第3話 鼻メガネの女


 チャイルドシートの上で車に揺られている。

 寝ようとしても、姿勢が悪くて寝つけない。

 置き場を見失った首だけが、人形のようにかたむく。

 〝いったん〟を胸に抱きしめ、顔をゴワゴワの毛に押し付けた。


「一護くんそろそろ新しい〝いったん〟にしない? もう汚いぞ、それ」

 

 前方の運転席からパパの声が聞こえる。

 右隣を見ると、もう一つチャイルドシートがある。そこに千鶴が寝ている。

 

「言っても無駄よ。あの、いったんじゃないとダメなんですって」

 助手席のみっちゃんがそう話す。


   

 手元の汚い〝いったん〟を抱きしめて目を閉じる。


 ◇◇◇◇◇◇


「はッ!? いったん!」


 夢の中で眠り、思い出したように現実で目を覚ます。

 

「ん?」


 胸元に人肌のぬくもりを感じる。

 その形を調べるために、ペタペタと手で感触を確かめる。


 ──背中?

 そのまま、下へ手を動かす。


「あん……」

 と官能的な声が、鼓膜に甘くささやく。

 

 小ぶりだけど弾力があり、もっちりした感触。

 形がいい────、ケツだ。

 千鶴が俺の隣りで寝ていた。

 

 メリーさんの電話にビビって、俺のところに潜り込んだらしい……。

 メリーの件も大概だが、近頃連続して〝同じ夢〟を見ていた事を思い出した。

 

 はじめて買ってもらった、あのボロボロの猫のぬいぐるみ。

 あれが〝いったん〟

 

 いつの間にか名前が付いていた。

 親に聞いたら俺が、2歳の時に付けた名前らしい。

 肌身離さず小学3年生まで、ずっと共に過ごしたぬいぐるみ。

 あんなに大切にしていたのに、なぜ今まで忘れていたのか……。


「おはよー」

 不届きな妹が目を覚ます。

「お前さ……、いったん、知ってる?」

「知ってるよ」

「は?」

「は?」

 同じ言葉を返してくる妹。

 

「なんで知ってんだよ」

「お兄ちゃんずっと、もってたじゃん」

「いや、まぁ、そうか……」


 ──普通に考えて2つしか変わらんのだから、覚えていれば知ってるか……。

 

「どこにあんの?」

「なんで?」

「なんでもだよ」

 じーと俺の顔を凝視する。

 

「チッ、んだよ、もういいわ」

 そう言って立ち上がると──

「私の部屋にあるよ」

「は?」

「押し入れの中」

「お、おう……」


 ◇◇◇◇◇◇


 二時間目の休み時間。

 二年C組から来た、力漢りきおの熱弁を聞かされている。

 

「──て、わけだよ。力貸せよ一護」

 鈴蘭すずらんの席に座って息巻く。


 ──喧嘩か……。めんどくせーな。


「別にいいけど、相手どこよ?」

「日光の眼美羽好メビウスだよ!」

「どうでもいいけど、そこのネーミングセンス悪すぎ……」

「あぁ、ちゃんとおかしい」

 

 力漢の要件はこうだ。

 昨夜、集会中に日光のチーム〝眼美羽好メビウス〟と鉢合い、騒ぎになった。マッポ(警察)が来たから、その時はお開きなって解散。

 

 そこで向こうの頭と今日の放課後、八枚山はちまいやま公園でケリをつける約束になっている。

 ルールは代表者を選出して、五対五のタイマン勝負。勝ち星の多いチームの勝ち。


 竹内たけうち 力漢りきおは、俺の知る限り最強の男だ。

 ぶっちゃけ一対五どころか、一対五〇でもやってのけるだろう。

 

 だが、頭が強いだけでは、竹内力漢が強いだけになってしまう。チームの強さを示したい。

 〝暴霊ぼうれい〟そのモノの格を上げたいらしい。

 

 こちらの選出メンバーの中には、あの悪名高いスタンプ高の菱形ひしがた三兄弟〝一鬼いっき二虎にこ三狼さんろう〟の三つ子もいる。

 よくもまぁ、こんな強そうな名前を付けたな〜と感心する。

 キラキラネームならぬ、だ。

 そして助っ人として、親友の國枝一護くにえだいちごの登場ってわけだ。


 俺も力漢や金剛くんのように化物ではないけど、喧嘩の腕に自信がないわけではない、


 一つ付け足す事により、産まれる曖昧さで負けてもカバーができるってワケだ。

 

「わかった。引き受けるぜ」


 ──まぁー、しょーがねぇーよな。

 マブダチの頼みだ、二つ返事で引き受けんのが男ってもんさ。

 

「さすがは一護だぜ。んじゃ放課後な!」

 そう言って力漢は立ち上がった。

 

「死相が出てる……」

 

