第38話 栗八佐和ダム怪談②


「人間ってさ。一生、自分の力でがわからねぇんだよな……」

 

 いつだか親父が、そう言っていた。


「ん?」


 唐突に話を切り出す親父の言葉を聞いて理解できなかった。

 親父はタバコの煙をフーと吐き、天井を仰いだ。


「別にそれは、問題じゃないんだけどな」


 ──なんだよ、それ。


 この時、どうしてそんな話をしていたのかを覚えていない。確か、中一の時だっけ? 何か問題を起こした時の話だったと思う。


「問題は、知ろうとしない事であり、受け入れようとしない事だ」

「よくわからねぇ……」

「試していないのに、できるできないを決めちまうのが人間なんだ。根拠のない自信や、一度の失敗で負けたり、諦めたりする」


 そう言って親父は、遠い目をしながらタバコを口元に持っていく。その目は、かつての思い出を見ているかのような、少しの寂しさ匂わせた。


「経験だって時には、足枷になる。目の前の問題を見て、かつてはどうだったとか、昔の俺ならどうだとか、思い込みのバイアスが常に付きまとう」


 ──思い込み……ね。


「その壁や問題を、ありのままの、壁や問題と認識できない。だから見誤り、期待し、裏切られ、行き詰まるんだよな〜」

「何言ってるか、わからないんだけど」


 苦笑を浮かべ、少し考え込む。頭の悪い俺にどうにか、こうにか、わかりやすくどう伝えようか考えているようだ。


「毎日、その瞬間瞬間が挑戦であり、その時々が新しい壁であり、問題なんだ。昨日のお前と今日のお前の細胞が違うんだから、同じような問題が起きたとしても、それは違う挑戦って事だよ」


 ──昨日と今日の俺が違う?


「つまり、できるできねぇはやってみないとわからねぇってことさ。例えダメでも、成功したとしても、どっちも新しいお前だから、お前はお前なのさ」


 そう言って、親父はタバコの火を灰皿に押し消した。


 ◇◇◇◇◇◇


 ガタガタッ! 音を立て柵を揺さぶる音話を三人で押さえつける。


「ゴメンナサイ、ゴメンナサイ、ゴメンナサイ、ゴメンナサイ」──とブツブツと誰に言うでもなく、念仏のように唱える。

 その虚ろな目は、ダムの透き通るような水面を一点に見つめている。


「ちょっと、國枝っち。男なんだからしっかり引っ張ってよ!」

 鈴蘭の叫びが鼓膜を叩く。

 

 柵を飛び越さないように、音話の足首掴み、思いっきり体重をかけて仰け反る。目を閉じて空に顔を仰け反るいっぱいいっぱいの苦悶の表情を浮かべる。


「おいおい、このご時世に男とか、女なんて言っちゃいけないぜ鈴蘭。賢いお前から、そんな男女差別のような言葉を聞くなんて、俺は残念でしかたないぜ」


 軽口に反応して「ていッ!」と軽く、白いパンプス爪先で俺の左足を小突いた。


「平等と不公平は違うの! 私達よりメンズのが、力あるんだから、私達より頑張ってもらわないと不公平〜!」


 そう声を張り上げ、更に倒れる勢いで後ろにのけぞった。



「それで、専門家くん。この状態どうやって切り抜けるの?」


 妹の腰回りにしがみつき、右足で突き放すかのように柵を突っ張りながら望月は言った。

 

「あとは、まかせろ!」なんて、カッコつけて言ったものの実は、策なんて持ち合わせていない。


 俺には蘆屋のように、祓ったり、式神を使ったりなんてできない。

 ここまでどうにかこうにか、誰かの助けを借りて切り抜けきただけだ。

  

 そう、俺は一人では何もできなかった……。

 初恋の女を前に逃げ回り、事あるごとに蘆屋とお市にすがり、人形に助けられ、女友達の頭脳によってピンチを乗り越えてきた。


 ──けどな、昨日できなかったから、今日できないとは限らねぇ。大きく息を吸い、静かに目を閉じた。


「國枝っち?」

「……國枝くん?」


 精神を統一して、体から不思議な力が湧き出るイメージを連想する。この音話の腕を掴む両腕に──、今、力が宿る!


「ちょっと、國枝っち! 力抜かないでッ」


 ぐんっと、一気に体が引っ張られ、音話が更に前のめりになっていく。

 そう──、そんな力などは、なかった……。


「くそッ、昨日の俺も、今日の俺も、俺は俺じゃねーかぁぁぁ!!」

「何言ってんのよ、当たり前でしょッ」

「音話ッ!」


 ──しまった!?

 気を抜いたせいで音話の体が自由になっちまった!


