第6話 月明かりの告白


 怒り、憎しみ、憎悪、その負の感情が凝縮ぎょうしゅくしたかのような恐ろしい眼力で俺を呪う。

 その表情に思わず、本能的に背中を丸める。


『お前のせいだ! お前のせいだ!

 お前のせいだ! お前のせいだ!

 お前のせいだ! お前のせいだ!』

 

 クワッとした眼光で心に突き刺してくる声のない言葉。

 カタカタとその体が、小刻みに揺れている。

 

 ──怒りで震えているのか?

 

 その場に不釣り合いな物は何故か恐ろしい。

 この一般的なありふれたリビングに不相応ないびつな存在が、得体の知れない不安で空間を染め上げる。

 寒気が走り、ひどい耳鳴りがキ──ンと脳を引っ掻く。


 ──怖ぇーよ。まじやべーって。

 なんつー顔してやがる……。

 思わずビビっちまったじゃねーか……。

 メリー、ブチ切れてんな。


 これだけの怒りをあらわにしているのにも関わらず、何も仕掛けてこない。


 ──いや、仕掛けられないのか?

 つまり、俺の仮説は正しかった?

 怪異には、が存在する。


 今まで全く信じていなかった怪異なるもの。

 目の前で遭遇そうぐうするまで、ずっと半信半疑だった存在。

 そして今、あのメリーさんがそこにいる。


 ──この土壇場どたんばで、どうしていいかわからねぇ……。

 どうすっかなぁ……。

 

 千鶴に視線を向ける。

 やはりどうしていいかわからず、妹も足を震わせて立ち尽くす。

 お互いにメリーを挟んで視線が合った。

 何かを口パクで訴えてくる。


「あ?」

 ──なんて?


「…………」

 何度も、口パクで返す千鶴。

「なんだよ」

「…………て」

 

 ──や……て?


「やっちゃってー」

 諦めて小声で放つ。


 ──や、やれって言われてもな……。ど、どうすりゃいいんだ? と、とりあえず捕まえるか?

 うっし、腹極めろ、覚悟決めろッ!

 行けッ、國枝一護ッ──!!


 俺はメリーに向かって飛びついた。

 できるだけ顔を見ないように。

 一〇才くらいの少女の姿をした〝それ〟の腕を掴む。

 と、その瞬間、諦めたかのようにダランと垂れ下がり、ただの汚い西洋人形になっていた。

 

 ──あ、あれ? 人形に戻った?


 糸が切れたマリオネットのように、それまで宿っていた何かの気配がスッと消えた。


「ど、ど、どうしたの? ち、小さくなったよ?」

 千鶴が恐る恐る覗き込む。

「わ、わからねぇ……」

「ど、どうするのこれ?」

「とりあえず、縛るか?」

 お互い顔を見合わせる。

「そ、そうだね」

  

 俺はロープを持ち出し西洋人形をぐるぐる巻きにし、段ボールに入れた。

 一通りの作業を終えると、腹の底から安堵のため息が出た。

 まさか、喧嘩相手が幽霊になるとは思ってもいなかった。ホッとしたのも束の間で、すぐに不安が押し寄せた。


 ──だが、どうにも気持ち悪りぃ……。

 本当に終わったのか? こういうモノなんか?


 西洋人形をしまった段ボールをじっと見る。

 

「まだドキドキしてる……」

 千鶴が胸に手を当てる。

「疲れたな」

 床に座り込む。

「うん、すっごい疲れた……」

 千鶴も背中合わせに床に座り込んだ。


 時刻はもう、真夜中の一時過ぎ。

 明日もお互いに学校だけど、メリーが怖くて寝れそうにない。


「とりあえず、千鶴。お前はもう寝ろよ」

「お兄ちゃんは?」

「メリーを見張ってるわ。だから心配すんな」

「一人じゃ寝れないよ……」


 ──まぁ、そうだよな。


「んじゃ俺のベット使えよ。俺はその横でこいつ見張ってるからさ」

「うん」


 階段を登り、二人で俺の部屋に向かう。

 千鶴はベッドに入った。

 俺は、ベッドによりかかり座る。

 段ボールを目の前に置き、そこにあぐらをかいた。

 

「おやすみ、お兄ちゃん」

「おやすみ」


 間もなくすると、静かな部屋に寝息が聞こえてきた。妹はすぐに寝入ったらしい。

 よほど疲れていたのだろう。

 俺も「ふぁ〜あ」と、大きなあくびをした。


 ──どうすんだこれ? とりあえず明日、学校休んで寺とかに持って行った方がいいか?

 なんか供養とかしないとやばそうだもんな。

 しかし、本当にいたんだなー幽霊って……。


 さっきのあの恐ろしい顔を思い出して、ブルッと身震いをした。

 

 ──疲れた……、本当に疲れた……。


 ◇◇◇◇◇◇


 気づくと寝てしまっていた。

 部屋の電気が消えている。

 それでも、月明かりに部屋が照らされて明るく感じた。

 その薄暗い光に人形のシルエットが浮かび上がっていた。

 

 ──んッ!?


