第31話 歪んだレンズ
手足は、ズタズタ。
制服のズボンは破れていて、学ランのボタンは、二、三個外れた。
唇を切り、口の中では鉄の味がする。
赤い人に追い回された傷。
こんなものは、しょっちゅう喧嘩で味わってきた。
なんちゃない、わけではない、わけではない。
「その体……、大丈夫なのか?」
夜道をボロボロの姿で、呪いの西洋人形を抱いて歩く。
完全に不審者だ。
『あなた達人間と違って、痛みなんか感じないわ。私はただの呪いですもの』
メリーは赤羽との戦闘で、大きな負傷をした。
胴体に大きな穴が開いてしまった。
ドレスは、縫えばなんとかなる。
だが、体は?
こいつの材質はなんだ?
プラスチック?
よくよく見たら、目玉はガラスだし。
簡単には、直せそうもない。
「どうやって直せばいい?」
『変な考えはよして頂戴。アナタのような変態に修復されたら、違う人形にされそうだもの』
──KO.NO.YA.RO.U!!
よーし、ラブドールに改造してやる。
『それより……』
腕の中に抱かれたメリーは、俺の顔に手を伸ばす。
『アナタの方が辛いでしょうに……』
そう言って、唇の血を拭いさる。
──人形のくせに……。
「辛くなんかねぇーさ」
『強がりはよしてもいいのよ? 人形の前なのだから』
兄弟同然に育った力漢に続いて、赤羽までもが、遠くに行ってしまった。
そんな風に思うと……、急に胸に切なさが、込み上げてくる。
「強がる事をやめる事を、やめる事をやめる……」
『そう』
「あーくそ! どいつもこいつも離れていっちまう気がするぜ……」
『そう──、でも、残念だけども──』
何故か、メリーは俺の鼻の穴の中に、指を突っ込んできた。
「ブフッ──、何すんだよ!」
『誰が離れたとしても、呪いは離れる事はないわ。死ぬまで呪うのだもの、残念ね』
──あー、KO、NO、やろう……。
人形のくせに。
呪いのくせに。
──泣かせんじゃねーよ。
「やっぱ、ラブドールに改造していい?」
『今すぐ呪い殺してあげましょうか?』
◇◇◇◇◇◇
「これは凄いねぇ〜。こんなところに住んでたの?」
『凄まじい瘴気じゃの〜』
翌日、俺は蘆屋を呼び出して赤羽の家に来た。
理由は一つ。赤羽を助けたい。
「このゴミの山の中で、本当に女子高生が住んでたのかい? 正気の沙汰じゃないね〜」
『なんじゃこの大量の鼻メガネは? 呪物か何かか?』
蘆屋とお市は、廊下のゴミをかき分けて進む。
『あ〜もう、汚いわい! 着物が汚れるじゃろが』
「三雪ちゃんのが、まだ正気かもしれないね……」
お市はヤケクソになり、蘆屋は苦笑いを浮かべる。
──この奥の部屋に〝あれ〟がある……。
俺は昨夜見た、あのゾッとしたを部屋を思い出した。この廊下を真っ直ぐ進み……、あの奥の部屋には、髪を狂い伸ばした雛人形がある。
「これは……」
『ほ〜う』
例の部屋に入り、蘆屋とお市は、時が止まったようにじっと雛人形を見つめていた。
──嫌な部屋だ。あそこに赤羽は座っていたのか……。
部屋の隅々まで雛人形の髪の毛が、ビッシリ絡みついている。こんな気色の悪い部屋に、赤羽はこの人形と暮らしていたと思うと、頭が真っ白になる。
俺の考えは、こうだ……。
あの雛人形に悪い物が憑いていて、それが悪さをして赤羽に取り憑いた。
そして、その人形が赤い人の本体だと睨んだ。
蘆屋に頼めば、チョチョイのチョイだと期待を込めて、連れてきたわけだ。
──さぁ〜、やっちゃって下さい蘆屋さん!
どれくらいの時間、蘆屋はそうしていただろう?
数分? 数十分? まるで、永遠とも感じるくらい蘆屋とお市は、黙って突っ立っていた。
「どう思う?」
『どうもこうもないじゃろ……』
やっと口を開いたと思ったら、二人で何やら確かめ合うだけだった。
「いや、これ祓って下さいよ!」
痺れを切らして俺が口を挟んだ。
「無理だ」
「は?」
『無理じゃ』
──なんでだよ!
「この人形は、空っぽだよ」
「じゃあ、赤羽はッ──」
『ロリコン。お前は勘違いをしとるゾ』
間も入れず、俺の言葉をお市が遮る。
「彼女は、望んでソレになった。取り憑かれたとか、その次元じゃない」
「は……? んなわけねぇーだろ。勝手にわけのわからねー都合の良い理由をこじつかんなやッ!」
苛立ち蘆屋に詰め寄る。
バサッ──、と俺の足元にお市が、一冊の本を投げつけた。
『都合の良い色眼鏡で見ておるのは、お前じゃ』
「あん?」
『お前の当たり前が、他人の当たり前と一緒だと思うたか?』
お市は、そう言って投げた本を指差す。
本に目を向けると〝ダイアリー〟と書いてあった。
『その当たり前の色眼鏡を通した景色なんぞ、お前の当たり前でしかないわい。本質はいつまで経っても見えんゾ、未熟者』
「まぁまぁ……、この下らないとこがいいんじゃないか。いずれ時間が、良い余白を広げてくれるものさ」
蘆屋は、そう言ってタバコに火をつけた。
『命短し貴様らが、忘れるためだとかに、呑気に時間を浪費するとは、妙な生き物じゃの』
「それが人間なのさ。僕らは、いつだって、時間も人も、想いですらも、何一つ大切に持っていられない。流れていくだけなのさ」
蘆屋の吐いた白い煙が、誰かがいた思い出の部屋に漂い、流されていく。
◇◇◇◇◇◇
学校に行く気には、ならなかった。
俺は赤羽の日記を持って、そのまま鴨川の川縁に座り込んでいた。
こんなブルーになったのは、いつ以来だろうか?
こんな日に限って、空は真っ青で、俺のこの苦い気持ちなんか微塵も気にせず、白い雲を運んでいる。
──薄情な青空だ。くそムカつく。
ため息をついて、そのまま寝転んだ。
ペラペラ開いて赤羽の日記を読んで、胸が締め付けられた。
「お市の言った通りだった……」
俺の常識を通してでしか、赤羽を見れていなかった。俺はあいつを何ひとつ理解してやれなかった。
あの軽口の数々、鼻メガネを掛けていた理由、どんぐりの話だって……、今思うと、あいつは人と怪異の狭間で揺れていたのだ。
【そう思うなら、そうなのでしょう】
あいつはそう思う事で、かろうじて人間の赤羽紅音を維持していたのかもしれない……。
いや、きっと赤羽だけじゃない。
この世の全ての、俺の周りにある物は、俺の常識というレンズを通してしか見ていない。
気付けるはずがない……、だって俺のレンズから見た風景は、俺の景色でしかないのだから……。
──人の数だけレンズがあったわけだ。
「薄情は……、俺か?」
なんとも言えない気持ちになり、目を閉じた。
「な〜に、やってんだよ」
声が聞こえて、目を開けると、見知った顔が俺を見下ろし立っていた。
「力漢!」
「よぅ!」
金髪オールバックのヤンキーが、爪先で俺を小突いた。
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