 わずかな一瞬で、望月と鈴蘭を吹き飛ばし、俺の腕を振り払い。音話は右足で柵を蹴り上げ──、


 飛んだ──。


「あ……」


 飛び降りたその後ろ姿は、ほんの一瞬にも関わらず、俺の心臓と時間を凍り付かせた。

 シャッターを連続で切り続けたように、音話の後ろ姿が遠のいていく。


 ざぱーんッとダムの水面に重い物質が、叩きつけられた音がした。


「きゃぁぁぁぁ──!!」


 鈴蘭は悲鳴を上げて、柵の向こう側へ顔突き出す。


「音話ッ! 音話ッ!」


 望月が柵を乗り上げ、妹の名前を必死に叫びながら、水面に懐中電灯を照らす。


 ──お、おい……。まじかよ……。

 

 思いもよらなかった光景に唖然とし、立ち尽くした。動悸で呼吸が浅くなり、この状況をの見込めない。


「國枝っち!」


 名前を呼ばれ、ビクンッと肩が反応した。

 泣きながら俺の名前を叫ぶ、鈴蘭を見て我に帰った。


 ──何やってんだ、俺……。


 柵から身を乗り出して、音話の姿を探す。

 栗八沢ダムの広く、深い、景色にどこを探すべきか焦点が定まらない。


「どこだッ!」

「あそこよッ!」


 望月が、懐中電灯で透き通るような水面を映し出す。真夜中の透き通る水は、闇そのものを感じさせた。


「あぁ……、いや、音話ッ──!」

 

 望月が照らした光の先に、吐き出された二酸化炭素のブクブクとした水泡が見えた。その奥に音話とみられる人影が確認できた。人影の全貌を捉えようと目を凝らした。


 ──うッ……。


 沈んでいくその人は、両手、両足をピタッと直立不動の気をつけの姿勢だった。顔だけを無表情で上げてこちらを見ている。抵抗を一切見せず、ただ沈む人形のようだ。


「くそッたれぇぇ──」


 そう叫びながら上着脱ぎ、鈴蘭に投げた。


「何する気!?」


 上着を渡され困惑する。

 

「これも、もってろ!」


 スマホとバイクのキーを投げ渡した。


「あッ、ちょ、ちょっと……」


 右往左往しながら、あたふたし、それをキャッチした。


「く、國枝くん、無謀よ!」


 俺の行動を察した望月が、心配そうな顔をして言った。


「言っただろ、あとはまかせろってッ!」


 そう言って俺は、柵から身を乗り出した。

 

 ──うわぁ……怖ぇ……。


 一瞬、躊躇し、たじろぐ。

 両手で両頬を二度パンパンと叩き、大きく呼吸を吸い込む。


 友達でもないし、

 そもそも、ダムだぜ?

 飛んだら俺も死ぬぜ?

 自分の命より大切か?

 そうだ、あの子は友達の妹だし、

 仕方ねぇよ、だって怪異だぜ?

 そうだ、金縛りで動かなかった事にしよう。

 

 色んな言い訳が頭に浮かぶ。

 ──何、考えてんだ俺。

 

 震えた右足の太ももをぶん殴った。

 思った以上にいい所に入り、激痛が走る。


 ──痛ッ、だが、ちょうどいい。

 

 無理矢理動かして、深い闇に向かって──、

 

 ──飛び込んだ。

 

 鈴蘭と望月の俺の名を呼ぶ声が、轟いた。

 両腕を顔の前にクロスさせ、膝から着水。

 凍りつくような水の冷たさが、体にまとわりつき、心臓が一瞬だけ止まったような気がした。


 ──冷ッ

 

 ざぶーん、と水飛沫と共に息を止める。

 上から望月と鈴蘭が、照らしたライトの光だけを頼りに潜りこむ。


 ──いた!


 微動だに姿勢を崩さず、直立不動の音話が見えた。

 その姿勢のせいか、沈むのが早い。


 ──やばい、このままでは……、息が……。


 必死で足をバタつかせる。もがけばもがく程、苦しくなる。ゴボゴボと口から酸素が抜け落ちていく。

 手を伸ばす、もう少し、あと少しで音話の肩の服を掴めそうだ。必死にバタつかせ、二度三度、指先が服を掠める。


 ──ここだ、掴んだ!


 やっとの想いで音話の服の袖を掴む。

 絶対離さない、そう思った。


「うッ」


 ゴボゴボと抜けた酸素の代わりに、鼻から、口から、水が侵入してくる。もう酸素がなかった。


 ──く、苦しい。ここまでか……。

 眼球がぐりんと上を向く、あまりの苦しさに意識が遠のいていく。


 あぁ……このまま、二人で深い水の底に沈み行くのか……。

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