第26話 神か悪魔か


【安珍と清姫伝説】はご存じであろうか?

 

 その昔、安珍あんちんと言う名の僧侶がいた。

 この安珍は大変な美形であった。

 安珍は旅の途中、清次きよじという男の元で一夜の宿を借りた。

 

 清次には清姫きよひめという若い娘がいた。

 清姫は安珍に一目惚れをしてしまい、女だてらに夜這よばいをしかけ迫った。


 しかし、安珍は僧侶の身ゆえに当惑し、必ず帰りには立ち寄ると清姫をしずめ、口約束だけをしてそのまま去っていった。


 あざむかれたと知った清姫は、猛烈な怒りに駆りたてられ安珍を追跡した。安珍は念仏を唱え決死に逃げのびた。

 それでも清姫は嫉妬を抑えられず、諦める事なく安珍を追いかける。

 

 安珍は川に飛び込んで泳いで逃げた。

 清姫も川に飛び込み追いかける。

 

 その嫉妬と憎悪に塗れた怨念が、気づかぬうちに清姫の体を大蛇へと変貌へんぼうさせた。蛇となった清姫は川を渡りきり、道成寺に逃げ込んだ安珍に迫る。

 

 寺の梵鐘ぼんしょうを下ろしてもらい、その中に安珍は身を隠した。

 しかし清姫は、蛇となった体で鐘に巻き付き、嫉妬の炎で鐘の中の安珍を焼き殺してしまうのであった。

 

 安珍を滅ぼした後、本望を遂げた清姫は

 入水自殺をし、自らをも滅ぼした。


 ──嫉妬は時に、神仏をも超えるのである。


 ◇◇◇◇◇◇


『あああああ──ッ!』


 ジタバタ悶え苦しむ三雪ちゃん。


「こ、これは何の怪異なんッスか!?」

  

 ──見た事がない。こいつに制約があるのか!?


「人によってその認識は様々だ。蛇女へびおんな、清姫、エキドナ、ククルカン、メデゥーサ、女禍じょか、時に怪異として、時に神として忌み嫌われ、崇拝をもされる」


 蘆屋はそう言って、手の印をいくつも組み合わせ結び続ける。


南麼なんまく 三曼多さんまんだ 伐折囉ばさら


 と唱えると同時に三雪ちゃんは、絶叫にも似た断末魔を上げ、更にもがき苦しみ出した。


 ──飛び──蹴りナウッ!?

 

 それと同時にお市の飛び蹴りが、蛇女の顔を捉える。蛇女は上半身を伐採ばっさいされた木のように倒れ込んだ。


「蛇とはね。時には知恵を授けた悪魔となり、時に信仰の神でもある。神聖であり、邪念である。この二面性は実に生物らしい。ゆえにもっとも動物でありながら、動物の自覚がない人間の二面性に取り憑きやすい」


 蘆屋の印結びが止まり、両掌を合わせて合唱のポーズをとった。


「嫉妬、憎悪、傲慢、強欲、と言った人間が作り出す負のエネルギーは時に神仏をも超える。人間というのはね〜國枝くん。人間が人間であろうとする傲慢さゆえに苦しむのさ」


 ──人間であるゆえの苦しみ?