 目の前に縄でグルグル巻きになったメリーが、俺を見ている。

 西洋人形の姿ではなく、一〇才前後の少女の姿。


 ──メリー……!?


 ベットによりかかった俺と、ちょうど同じ高さの目線。

 その顔からは憎悪や負の感情は、もう感じられない。ただ無の眼差しで俺を見ていた。

 

 はじめて冷静に観察すると、なんだか美しい気がした。

 西洋人のような大きな青い瞳、長いまつ毛がキリッとした印象を持たせる。

 しかし、それとは対照的に薄らとピンク色の小さな唇が子供のようなあどけなさを残す。

 

 月明かりで神秘性を増す金色の頭髪、フリルが散りばめられた西洋の青いドレス。

 その神秘的な空気が、何故だか花の散り際を連想させた。


「やってくれたわね……」

 メリーが口を開いた。


 ──しゃ、しゃべった!?


「こんな人間はじめてよ。ここまでやられた怪異なんてもう怪異としても終わってる……」

 その口調は、冷静で淡々としたモノだった。

 

「意思の疎通そつうが可能なのか?」


 メリーは、言葉を返さず目線だけで返事をする。

 怖いかとどうかと言ったら怖いが、ロープでぐるぐる巻きの幼女という姿が恐怖を半減させる。

 しかし体は正直なもので、背中伝いに一滴の冷たい汗が流れた。


「はぁー」とメリーは深いため息を吐き、言葉を続ける。


「今すぐあんたをどうにかしてやりたいわ。畏怖いふの念がもう少し強ければ、何かしら呪えるのだけど……、このロープのせいね?」


 人形は自分の体を見渡し、ため息をついた。


「恐怖どころか卑猥ひわいな、猥褻わいせつな、イヤらしい、感情の波動が流れ込んでくるわ……色情霊しきじょうれいなら大喜びよ、使い物にならない感情ね」


 ──それについては、ノーコメントで。


「あなた、こんな幼女の姿をロープで縛り付けて喜ぶ変態ね」


 ──やめろ、社会的に呪われる……。


「笑えるわ。呪いの上位でもあった私が、こんな無様に消えるとわね。ターゲットの順番は変えられない、制約は果たせない、あげく囚われ視姦しかんされる……、他の怪異からしたら、いい笑いモノね」


 そう言って、視姦された幼女はうつむき、諦めたようなため息を連続して続けた。


「明日、私をお寺に奉納なさい。それで燃やせば終わりよ。良かったわね、おめでとう」

 何もかも見限ったようなトーンで、一方的に話しかけてくる。


 ──ずいぶん、あっさりしてんな。

 こいつら怪異にとって、存在なんてそんなもんなのか?

 ただ呪いがあって、それ以外はない……。

 そもそも、こいつは何で呪いになったのか……。

 

 メリーについて、ネットでそれなりに調べてはいた。その発祥はっしょうは〝リカちゃん電話〟や〝ハマのメリー〟あとは〝子供に捨てられ呪いになった〟などいくつもあるが、真相は定かじゃない。


「なぁ、お前は何で呪いになったんだ?」

 俺は素朴な疑問を問いかけた。

「知らない。気付いたら呪いになってただけだもの」


 自分の起源すらわからず、ただただ忌み嫌われ、恐れられ、過去にしか存在意義を見いだせない。

 こいつには、過去しか存在しない。

 過ぎ去った〝〟の呪いしかない。


 ──それしかない……。

 

 考えてみたら〝未来を見る〟〝希望を見出す〟なんて事や前を向く事が許されるのは、今を生きている人間だけの特権なのかもしれない。

 初めて遭遇した、この怪異に同情の感情が沸いていた。


「なに? 同情? なら兄弟揃って死んでくれる? そうすれば別の人を呪えるわ。私にはこの上ない喜びね」

 同情の波動を察したのか、メリーは見下すようにそう言った。


「それは無理だ。俺達はお前のために死んでやるつもりはない」

「あっそ……、なら明日さっさと私を燃やすがいいわ。はぁー、いい笑いものね」

 

「なら、ずっとここにいろよ」

 喉を突き破った言葉に自分でも驚いた。

「はぁ?」

 メリーの反応は当然予想していた通りだった。

 それでも俺は、想いのままに言葉を続けた。


 ──決めたよ俺。

「呪いの人形なんてやめちまえよ。つくも神になればいい。俺がお前を一生大事にしてやるよ」


「な……、何言ってんの?」

 青い瞳は戸惑い、瞳孔が開く。

「死んでやる事はできないが、人間百年も生きやしねぇよ。呪い人形に戻りたいなら、その後に戻ればいいじゃねーか。だから、それまでずっとここにいろよ」


 メリーは、黙り込みうつむく。

 反応がない。


「もう一度言う、ここにずっといろよ。俺がお前を一生大事にしてやる。信用できないか? そん時は呪い殺すなり、なんなりしろよ」


 その美しき西洋人形は、俺の目から視線を逸らし

「そうね……その時は、同じ棺に入れてもおうかしら……」

 と、小さな声で呟いた。

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