第16話 アイシテル
俺は
面会時間は夜の九時まで……、まだギリ間に合う。
駐輪場にバイクを止め、緊急面会の受け付けを済ませ六階に向かう。
エレベーターから降りると廊下の電球は力なく薄暗い。
雰囲気が違う。
前に立ち寄った時とは大違いだ。
受け付けや一階は清々しい程、明るかった。
六階は……まるで別次元だ。
空気が重い。
向こう側から懐中電灯の灯りが見えた。
コツコツと靴底の音が廊下を響き渡る。
ナース服を着ている。
──見回りをしているのか?
一瞬そう思ったが、間もなく肝がスーと冷えた。
考えてみたらまだ消灯前なのにも関わらず、懐中電灯をもっている事がおかしい。
全身血塗れ……。
よく見ると歩き方もおかしい。
左右に肩を大きくユラユラ揺らしながらこっちへ向かってくる。
──大丈夫、見えてないふり、見えてないふり……。
心の中で必死に言い聞かせ、重い足を前に出す。
ここで止まっていたら怪しまれる。
俺も歩かないと勘付かれてしまう。
──コツコツと、足音が近づいてくる。
何故か俺は、無意識に息を止めて歩いた。
血塗れのナースが、俺の横を通りすぎる。
できるだけ見ないように、視界にうつさないように……
──行ったか?
「ねぇ、そっちは行き止まりですよ」
──ッ!?
不意に話しかけられ、危うくリアクションをとり振り返りそうになった。
──明らかな嘘……。危ねぇ──
怪異は人を欺くことがあると聞いたことがある。
しかし、立ち止まってしまった……。
リアクションをした事で悟られないように、咄嗟にしゃがみ無駄に
手に変な汗が滲む。
──ドクンッドクンッと心音が早まる。
納得したのか血塗れの巡回者は、再びコツコツと靴音を鳴らして立ち去っていった。
大きなため息が出た。
──早くすまさねぇと。
恐怖が心臓を鷲掴みしたかのように、体がこの先へ進むことを拒否している。しかし、ここで引き返せば友達が死ぬかもしれない。
でも、俺じゃないから……。別に俺のせいじゃないし……。
──はッ!? 何を考えているんだ俺は!?
自分の右頬を自分の拳で殴った。
唇を噛み締め、ジンジンと痛む顔が少し熱い。
──ビビってんじゃねー。
情けねぇーこと考えてんじゃねぇ國枝一護!
気合いを入れて、そのまま急足で六〇六の部屋の前に向かう。
「二虎ッ!」
意を決して病室に飛び込む。
──暗い……。
電気が、消えている。
薄暗い病室の中は、月明かりが窓から差し込み、病室を照らしていた。
電気を付けなくても部屋の隅々まで確認ができる明るさだった。
──うッ──!?
眠る二虎の体の上に、こびりつくようにびったりと体を重ねる
昨日とは、まるで様子が違った。
眼球がない……。
目が真っ黒に
口からは、呪いなのか、血なのか、判断ができない真っ黒の液体を吐いている。
二虎の体が、その液体で真っ黒に染まっている。
背中の産毛が、逆立つ。
肩がブルッと震えた。
蘆屋の言った「時間がない」の意味を直感的に理解できた。
「アイシテルアイシテルアイシテルアイシテルアイシテルアイシテルアイシテルアイシテルアイシテルアイシテルアイシテルアイシテルアイシテルアイシテルアイシテルアイシテルアイシテルアイシテルアイシテルアイシテルアイシテルアイシテルアイシテルアイシテルアイシテルアイシテルアイシテルアイシテルアイシテルアイシテルアイシテルアイシテル」
顔を左右に揺らしながら呟き続ける。
──うっわッ、キッショ! お、お札!
ポケットから震える手で、お札を取り出す。
二虎の元に向かおうと踏み出した瞬間──
キ────ンと耳成りがする。
──か、金縛り……。
近寄らせない気か、くそったれ!