「人間と認知した事がパンドラの箱なのか、はたまたエデンを追放された禁断の果実だったのか……」


 ポエマーのようによくわからない事を言う蘆屋の額からは、すごい量の汗が出ていた。

 この男は、俺が思っている以上にひっ迫している。


「つまりあれじゃ、人間もただの動物でしか過ぎぬと言うのに、過ぎた傲慢ってことよッ!」


 お市は言葉を付け足し、両手をパンッ! と叩き合唱のような格好をとる。一人と一体は、両隣に並び、その場に胡座あぐらをかいて、ストン──と座った。


『唵 阿謨伽 尾盧左曩 摩訶母捺囉

麼 鉢納麼 入縛攞 鉢囉韈哆耶 吽──』


 と声を何度も重ね重ねる。

 一人と一体の姿は、何故か凄く神々しく見えた。


 ──俺は何をすればいいんだ? 何もできない……。


『きゃぁぁぁ────────ッ!』


 凄まじい金切り声のような悲鳴がとどろく。

 その瞬間、蛇女は蘆屋に飛びかかった。


「危ないッ!」


 蘆屋の前に飛び出そうと思った瞬間。

 ガタガタッ──ッと大きな音を立てて喫茶店が揺れる。


 ──地震!? いや──。


 ガタンッガタガタガンッ──と建物が倒壊するような音と共に、数百はある呪いの人形達が束となり蛇女に群がった。


『唵 阿謨伽 尾盧左曩 摩訶母捺囉

麼 鉢納麼 入縛攞 鉢囉韈哆耶 吽──恰!』


 蘆屋とお市の恫喝どうかつが雷鳴のように鋭く響き、蛇女の姿はフッと見えなくなった。

 その場所には、気を失った東雲三雪と、その周りに散乱した数百体の人形が散らばっていただけだった。


「終わった……のか?」


 膝が震えていた。それすら俺は、今頃気づいた。

 俺は力が抜けたように、その場に座り込んだ。


「しっかりせいロリコンッ! 見た目だけのツッパリとか情け無いのぉ……」


 ペシッ──と市松人形は俺の頭を叩いた。


「残念ながら、まだ終わりではないよ國枝くん。言っただろう? 蛇は厄介なのさ……。これから一日かけて鎮めようってところだ。まだまだこれからなのさ」


 そう言って額の汗を拭い、タバコを取り出した。


「それじゃ、三雪ちゃんは……」

「僕らの相手は神でもあり、悪魔でもある。払えるかもわからないものだ……なぁーに、悪いようにはしないよ。鎮める事は百パーセント保証しよう」


 蘆屋はタバコに火をつけ、ホッとしたかのように煙を吸った。


「古来より人間は、超常現象や未知の病を神や悪魔、妖怪や鬼などに例えて伝承してきた。わかるかい國枝くん? 人間にコントロールなんて出来ないものだから神になる。感情もまたコントロールできないから比喩されてきたのさ」


 ──人間の感情なのに、人間に制御できない……。


「僕達人間は人間が思っているほど合理的な物じゃないんだよ。科学がいくら発展しようにも、発展するのは科学だけで、人間は進歩なんかしていない。自分達の感情にずっと悩まされて生きるのさ」


「フー」白い煙を吐き出し蘆屋は言葉を続ける。

 

「生活が発展し豊かになろうとも、人間に備わった負の感情は自らでは制御できないのさ。何故かわかるかい?」


 俺は少し考えてみたが、どうにも満足のいく答えが見つからなかった。


「わからないッス……」


 蘆屋は煙をドーナッツのような形で吐き出した。

 

「人間という個である事に執着し、何者かであろうとする。人間以前に、ただの知恵の働く動物なんだけどねぇ〜。意味を身勝手に作り出せるがゆえに、理由を作らないと個を保てない可哀想な生き物なのさ」


 そう言って散らばった人形を片付け始めた。


「今日はもう帰りなさい。心配しなくてもいい余白を作ってみせる。彼女は優秀な従業員になるのだから最善は尽くすさ。後で連絡するよ」


 これだけ物凄い力を見せつけられたら納得する他ない。だって俺は無力なのだから……、あとは専門家である彼らにまかそう。

 蘆屋の言葉通り俺は帰った。


 ◇◇◇◇◇◇


「拙者は赤点だったでござる……」

「ワッチはギリギリだった」

「私もダメだった追試確定」


 来来軒三人衆がテストの点数を見せ合って何やら残念な雰囲気に沈んでいた。


 ──え? 俺はどうなんだって?


