第30話 赤と青


 鬱蒼うっそうと生い茂る竹薮たけやぶの中、漆黒に染まる夜の闇に、燃え盛るように浮かび上がる真っ赤なワンピース。

 巷で赤い人と噂された、生きる都市伝説。

 

 その振り向き様に堂々と対峙する、この現代には不相応な西洋ドレスをまとう少女。

 海を連想させるブルーのドレスは、どこか憂いを帯びた雰囲気と、不気味さをかもし出す。

 誰もが一度は恐怖した、世界の怪談。


 数ヶ月前は、恐怖のどん底に落とし入れられた、その姿に、権威のような念をも感じている自分に驚ろかされている。


 少女の被るリネンの帽子を飾るリボンと、赤いワンピースのスカートが夜闇の海の中を、そよ風に任せて泳ぐ。


 ──メリーッ!?


「あら? ずいぶんダラシない、今にも、フラれた女のために自殺しそうな顔をしているわね」


 リネン帽子から、月明かりに照らされて、美しいブルーの瞳が顔覗かせる。

 赤羽だった者は、無言でその様を観察している。


『く……國枝くんは……、わ、渡さない……』


 真っ黒な髪の隙間を、縫う様に発せられた赤い人の言葉は、まるで崩壊寸前の自我を、必死で抑え込むかのように震えていた。


「渡さない? アナタ如きが? 誰に? 誰を?」


 薄ら笑いを浮かべながら、少女は歩み寄る。

 その瞬間──、


 バサッ──と音と共に、落ち葉が宙を舞った。


 赤い人は、素早い身のこなしでメリーに襲いかかる。踏み込んだその足場には、足跡などと言う物ですらなく、抉り取られたような空間が、円の空白となり残されていた。


 ──半端ねぇ……。

 赤羽のやつ、もしかして、力漢より強かったんじゃねーの!?


 真っ赤なワンピースは、一瞬で少女の目前にまで詰め寄っていた。

 振りかざした右手は、殺気を放ち、爪を立てる。


「メリーッ!?」


 ボサッ──聞いた事もない音が鈍く唸った。

 

 振り回した右手の先に、そびえ立っていた太い幹が抉れている。吹き荒れた漆黒の風が、赤い人の髪を逆立てた。


 ──嘘だろッ!? ありえねぇ……。

「め、メリーッ!」


 あれを喰らっていたとしたら、人形であるメリーの体は耐えられるはずがない。暗闇の中、必死でメリーを目で探す。


「──おこがましいですこと」


 赤い人の肩辺りにメリーの姿があった。

 気付いた赤羽だったモノの振り向き様に、メリーの指先が触れる。


 ズドンッ──

 

 骨に響く重い音と共に、赤い人の体が宙を舞う。

 呼吸する間もなく、メリーの体は赤羽に張り付いたかのように、ピタリと宙に続く。


 ズドンッ、ズドンッ、ズドンッ──。


 立て続けに先の衝撃が三連続。

 赤羽の体は壊れた人形のように、グニャグニャと宙に跳ね上げられる。


 さらに四連撃目──、その刹那に、宙に投げ出されたのは、メリーの体だった。


 ──え?

 

 目で弾かれた気配を追う。

 立ち尽くした横にそびえる木の太い枝に、人形の胴体が突き刺ささっている。

  

「メリーッ!?」


 叫びながら、メリーに駆け寄る。


 ──ッ!?

 

 ムクッと顔を上げた、その表情は、かつて俺たちを襲った、あのクワッとした憎悪にまみれた恐怖そのものだった。

 カチカチカチカチッと関節が、軋む音が聞こえる。

 

 怒りに震えている……。

 あの時のように……。


 赤羽の姿を探し、空を見上げる。

 今まさに、俺たちの頭上から、満月の月明かりと共に、降り注ぐように、襲いかかろうとしていた。


 カッ──とメリーの目が見開く、


 ドスン、ドスン、ドスン──


 と、バットで殴られたような乾いた音が、リズムよく鳴る。

 その音と共に、赤羽の体は、横に弾き飛ばされた。


 ──何が起こってんだ!?