う、動かねぇ……。
生き霊の首が、ウニョーと上に伸びた。
そのままシュルシュルと円を描きながら俺の顔、眼前まで伸びてきた。
──怖ぇ……。
顔の真前で
陥没した目からも黒い液体が、飛び散ったように噴出する。
──うぇ。
あまりにも異様な光景に、血の気が引いてそのまま貧血で倒れそうになった。おえつが走る。
──このままじゃ、二虎が死んじまう。
そう諦めかけた瞬間──
風が病室内をビューと駆け巡る。
窓際のカーテンがフワサァーと揺らめいた。
──風? どこから? 窓が空いている?
風の吹いた方向に視線をやると窓に人影が見えた。窓際に和服姿の女の子が座っている。
──子供……?
月明かりの逆光で顔がよく見えない。
「小僧の言った通りだったのぉ〜、全く怪異使いの荒い陰陽師じゃ。──のぉ? ロリコン」
この独特な口調。
そして俺をロリコンと呼ぶ。
──蘆屋のとこにいた、お市!?
「ほれ」
お市はパンと手を叩いた。
急に体がダランと力が抜け、前のめりに転びそうになる。
「うおっと!?」
金縛りが解けた。
──体が動く!
「助かった!」
生き霊の首がお市に向けられる。
眼球がなくてもわかる。
きっと、お市を激しい憎悪で睨んでいる。
お市は「フン」と鼻で笑うだけだった。
一人じゃなくなった途端に、腹の底から勇気が湧いてきた。もうビビらねぇ。
「悪いな三雪ちゃん。お前の気持ちは理解しているつもりだが、友達を殺される程、理解してやれない。お互いに人生はまだ続く。俺達はまだガキだ。命をかけるほどの執着はまだ早ぇーよ。きっと……」
そう言って俺は二虎の枕元にお札を置いた。
生き霊は、スーと立ち上がった。
──な、なんだよ……。
ゆっくりとペタ、ペタ、と素足の足音を立て、ドアの前でスーと消えた。
「終わった……のか?」
「これでこの小僧は大丈夫じゃろ」
お市の言葉にホッとして、座り込む。
「あれは、どこへ行ったんだ?」
「帰ったんじゃ、本人の元に」
「それって……」
「呪い返しじゃよ」
「それじゃ、三雪ちゃんがッ──!」
立ち上がろうとした瞬間、お市の蹴りが腹にめり込んだ。
──ぐはっ!?
「甘えるな小僧。人を呪えば穴二つじゃ。本人がどうなろうと呪いは誕生した時点で呪いじゃ。呪いの好きなように呪い、呪いのままに呪う。生み出した本人の意向とは無関係なものよ」
そう言ってもう一発、俺の腹に蹴りを入れた。
人形に、幼女に、蹴られたとは思えないほどの衝撃。
内臓が悲鳴をキリキリと上げている。
数メートル後方に吹っ飛ばされた。
「──ぐあッ!」
「よいか? 世界の
そう言って倒れ込んだ俺の元へ足音もなく歩いてきて、俺を見下した。
「元は人間じゃ……、お前らと同じ」
その言葉に微かな衝撃が走る。
「人間の手で何もかもコントロールできると思うたら大間違いじゃ。貴様ら人間はそう思うているかもしれんがのぉ……。何一つコントロールできてないものよ。自分自信でさえもな」
結局、思い通りになんかいかない。
知ってるつもりだった。
どこかで誰もが、いつか報われると思っている。
でも、現実はいつでもそうだ。
あるべき姿に収まるだけだった。
「そうじゃ。そしていつだって貴様ら人間は身勝手な都合のいい解釈をし、勝手に生きていく。聞こえのいい事だけはべらせてな」
お市は、座り込んだ俺の頭をポンポンと2回叩いた。
「呪いも、人も、動物も、主義や主張、イデオロギー、宗教、戦争、社会そのもの、この世界はどこまでも身勝手なものじゃ」
「なぁ──」
それでも東雲三雪を救いたい──と言おうとしてお市に視線を向けると──
そこにはもう、お市の姿はなかった。
◇◇◇◇◇◇
翌日には、無事に二虎は目を覚ました。
俺は今までの事、お札の話をありのままに二虎に話した。
はじめは、信じないと思っていた。
「どうりで……」
と意外にも
「夢を見ていたんだ」
──夢?