 その一つ後ろの席の赤羽あかばねが、ボソッと呟いた。

「相変わらずお前も、ちゃんとおかしい」

 力漢は赤羽の頭をくしゃっと撫でて元の巣に帰っていった。


 ──死相ね……。


 赤羽あかばね 紅音あかね

 もう名前からして真っ赤なこの女子生徒は、俺と力漢の幼馴染。

 

 園児の時代から小、中、高と一緒だ。

 机いっぱいに怪しい本が詰まれている。

 そのレパートリーは、黒魔術、悪魔崇拝、宗教、呪術、陰陽道、占星術、百鬼夜行、妖怪百科、となんか色々と凄い。


 小・中と天真爛漫てんしんらんまんでクラスのマドンナ的存在だったのだけど……。

 モデルのように美しかった姿は、地味なおさげ頭と〝〟の奥に隠されてしまった。

 

 何があったかは知らないが、中学3年の夏。

 赤羽は変わってしまった……。

 

 結局、力漢にメリーさんの話はできなかった。

 今のところ、非通知着信も来ていない。

 今となっては、ただのイタズラかとも思っている。


 ──赤羽なら……、何か知ってるかもしれない。

「なぁ、赤羽」

「何かしら」

「お前ん家の雛人形、髪伸びるってマジか?」

「そうね」

 ──そうね……、じゃねぇよ。

 

 カップラーメンは三分で出来るんだぜ、なんて当たり前の話しをした覚えはないぜ。


 赤羽はこちらを見ずに悪魔百科に釘付けだ。

 ペラッと一枚ページをめくる。


「メリーさんって知ってるか?」

 思い切って聞いてみる。

「えぇ」

「狙われたらどうなんの?」

 パタンと本を閉じ、俺を見た。


 ──な、なんだよ……。

 

 彼女は、無言で俺の顔を凝視する。

 鼻メガネのレンズに逆光が反射して、なんかシュールだ。


「私メリー、今〇〇にいるのと、電話が掛かってくるわ。それから、掛かってくる度にターゲットに近づいてくるでしょう。そして最後に〝今あなたの背後にいるの〟と言われて振り向いたら……」

 

 感情のない早口で淡々と語る。

 言葉と共に、フガフガと鼻メガネの鼻の部分が上下に動く。


「……振り向いたら?」

 俺は生唾を呑んだ。

「ジ・エンドよ」

 と、言って再び本を広げた。

「何か、対処法はないのか?」

 パタンと再び本を閉じて、ズレた鼻メガネの鼻を直す。

 

「ない事はない、

 

 ──お前も付け足しの使い所をわかってるじゃねーか。


「一つは後ろを取られない事、あと一度も電話に出ない。あとはメリーさんより先に、メリーさんの背後を取る事ね」

 

 ──とにかく背中を見せるなって事か……。

 

「一度電話に出た後で、電話のフルシカトは?」

「無意味ね。一度でも電話に出たら……、アウトよ」

 

 そう告げた赤羽は、陰陽道の本を手にとった。

 何か助言でもあるのかと少し待ったが、何もなくただ読んでいるだけだった……。


 ──思わせぶりかッ!?

 

「電話って、どれくらいの頻度なんかな?」

 と、何気なく呟く。

「そうね。メリーさんとの距離にもよるのだろうけど、平均は5回だそうよ」


 ──5回……、平均データーまで!?


「すげぇ情報量だ。まるで博士だな」

「そう思うなら、そうなのでしょう」

「まぁ、とにかくありがとうな」


 ──とりあえず、有益な情報は……。

 背後を取られるな、と逆に背後を取る、か。

 後者は現実味がねぇな。

 いつ来るかもわからない相手を事前に察知し、先手を取るのは無理ゲーだ。

 

 平均5回って事は、残り4回。

 ゴミ捨て場は、あの校門前のゴミ捨て場と予測すると、この近さでは時間はあまりないかもしれない。


「そう言えば……」

 赤羽が思い出したかのように呟く。


 ──ん?


「メリーさんと言えば、校門前のゴミ捨て場に西洋人形があったわね」

「あぁ、流石に知ってんのな」

「知ってるも何も、有名だもの」

「有名?」


 ──どういう意味だ?

 

「昨日の放課後、金剛くんが走っていたもの」

「はぁ!?」

「隣の茨城県まで一人じゃ心細いから、連れて行ったんですって──タフね。彼」

 

 ──いや、ツッコミどころ……。

 

「メリーさんって一度狙った相手から心変わりするものなのか?」

「なに? さっきから……、まるで狙われた人みたいな言いぶりね」

「いや別に」

 俺は苦笑い浮かべる。

「まぁ、いいわ。それはないわね。順番は変わらない」


 なら金剛くんは無事か、よかった。

 そう思った、瞬間──


 ブン、ブン、ブン──、とポケットに振動が走る──

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