 理解の範疇はんちゅうを超えた、超常現象の数々に、俺はどうする事もできず、この戦闘をただ見守るしかできなかった。


 バサッと茂みをかき分け、暗闇から赤羽の体が、反撃に転じ飛び出てきた。

 先程とは、打って変わって涼しい表情で、赤羽の攻撃をあしらい背後に回る。


 メリーの背後から、ドア形を形成する黒いモヤモヤが浮かび上がる。そのモヤモヤは、まるで違う次元の扉を開いたかのように、そこから無数の手が、飛び出てきた。


 軍服のような袖。

 和服の着物の袖。

 小さい子供の手。

 貴族のような服の袖。

 ヨボヨボの年老いた手。

 若い女性を連想させる美しい手。

 ゴツゴツとした男らしい手。

 

『ウオォォォ────』

 

 呻き声が、地の底から湧き立つ様に聞こえてくる。

 老若男女、あらゆる時代、あらゆる世界の、この世ならざる無数の住人。

 切り取られた空間から、無数の手が赤い人に向かって伸びていく。


「殺すなッ──!」


 頭の中に過ぎる、この行き着く先が──地獄なんじゃないかという恐怖が、俺の心臓を鷲掴みにする。

 もし、赤羽がこれに引きづり込まれてしまったら……、そんなどうしようもない恐怖が、喉を絞り出させた。


 無数の手の一つが、赤羽の右腕を掴む。


 バキッ、ボキボキッ──


 確実に折れた音がする。

 赤羽は、糸が切れたマリオネットのように引きづられて行く。


──だめだ! 赤羽を殺すなッ!


 更に、もう一つの手が──、

 更にもう一つ、

 無数の手が赤羽の体に群がっていく。


 ボキッ──バキバキッ──


「メリーッ! これ以──」


 静止しようと声を張り上げた、瞬間。

 赤羽は左腕で、まとわりついた無数の手を引きちぎった。

 その姿から発せられる、無言の力──。

 無言の圧力、圧巻、圧倒。

 ボトボトッとちぎられた腕が、地面に落ち──、溶けていく。


 バサッ──、と大地を蹴り上げ、空高く、赤いワンピースが月の真ん中に飛び上がる。


 ──すげー、ジャンプ力!?


 赤羽は、マンションの屋上に着地した。

 月明かりに照らされて、風にヒラヒラとワンピースをなびかせ、そこから俺たちを見下ろす。


「殺すな、なんて、今の私にあれを始末する方法なんてないわ。制約が成されたとしても、連れて行く魂の数が合わないもの。本来であれば、アナタの愚かな妹を連れて行った後じゃなくちゃ、本当の力は使えないわ」

 

 メリーは、体についた埃を払いながら言った。


 ──これで、まだ本気じゃなかったのか……。


 その本気が、一度は俺たちに向けられていたと思うとゾッとした。今は、味方である事に心底ホッとする。

 そして、見下ろす赤羽を俺は見上げた。

 

 ──あいつは、今……、どんな気持ちなんだろうか?

 

 何を思っているのか、

 何をしたかったのか、

 何をしようとしているのか、

 何に苦しんだのか、


 ──全部が、わからない。


 わかっていることは、

 人間をやめた、という事と、

 それでも赤羽だという事と、

 俺の初恋の相手だったという事だけだ……。

 

 ──そして、また別れの時が来たと言う事だ。

 

 あの突然、行ってしまった中三の夏と同じように。

 あいつは、また俺の前から#忽然__こつぜん__#と消えようとしている。あの時の後悔は、今でもずっと覚えている……。


「あかばねぇぇぇ──ッ!!」


 俺は、腹の底から声を張り上げた。

 全身全霊で、振り絞り、喉が枯れる程の大きな声で怒鳴った。


 そして、あの時の後悔をかき消すように、更に叫び声を続けた。


「大好きだったぜぇぇぇ────!! ずっと、ずっと大好きだったぜぇぇぇ──ッ!!」


 ──もう、後悔はしない。伝えたい事は、伝える。


 あの時、伝えられずに、ずっと心の奥底に閉まってしまった想いを……。

 もうきっと、本当にお別れなんだと……そんな気がした。


 俺たちは、屋上と地上で向き合い、無言の時間が、流れた。

 そよ風が吹き。

 夜の空に雲が、ゆっくりと流れていく。

 どれだけ時間が、経ったのだろうか?

 赤羽は、ただただ無言で俺を見下ろす。

 彼女は振り返り、漆黒の闇の中へと消えていった。


 さよなら。

 大好きだった人。

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