。



「――よし、そろそろだな」



 徐々に速度が緩んでいくのを敏感に感じ取った名無は、観光客にふんし身支度を整える。


 車内アナウンスは既に終わっているため、特に合図やベルの音は鳴らなかった。乗客を起こさない配慮か、滑らかに車輪が歩みを止める。


――ギィ…………ガチャン!


 近年の工業化に伴い酸性雨をめいっぱい浴びて錆びついた金属が、人為的に力づくで離され悲鳴音を上げた。


 しばらく耳を研ぎ澄ませていた名無は連結器が切り離される音を聞き、窓からするりと器用に抜け出して下車する。



「……なんか……悪いことしてる気分」


「……まぁ実際そうだけどな」



 一部始終を傍観していたフラネーヴェの声が、名無の背後から控えめに聞こえる。


 名無は帽子を目深に被り、周囲を警戒しながら駅の改札まで向かった。


 改札付近の窓口に防犯カメラが設置されているのを目ざとく発見すると、彼は助走をつけ身を低くして滑り込む。


 かなり危ない橋を渡ったような気もするが、幸いにも巨大なご当地キャラクターの像が死角となり、防犯カメラの鋭いまなこから逃れることが出来た。



「この後はどうするの?」


「まずは学園内に潜入しなきゃ始まらねぇからな……ここからはお前の記憶が頼りだ」


「早速出番なのね……! えっと、目の前の階段を上ったら大きな森があるんだけど……近くまで行くと小道が見えるはずよ」



 フラネーヴェの声がした前方には、鬱蒼と生い茂る森林が広がっている。



「ほぉ……だが一筋縄ではいかなそうだぞ?」


「え……?」



 階段の陰に隠れながら名無が遠くから目視したのは、森の木々に配置された無数の防犯カメラだった。



(恐らくカメラだけじゃねぇな……今は確認出来ないだけで、無闇に侵入したら警報システムが作動するかもしれねぇ)



「……なぁ、学園内の警報システムはどんな感じなんだ?」


「かなり厳しくなっているはずです――元はと言えば、セキュリティ強化の理由は警察が安易に立ち入れないようにするためでしたから」


「なるほど……。列車内では誰が聞き耳立ててるか分からなかったからな。さっきは無理に口止めしてて悪かった、詳細を頼む」



 列車に乗車して間もない頃、フラネーヴェが時間を無駄にするのは勿体ないと聖オリンポス学園の疑惑について話そうとしたのだが、名無は黙ってくれとだけ一喝したのだった。



「いえ……確かに軽率でした。こちらこそすみません」


「別に良い――それより、この胡散臭い学園は何をコソコソしてんだ?」



 フラネーヴェは一瞬どこか気まずそうに言葉に詰まるが、意を決したように口を開いた。



「……違法薬物ドラッグの栽培です」


「――――! おいおい、想像以上に厄介なことしてくれちゃってるな……」



(だから麻薬取締官マトリが絡んでるのか……となると、これは正式に暴れて良い案件なのか? マスターの言うように罠の可能性も捨てきれねぇが……)



 そこで名無は一度思考を止め、おぞましく己を待ち構える森を鋭く睨む。



「――まぁ、好きにやらせてもらおうじゃねぇか……俺は殺し屋も黙るだからな」



 不敵に笑う彼の横顔をそっと見つめていたフラネーヴェは、既に無くなっているはずの心臓がキュッと締まる感覚がした。


 それは恋心故か、はたまた目の前に佇む死神を目にしての恐怖なのか。


 

 時刻、午前3時前……彼らの夜はまだ始まったばかりなのである――

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