「へー、國枝っち超以外だよね〜。全教科ギリギリ赤点じゃないんだもん。キャラじゃないとこが憎いね〜コノコノッ」


 全教科満点の天才スーパーギャルが、俺の点数を見て褒めちぎる。


「まぁ、それなりにギリで勉強したからな。千鶴がうるせーんだよ」

「ウケる〜、妹に言われてやるとか」


 ──お前のが、キャラ違いだろ……。


「まぁ、天下の鈴蘭財閥の令嬢は天才な上に将来約束されたようなもんだし、俺らのように明日野垂れ死ぬかもしれん奴の苦労はわからねーだろうな〜」


「だったら不良やめればよくない?」


 ──ごもっともです。

 

「そこが男の美学の引けないところ。舐められたくない、青春したい、モテたいモテたいモテたいだ」


「何それ〜ウケる〜」と天下無双ギャルは笑っている。


「まぁでもさ〜、二〇〇〇年前の古代中国の新王朝の官僚達が何して成り上がったとか、もっと言えばどう歴史を作ったとか、ウチらにはどうでもよくない?」


 ──言葉遣いと内容のレベルのギャップ……。

「そりゃあな……、どうでもいいだろ」


「でしょ〜?」といいながら乱れたお団子を結び直しながら、IQ157の頭脳は言葉を続けた。


「だから二〇〇〇年後の未来人からしたら、うちらが何してたとかどうでもいいわけでさ。って事は、何やっててもどうでもいいんだからさ〜。自分の好きな事やり通すのが一番なんじゃね? って思うよ」


 ──ごもっともです。ナイスギャップ。


「國枝。この後ちょっと職員室こい」

 

 ドア越しに担任のカヤバシが俺に言って通り過ぎて行った。

 

「あ〜? なんだよ。ったく……」

「こないだの集会バレたとか?」

「いや、そんなんじゃねーだろ。テストの点数ってことは……」

「あぁね」


 世の中にはギャップ萌えと言う言葉がある。

 鈴蘭のように超バカそうな天才もいれば、二虎のようにチャラそうなのに、彼女をめっちゃ大切にする奴もいる。


 世の中にはそう言った奴がまれに現れる。

 オタクなのにすげーマッチョとか、

 柄悪いのに老人や子供に凄く優しいとか、

 そういったプラスなギャップは、時としてキャラを引き立てる。


 ──もちろん良い意味で。


 しかしギャップには、失望させてしまう残念なギャップも存在する。

 例えば、小学生のとき運動神経が良さそうな奴がいた。

 しかしそいつはめちゃくちゃ運動神経が悪かった。走り方が特徴的で、腕の肘がピーンと伸びてしまい、あだ名が『肘神ひじがみ』だった。

 

 それと同じように、普段から凄く頭の良さそうな話をするのだが、勉強がまるで残念な奴がクラスに一人いる。


「──なんすか?」


 俺はカヤバシに呼び出されて職員室にいた。

 

「赤羽の事なんだが、テスト全教科赤点のうえに出席日数も足りなくなりそうだ。補習も受けに来ないと留年確定だぞ」


 ──そう、赤羽紅音だ。


「竹内も赤羽も最近どうした? 二人ともお前の幼馴染だろ? お前たち、仲良かったよな?」


 カヤバシは心配そうな顔をしている。


「はぁ……、まぁ……」

「ちょっと二人を学校に来るように説得してくれないか?」


 どちらも大切な親友である。親友のピンチに違いない。不登校の理由も大した事のないような感じだし、特段と気にする事もないだろうと、俺は思った。


「まぁ……、言ってみます」

 

 だからこのカヤバシの申し出も二つ返事で引き受けた。


「あ、でも俺……、赤羽の今の住所、知らないんスよね」

「住所か? 今書いて渡す」

 

 ──楽勝な案件だ。


 ちょっと二人の家に行って「進級やばいから、学校こいってよ!」と一言伝えてそれで終わりだ。

 そんな案件だ。


 楽勝オブ楽勝。


「んじゃ、ちょっくら行って来ますわ」




 ──この時の俺は、この選択を後悔するなんて微塵も思っていなかったんだ……。

 

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