二虎は突然、息苦しそうに「はぁ──はぁ──」と呼吸を荒げた。
恐怖に縛られたかのように、震えた声で言葉を呟く。
「ずっと……、数えきれない程の三雪が、アイシテイルと言いながら俺の体を……、ちぎって行くんだ……、ここは私の、ここは私のとたくさんの三雪が、俺の体を少しづつちぎって持ち去るんだ……」
──こ、怖ぇ──よ。
聞いてるだけでブルッちまう……。トラウマだ。
「俺、もう不良やめるわ──、まじめに柔道一本に専念する。しばらく恋はごめんだ」
──だろうな……。
あとは、東雲三雪にもう一枚のお札を渡す必要がある。
あの陰陽師は電話越しで、それはそれは軽い口調で
『あぁ──早く渡さないと死んじゃうねー、もしかしたら手遅れかもしれないけど』
などと、平然と言った。
どう手渡すんだ?
お前に呪いが跳ね返った。
このお札を肌身離さず持てと?
『さぁー、そんな事は知らないよー。彼女に現実を受け入れられる、いい余白があれば大丈夫でしょー』
──そう言えば、協力する事になってたな。
詳細を聞いていなかった。
『そうそう、國枝くんには、二つの怪異の調査を捜査をお願いしたい』
──二つの怪異? できるかな……俺に。
『僕はねー、大きな案件を二つ抱えていてね。一つは赤い人。これについては被害者親族から依頼があってね。何せここ数年で突然現れた新しい怪異だ。情報がネットなどの当てにならないものしかない』
──赤い人か……、謎の多い怪異だ。
骨が折れそうだぜ。
『もう一つはね。呪いの西洋人形のメリーさんって知ってるかい? 有名な怪異なんだけどね。あの人形には一億もの賞金が掛かっていてね。ある資産家からの依頼だ』
「ブッ──」と、口に含んでいた麦茶を吹き出した。
──メ、メリーだと!? い、一億円!?
『どうしたの?』
「い、いや、変なとこに麦茶が入っちゃって……」
──これについては、協力はできねぇな。
適当に上手く誤魔化してやり過ごそう。
俺にはメリーと交わした大切な約束がある。
『そう言う事だから宜しくねー。期待しているよ』
──プツリ──電話が切れた。
と、相談したが期待通り、期待できない回答が返ってきた上に余計な心配事が増えただけだった。
二虎は肋と手首の怪我のみだったので二日後には学校に復帰していた。
お互い学校が違うので近くの公園で落合い。そこに東雲三雪を呼び出してもらった。
「おう」
三雪ちゃんは、ニコニコと笑顔で現れた。
しかし、俺の姿を見ると「なんだ、一人じゃないんですね……」と嫌そうな顔をした。
「突然、なんですか〜?」
今までの事件を何一つ感じさせない自然な態度だ。ひょっとしたら本人は、何もしらずに生き霊を飛ばしてしまったのかもしれない。
──それもそうか……、本人は何もしらないのだから。
「悪りぃーな。用があるのは俺の方なんだ」
「國枝く……ん? でしたっけ?」
今までの事をありのままに全部話した。
三雪ちゃんは、顔色一つ変えず「ふ〜ん」と軽い返事をした。
俺は、お札を渡した。
彼女は、それを受け取り
「ありがとうございます」
と、言った。
──え? それだけ?
「まぁ、ほんの軽い気持ちだったんだろ? もう変な呪いとかやめろよなー」
二虎は、苦笑いしながらそう言った。
すると、東雲三雪はおもむろに二虎に近づき、耳元に手をかざして──
「アイシテルアイシテルアイシテルアイシテルアイシテルアイシテルアイシテルアイシテルアイシテルアイシテルアイシテルアイシテルアイシテルアイシテルアイシテルアイシテルアイシテルアイシテルアイシテルアイシテルアイシテルアイシテルアイシテルアイシテルアイシテルアイシテル」
と囁き続けた。
俺も二虎もただただ凍りついた。
何かに振り切った人間には、命でさえもどうでもよくなってしまうのだろう。
人が命をかけてでも振り切った強い思いが、必ずも正しい事とは限らない。
いや──、お市が言うよにきっと誰もが、一皮被った身勝手なものなのかもしれない。
──アイシテル
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます